短編集『KACお題でライトノベル時代劇』
石束
霹靂に至る ―善住坊異聞―【KAC20191『切り札はフクロウ』】
一.
相手からの攻撃を避けるのであれば、できるだけ、可能な限り、相手から遠ざかるべきだ。
それが、物心ついて以来、来る日も来る日も殴られ続けた少年が得た、たった一つの真理だった。
彼は多少の誤解をものともせず、決然として言い切る。
戦いにおける間合いとは、相手の手の届かぬ場所から、相手を殺せる距離のことである。
こぶしをもって殴ってくるなら、蹴る。
蹴ってくるなら、棒でなぐる。
棒の相手は、より長い槍で突けばよい。
槍を構えているなら、礫(つぶて)を投げる。
礫を握っているなら、弓で射る。
ならば、殺し合いの要諦は、つまるところ、相手が届かぬところから、蹴りで殺せるか、棒で殺せるか、槍で殺せるか、礫で殺せるか、弓で殺せるか。
要するに、これに尽きる。
そうして工夫するうちに、間合いのうちには、潜みあるいは隠れる、という手があることにも気づいた。
これは大いなる発見だった。
潜み隠れることに長ずれば、相手に近づくことができる。
近づけば、殺しやすい。
蹴りでも、棒でも、槍でも、礫でも、弓でも、近づけば近づくほどに、「仕事」は容易になった。
たとえ技が拙劣であっても、殺しうるのだと理解できた。
相手が届かず、かつまた、相手を殺しうる間合い。
近づけば近づくほど、劇的に、容易くなる。
彼は、さらに考えた。
どこまで近づけば殺せるか? どこまでならば近づいても殺されずに済むか。
どこまでも交わらぬ問いこそ、どこまでも追求すべき目じるしに他ならない。
そして、少年は刻苦して追求し、やがて、自分を殴り続けた相手を、一度の反撃も許さず『仕留めた』
その後、彼の仕業を知った里の他人どもは、『フクロウ』めが、などとも呼ぶようになった。
枯れ木のように薄い体にもさもさとしたコモを被り、伸び放題の髪の奥で大きな目玉をぎょろぎょろと落ち着きなく動かすさまは、まるで森の闇の中にうっそり佇むフクロウそのままだった。
だが、実のところはそれだけでもなかった。
なんでも、フクロウは母鳥を殺してその肉を食らうそうで、ゆえに分限も情も徳も義もわきまえず、恩義を感じ感謝し本来は誠心誠意仕えるべき相手を討ち果たしてのし上がるものを、『梟雄』などともいうらしい。
つまり、少年の一番最初の獲物は、少年の親だったと、そういうことだ。
二.
山に行き猟をした。
里に獲物を持って行けば、交換でなにがしかの買い物もできた。
生まれ故郷はとうに離れた。里は余所者にもハグレ者にも厳しい土地柄でこそあったが、力さえあれば認めてもらえた。
だが、彼にとって人付き合いは面倒なばかりで、長い猟にでるような気持ちで住処を変えている内に、いつか知らない場所に移った。
そんな里心の薄い旅立ち方になった。
少年は山から山、村から村へ。隠れ潜み流れ移って、流離(さすら)った。
そうする間も少年は「間合い」について考えていた。相手の武器が届かぬ距離で、なおかつ、自分だけが相手を殺せる距離。
彼は、その頃になってなお、その間合いを探していた。
それは何も狩りや戦いだけではない。
暮らしも、付き合いも、情交も、営みも。
ありとあらゆるものの基本に、その間合いを探った。
そうする内、彼はある『武器』とめぐり逢う。
蹴りでも、棒でも、槍でも、礫でも、弓でもない、その武器の名を『鉄砲』と、いった。
南蛮から種子島へ火縄銃が伝わって、100年と過ぎていなかったが、どうやってかそれを手に入れた彼は、いかようにしてかその扱いに習熟した。
あるいはその時だけでも生まれた山に舞い戻り、何かしらを学ぶか盗むか奪ったのかもしれない。
いずれにしても。鉄砲(これ)以降、彼の間合いは決定的に確固たるものになった。
弓や罠。風の読み方、闇を見透かす『見』の技。音もなく駆け、気配もなく立ち去る術。
猟師として培ったそれぞれは、一つも余すことなく、彼の血肉となった。
いつしか彼は、少しは知られた一廉(ひとかど)の鉄砲撃ちになった。
三.
