5.オータム*ビター

 豊かな色彩を舞わせた花びらを集め切り、元通りの店内になったDayoff。

 マスターは他のお客さんの接客に戻り、アタシと知秋ちあきはお店の端の席へ移ることになった。


「うん、えっと……。ごめん、知秋ちあき。ちょっと怒りすぎた」

「ミカ姉は悪くないよ。思いっきりぶん投げたのアタシだし」


 マスターのお店に迷惑をかけた。

 その事実が背に伸しかかる感覚は、アタシたちにとって同一のものだった。


 そんな暗く落ち込んだ雰囲気の中で、かえでは淡々と珈琲の準備を進めている。


「……ったく。これ飲んでさっさと帰れ」

「フウ兄冷たい。珈琲も心もあったかくしてー」

知秋ちあきはブラックのアイスコーヒーか。分かった」

「冷たいどころか、さらに苦くなった!?」


 手元に用意されている道具からして、かえではホットのカフェオレを作ろうとしてるのが見て取れる。

 ツンとした表情で知秋ちあきの要望とは真逆のことを言っていたけれど、元からそんなつもりは無かったみたいだ。


「ミカ姉ぇー。フウ兄が冷たいぃー」

「冷たくされない要素があったと思ってる?」

「こっちもやんわり冷たい!?」


 滑り込む形でお腹に抱き着いてくる知秋ちあき

 突き放したりとかはしないけれど、少し手に力を込めている知秋ちあきの頭を、アタシはそっと撫でてみる。


 泣いてはいない。

 ただそれだけだから、出来る限り声を荒立てず落ち着いた声を出したつもりだった。


「フウ兄ぃ!」

「いやもう、うるせぇよ知秋ちあき。これ以上は付き合わねえぞ」

「……思ったよりもドライっ! ――あっ、ありがとう。フウ兄」


 アタシとかえでで行ったり来たりする知秋ちあきは、出来上がったカフェラテを出され、急にしおらしく席に座りニコニコと笑う。


 昔から忙しない子だったが、今もそれは変わらない。

 明るくほんのり温かい秋空の下で、元気に走って遊んでいるような子だ。


「だいたい。何で知秋ちあきが花束の配達してたの? 今日って診療所に行く日じゃ無かったの」

「まるでアタシが病院通いみたいに言わないでよ。行くには行ったんだよ? でも、ここちゃんに追い返されて」

「追い返されたって、お前何やったんだよ」

「んーやったというか、やってないからというか」


 歯切れの悪い返答。

 アタシとかえではお互いに顔を見合わせて、それらしい理由を思い浮かべる。


 小さな事で喧嘩をしたのか、それとも用事を忘れて診療所に行っていたせいか。

 それとも診療所の方で何かがあったのか。


「受験勉強しろって追い返されちゃって。当てにしてた松永さんも、今日はいなかったし」

「……その子、今年で中学に上がったばかりだったよね」

「お前。いくらうちの高校が入りやすい所っつっても、限度はあるからな」

「あっはっは。分かってるって、ミカ姉フウ兄。……うん、分かってるよ」


 信用ならない動きで、視線をアタシたちから逸らし続ける知秋ちあき

 笑ってる声にも張りが無く、彼女が身を置いている状況が目に浮かぶ。


「うー……。ミカ姉、勉強教えてー」

「アタシ? あーそっか。アタシしかいないのかあ。本当なら雨宮とかに頼むところなんだけど」

「受験生に受験生の面倒を見させるとか、正気じゃねえぞ」


 雨宮あめみやは今年大学を受験する予定で、西東さいとう君や桜野さくらの君も同様。

 知り合いの中で呼びやすいメンツは、誰もが自分だけで精一杯のはず。


 そう、受験と言えば――


かえで。アンタは大丈夫なの」

「……何がだ」


 カップに珈琲を注ぐ手が、ピタリと止まる。

 少し間を置きコーヒーサーバーを再び傾けるかえでは、何事も無かったかのように言葉を放つ。


「何ってそりゃ受験よ、受験。アンタ専門に行くって前言ってたけど、そこのところどうなのかなって」

「別に。お前がそこまで気にする事じゃないだろ」

「まあそうだけど……」


 雨宮はバイトの時に話題の一つとして挙がり、問題どころか余裕すら感じさせる雰囲気すら出していた。

 西東さいとう君も桜野さくらの君も、この前うちにパンを買いに来た時、二人とも自信はあると言っていた。


 ならかえでは?

 そういう話を一切聞かない彼を気にしてしまうのは、当然というべきだ。


「お前が相手すんのは、俺じゃなくて知秋ちあきだろ」

「そう言って、本当は危なかったりするんじゃないの」

「まさか。そんな訳ねえだろ」


 アタシの前にコトっと置かれるメープル・マキアート。

 以前とは違い時間がある中で作られている為か、描かれている楓の葉に雑さは無い。


 いつもなら味比べと言って、ハニートーストを持ってくるところだけれど、今はそんな気分ではない。


「……なら、良いんだけど」


 アタシたちの飲み物を作り終えて、かえではマスターの下へ手伝いに戻っていく。


 その背中を見届けるアタシは、出されたメープル・マキアートに口を付ける。

 口の中に広がる珈琲の味を確かめながら、アタシは誰に聞かせる訳でも無くそっと呟いた。


 ――良くない。

 そんな根拠のない言葉が喉まで出かかって、絞り出された声は霞んでいた。


「まあアタシと違って、フウ兄なら大丈夫でしょう。ミカ姉も気にしすぎだって」

「別に気にしてない。かえでが専門に行こうが、どこへ行こうが関係ないし」

「ええー。アタシはいなくなっちゃうの寂しいけど」

「そんなの本人の自由。アタシたちが口出しする事じゃない」


 アタシの時は最悪だった。

 高校の先生の本音は見え透いている人たちが多くて、真摯に向き合ってくれた人たち以外は、進学を勧めてくるか無関心だ。


 この大学に入れば、君の将来の為になる。

 そんな進路相談で投げられた言葉を、アタシは聞く耳を持たず一蹴した。


 そこには相手の思惑しかなく、アタシの意思は無かったから。

 だから……。


「だからアイツが大丈夫って言うなら、アタシはそれを信じる」


 甘い香りを広げるメープル・マキアート。

 一口目の風味はまだ残っているけど、アタシはもう一口、味を確かめる。


「……あのバカ。悩んでるなら言いなさいっての。苦くて飲んでられない」


 甘いメープルとミルクの中で主張してくる苦み。

 珈琲なら当然ある苦みではあるけれど、今日の一杯はいつにも増して、苦々しく感じた。

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