2.オータム*スプリング

 空がどんよりと曇ったお昼過ぎ。

 雨が降りそうな気配を匂わせる今日は、忙しかった昨日が嘘のようにお店へ人が来ない。

 決して人が来ない訳ではなく、まばらに来るため気を抜こうにも抜けきれず。


 カウンターに用意した椅子に座り、今トレーを持ってくるお客さんをひたすら待つ。

 つまりアタシは暇に暇を重ねて、売れるほど暇を持て余していた。


「えっと、こころさん? 流石の私でもこの量は無理ですよ」

「ダメです。栄一えーいちさんは目を離すと、すぐご飯を食べなくなるので。今だけでも一杯食べるべきです!」

「熊じゃないんですから。もうちょっとお手柔らかに」


 今店内に残っているお客さんは、綺麗な女の子と頼りなさげな男性の二人組。


 女の子の方はこの辺りの中学の制服を着ていて、肩口にまで伸びた髪とまん丸の瞳は、黒い宝石みたいで同性のアタシでも気になってしまう。

 華奢な体つきと低身長、色白の肌に時々見せる春のような明るい笑顔は、外から様子を見ているだけでも庇護欲が掻き立てられる。


 男性の方はYシャツにズボンと如何にもビジネスマンと言った風貌で、物腰低い態度は人畜無害さを全身で表している。

 印象としては簡単に折れる枝なのだが、少女の隣にいる彼の目は、不思議と光に満ち溢れている気がした。


「…………事案?」


 トレーとトングを持ち、少女の要望に出来る範囲で応えようとする男性。

 彼の隣で何かを力説しながら、大量のパンを買わせようとしている少女。


 実に微笑ましい光景で見ているだけでも癒される。

 癒されはするのだが、なにぶん親子にも歳の離れた兄妹にも見えず、お客さんに対して失礼な想像をしてしまう。


「きっと親戚かなにか、だよね。そうであって欲しい。あの二人でそういう関係とか、全然イメージできない」


 もうあの二人が話している空間に、桜の花びらが見えるくらいほんわかするイメージを無くしたくないので、後ろめたい想像を頭を振って消し去る。

 やけに少女が男性との距離を詰めていたりとか、信頼関係を築いた上での距離感なのだと自分を説得していく。


栄一えーいちさん。これ、これです。わたしこれがいいです」

「カレーパンですか。こころさん、辛いの駄目ですよね。良いんですか?」


 嬉々として少女が指を指したのは、俵型のシンプルなカレーパン。

 男性の口から少女が辛い物が駄目なことを知ったアタシは、心の中で一つの謝罪を述べていく。


(――ゴメン。うちのカレーパン、そんなに辛くないんだ)


 カレーライスで例えるなら甘口に分類されるくらい、うちのカレーパンは辛さを抑え目に作ってある。


「チャレンジです! わたしだって、いつまでも子どもじゃありませんから」

「辛くて泣いても知りませんよ」

「わたしはこれくらいじゃ泣きません!」


 からかう男性に少女は白い頬に赤みを持たせて、むぅーと膨らませる。

 その動作の可愛さのあまり、アタシはついつい頬を緩ませてしまう。


「――貴女も昔はあんな感じだったのに、人間成長すると純粋さが無くなるわね」

「お母さん。いきなり現れて何言ってるの」

「まったくだ。パパと呼ばれていた頃が、今では嘘のようだ」

「いやアタシ、お父さんをパパって呼んだこと一度も無いよ。それ完全に嘘だよ」


 アタシの後ろで顔を覗かせるアタシの両親は、口々に有ること無いことを言っていく。


「お休みの日に、意地でもお隣のかえでくんと一緒に居ようとしたり。彼が練習で淹れた珈琲を、泣きながら飲んだり。文房具とかアクセサリーとか、何でもかんでも楓の葉っぱの奴を探したりとか」

