4.オータム*チョコレート
木組みの店内に、古びたレコードから流れるジャズ。
店に入ると、まず目につくのは取り揃えられた珈琲や紅茶の品々。
手に取って直に確かめられる物から、ショーケースに飾られた高級品まで。
この喫茶店――Dayoffのマスターの趣味で並べられた数々の品は、見ているだけでも楽しめる芸術品たち。
そこから少し奥に進むと、本命の喫茶店スペース。
カウンター席とこじんまりとしたテーブル席の二択しか無いが、欠点となるどころか魅力の一つとなっている。
整えられた黒髪をオールバックにし、バーテンダーの制服を着こなすマスターを前に、大人な雰囲気で一杯の珈琲を楽しめる店内席は、一部の人からは絶大な人気を誇っていた。
「さてお嬢。次回の案だが……」
「あのマスター。お嬢って呼ばれるの、やっぱり恥ずかしいんですけど」
「それは難しいな。お嬢はお嬢で、俺もそう呼び慣れているからな」
無駄に渋い声で話すマスターは、
ビシっとした姿勢で洗った食器の水気を拭き取る姿は、それだけでも卒倒する人はいるだろう。
程よく鍛えられた全身に、常に笑顔にも取れる細目。
優しさを含んだ声音と切れのある仕事ぶりは、まさに店の顔として相応しい。
ただ厳つく危ない雰囲気も内包したマスターの様相で、アタシのことをお嬢と呼ぶときは恥ずかしさが込み上げてくる。
「今更、他の呼び方も思いつかなくてね。悪いな」
「まあアタシも違う呼ばれ方だと、しっくりこないですけど」
少し照れながら笑うマスター。
その表情にトクンと鼓動が早くなるけれど、脳裏に過ぎったのは違う面影。
顔に熱を感じるアタシは、手に持って操作していたスマートフォンに視線を落として、元の話題へと軌道修正をかけた。
「それはそれとして。次の企画のことですよね」
「ああ。ハニカム・ベーカリーとDayoff合同、ハロウィンイベント。蜂須賀夫妻にしては中々いい案だと思う」
今回、アタシが喫茶店Dayoffでマスターと話をしている理由。
それはうちの両親が考えた、ハロウィンイベントの打ち合わせの為だ。
「すみません。いつもうちの両親がご迷惑を……」
「いいさ。あのハチャメチャ感も嫌いじゃない」
今まで引き起こされた珍事の数々を、マスターは笑って流してくれるけれども、アタシとしてはそうもいかない。
コラボ商品ならまだしも、各季節ごとのイベントに合わせて行った際に、SNSに掲載される事件も時にはあった。
桜の花を模したパンを千切ったら、自家製桜ジャムがドロッと大量に出てきて、流血を連想させるパンを出そうとしたり。
スイカ割りとか言って、巨大なボール状のパンを割るイベントを、商店街を巻き込んでやったり。
雪のように大量の砂糖で埋めた、揚げパンの掴み取りとかもあった。
「でも、SNSでは反応が良かったんだろう?」
「ええまあ、それは否定しないですけど。世界に親がやらかした事を広められるのは、凄い恥ずかしいです」
両親に代わり、ハニカム・ベーカリーのSNSアカウントを管理しているアタシは、毎度毎度なにかあるたびに頭を抱えていた。
高校の友達に相談をし、四苦八苦しながら運営しているアカウントのフォロワーは、不定期ながらも一気に増えることがある。
だいたいは両親が引き起こした珍事が原因で、その他は気まぐれに上げる店員の紹介などだ。
「だとしたら次の企画も、お嬢にとっては酷なイベントだろう」
「うっ……。やっぱりですか」
「十中八九。あの夫妻なら仮装を推進する」
今一番に相談したかったことを、マスターはずばりと言い当ててくる。
本来の仕様や実施する理由は知らないけれど、日本でのハロウィンというと、
そして家々に訪問して、こう言うのだ。
――
「なら問題は衣装だな」
「その衣装なんですが、アタシ最悪のを見ちゃって」
「ほう。それはいったい……」
コトっと磨いたコーヒーカップを置いたマスターは、アタシの話に耳を傾けたまま珈琲を淹れ始める。
じっくり丁寧に淹れられる珈琲の香りが店内に広がり、一瞬だけアタシの心が軽くなる。
けれども昨日見た光景を思い出すと、両手で顔を覆いアタシは呻いてしまう。
「店の更衣室にある、使っていないロッカーの中に有ったんです。見覚えのないコスプレ衣装が……! しかもサイズがアタシにピッタリのやつがっ!」
「それはまた。倅に一目見せてやりたいものだな」
「なんでそこで
何を考えての発言なのかは分からないが、アタシはマスターに抗議する。
どうしてしたくもないコスプレをして、わざわざ
仮に着ることになっても、自分から見せに行くと考えられない。
「――えっ、なになに。ミカ姉、フウ兄の為にコスプレするの?」
「ば、バカ! いきなり来て意味分かんないこと言わないで、
ぐるぐると回る思考と熱くなっていく顔。
そこへひょっこりと顔を出してきた少女の言葉で、発熱はさらに加速する。
「いやだって。マスターに花を届けに来たら、ミカ姉がコスプレだ何だって言ってたから」
「コスプレじゃなくて、ハロウィン! ハロウィンの仮装のこと!」
「ああー。なんだそっちか」
店に有った衣装自体はコスプレの物だが、アタシは少女へ必死に弁明する。
色とりどりの花がまとめられた花束を抱える少女は、あからさまにため息をつく。
活発な印象を受ける小麦色の肌に、お団子にした茶髪と元気に満ちた茶色の瞳。
アタシをミカ姉、
「ハロウィン。ハロウィンかあー。今年はここちゃんたち大丈夫かなー」
「あの診療所の子? 体弱いんだったら、無理させちゃ駄目だからね」
「んー、今のあの子だったら無理をさせるというより、無理をしそう。
何か遠い目をする
この子が昔から仲良くしている町はずれの診療所の子供は、アタシは直接会ったことは無いけれど、聞いている話だけなら人混みを避けた方がいい体をしている。
そんな子の話をしている時だけは、
「それよりもミカ姉。どんな衣装着てフウ兄を籠絡するの?」
「アンタ。店を出禁にされたいの」
「着る服を聞いただけで!? ――……あっ」
「おっと。気を付けなよ、
セクハラ紛いのことを言った
宙を舞う花束にアタシと
にこやかに笑っているマスターだが、流石の
ゆっくりと膝を折り、喫茶店には似合わない土下座をし始めた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ごめんなさいマスター」
「いや大丈夫だよ。お陰でブーケトスを受け取る気分を味わえた」
「全然大丈夫じゃないです、マスター! 思いっきり店内に花びら舞ってますから!」
涙目で謝罪する
両者の中に不和が起きることは無かったが、代わりに店内は冷え固まった空気となっていた。
他のお客さんもいるにも関わらず、色彩豊かな花びらは店内を好き勝手に舞い。
事態を見ていたお客さんたちは、総じて引き気味になっている。
「おい親父。何がどうしてこうなった」
「ああ
「いや分かんねえよ」
丁度休憩が終わり、店の裏手から顔を出した
フッとキメ顔で説明になっていない説明をするマスターは、大慌てで花びらをかき集めようとするアタシと
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