「そうそう。結婚するとしたら俺ではなく、かえでくんとするって言ったりな」

「はっ、はあ!? そんなことしてないし! ただ年上として心配してただけだし」

「そうねぇ。やたらお姉ちゃんぶって、苦い思いをいっぱいしていたわね」

「うぐっ……!」


 掘り起こされていく過去の自分。

 自分でも分かるくらい顔が熱くなり、褪せていた記憶も色味を出し、脳を駆け抜けていく。


 苦虫を嚙み潰したようにアタシは顔を歪めるが、両親から語られる思い出は止まらない。


「何か壊したりしたら、二人ともお互いを庇ったりしちゃって。喧嘩も多かったけど、同じくらいずっとピッタリで――」

「止めて。本当に、それ以上は止めて。超恥ずかしいから」

「ふう。仕方ないわね。仕事に戻るとしましょうか」

「そうだな」


 まだまだ仕事の時間は残っているのに、成し遂げた表情で両親は元の作業場へと戻っていく。


 あの少女を見て昔を懐かしんだ結果、話が盛り上がったのは分かっている。

 幼少期のアタシとアイツが仲良くて、姉弟みたいによく一緒に居たのは、否定しようもない事実。


 だけど今は、昔ほど仲が良いとは思っていない。

 少なくともアタシ自身は。


「……仲良くなんて、ないし」


 アタシが高校に上がってから、今に至るまで。

 人付き合いの変化もあるだろうが、それ以上にかえでがアタシから距離を取っているように思えてしまう。


 今年アイツは受験生だから?

 卒業してすぐにアタシが家のパン屋で働き出して、単純に会う機会が減ったから?

 ただそれだけの理由なら、避けられていると感じたりはしない。


「――お姉さん、イタイんですか?」

「えっ……?」


 か細い少女の声が耳を打つ。

 我に返ったアタシの目の前には、澄んだ眼差しでこちらを見る少女と、パンが積まれたトレーを抱える男性。


 パンを選び終えて会計を済ませようとしたところ、アタシがぼおっとしていたから声をかけたのだろう。


 だけどなぜ――


「イタイって。いやアタシ、どこも痛くないけど?」

「それならよかったです。でも、イタイときは、ちゃんとイタイって言った方がいいですよ」

「う、うん。そうだね」


 春の陽気を纏った少女の笑顔。

 さっきまでなら頬が緩む可愛らしいものだったのに、少女の放った一言で、その真逆の感覚に心臓が飛び跳ねる。


 隣の男性は苦笑いをしており、謝罪のつもりか軽く頭を下げていた。

 少女も少女で、男性が頭を下げているのに気がつき、少し考えこんだ後、恥ずかしそうに俯きながら男性の背中へと隠れる。


「突然こころさんが済みません。困らせたかった訳では無い筈なので、さっき発言は気にしないで下さい」

「いえ。ぼおっとしているところに声をかけられたので、ビックリしただけです。お会計ですね。少々お待ちください」


 男性からトレーを受け取り、パンの一つ一つを確認しながら精査していく。

 今もまだ心臓がバクバクと動いたままで、少しだけ手も震えていた。

 背筋も冷え、声もしっかり出ているのか自信がない。


 結局会計が終わっても心臓の鼓動は治まらず、帰り際にペコリと頭を下げた少女を見ても、アタシは心から笑えなかった。


「かっこ悪い……」


 脱力した体を椅子に預け、目新しさの欠片もない天井を見上げて言葉を漏らす。

 見ず知らずの女の子から言われた言葉に、一々肝を冷やしていたのでは、かえでたちどころか、高校の後輩たちにすら顔向けできない。


 きっと深い意味はない。

 そうに決まっていると深く息をつき、心臓の鼓動が治まるのを静かに待つ。


 それからというもの。

 暇なことには変わりないのに、頭に残るあの少女の言葉が、アタシの意識を休ませてくれない。

 嫌な疲労感を感じながらも接客を続けていると、見慣れた人影が店の扉に手をかけた。


「ミッカ先輩。かわいい後輩がバイトに来ましたよー」

「それ自分で言うなよ、雨宮あめみや


 他のお客さんもいるというのに、雨宮あめみやは小恥ずかしいことを言いながら、アタシに笑顔で手を振ってくる。

 隣にいたかえでも、雨宮あめみやと同じく高校の制服を着て、彼女の言動に少し顔を引き攣らせていた。


 そんな二人の様子は馴染み深いもので。

 無意識に緩んでいた口元を吊り上げて、そっぽを向く。


「遅い。さっさと支度しなさい、雨宮あめみや

「ちゃんといつも通りの時間に来たんですけど!?」


 驚愕しながらも、バタバタと店奥の更衣室へ向かう雨宮あめみや

 取り残されたかえでに、アタシは目を合わせられずそのまま言葉を続ける。


「別にアンタは待ってないんだから。早く自分の店に行きなさい」

「分かってるっつぅーの。雨宮あめみやの奴にここまで引っ張ってこられただけだ」


 やけに熱さを感じる顔は、きっと周りから見たら真っ赤になっているだろう。

 なのに何かあったのかと聞くどころか、ため息混じりに背を向けて店から出るかえでは、扉が閉まり切る直前に――


「……うるさい、ばか」


 人のことを言えない癖に、何かあるのなら話せって。


 声はうまく聞き取れなかった。

 けど何を言ったのか、唇を読めなくてもアタシの心には伝わってしまった。

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