里から森へ向かう山道をすこし登ると彼の猟師小屋がある。
普段里へ下りぬ彼のもとへ、時おり里のものが訪ねてくる。「野菜を持っていくと、山鳥や兎や鹿肉と交換してくれるから」というのがその理由だ。
ただ大人が野良の帰りに鍬を持って訪ねると何故か不機嫌になるので、使いは里の子供の仕事ということになっている。
彼は子供が訪ねていくと、余計に木の実をくれたりする。
これは彼自身が大人になり体ができて子供を警戒しなくなったことが一つ。もう一つはこちらから殴らなければ、子供は殴ってこないことがわかったからだ。
泣いて不機嫌なのは大抵、腹が減っているからで食いものをやれば大抵泣き止む。
腹が満ちていれば敵にはならない。
だから木の実やあけびをくれてやる。物をもらい笑った子供はけして彼に刃を向けない。
そのあたりが、大人は違う。
大人は、物をやり笑顔で礼をいってきても、いつ殴りかかってくるか、わからない。
己の腹が満ちていようが、いまいが関係なく。
いちばん多く彼の小屋を訪ねるのは「さと」という小娘だ。里の長者のやしない子で、いずれは下働きになるのだろうが、今のところ一番の仕事は猟師小屋にくることだ。
彼は子供の口にもあう木の実を用意していた。
おかっぱ頭に明るい顔色の「さと」は身にまとう着物こそ粗末なお古だったが、いつもこざっぱりしていた。また、なかなかに頭が良くもあり長者の口上もきっちり覚えて伝え間違うことがなかった。
なにしろ村の寄合の時に、唱える様々な言葉や、歌をいつのまにか覚えているのだ。
いやいや覚えているばかりが、大人より達者に諳んじて見せる。
得意の一節を披露した後で彼が手を打って感心すると、得意げに顔をそらして胸を張る。
「われやさき、ひとやさき、きょうともしらず、あすともしらず、」
その言葉を、その意味を。彼は知らなかった。跳ねるように、笑うように明るく歌われるその言葉の意味を彼はしらない。モノの役に立つような言葉だとはおもえなかった。
「……おくれさきだつひとは、――しといえり。されば――」
だけれど。彼は「さと」のことは、ただ無心にほめた。
笑顔の子供は、自分の間合いには踏み込んでこない。
殴られないのなら、逃げる必要もない。
殺されないのなら、殺さないでいい。
ほっとした。
「さと」の笑顔に、ほっとした。
四.
幾歳(いくとせ)か、季節はめぐった。
突然、里は炎に焼かれて、砕け去った。
戦があったのだ。
ごうごうと茅葺(かやぶき)の屋根が燃えていた。
実りを待つ稲は無残に踏み荒らされ、苦心して積まれた畔も堰も砕かれていた。
モノ取ではない。人狩りでもない。
ただ殺すために殺す。人の生の営みから全く無縁の残虐がそこここに転がっている。
夏の青空の、無慈悲な日の光の下に、命のとまった躯だけが捨て置かれていたのだ。
そのただ中を、彼は茫然と歩き続け、やがて見つけた。
山道の脇、溝にはまり込むようにして、亡骸は捨て置かれていた。
帯を切られ、裾をまくり上げられた姿でこと切れた女で、それは、出会った頃より少し大人びた「さと」だった。
やがて、彼は知った。
村が一向宗の隠里であったこと。そして、村を焼きつぶしたのが尾張から来た織田上総介なる武将の手勢であったことを。
彼は、久方ぶりに、相手との間合いを測らねばならぬ、と感じた。
この際、相手はどうでもよい。
彼はフクロウだ。親すら喰らうフクロウだ。
相手が神であろうが魔王であろうが、間合いに入れば殺してみせる。
この胸にたぎる、おそらくは憤怒とでも呼ぶべきものが届く距離であれば、この際、相手の武器がなんであろうと、どうでもよい。
そうとも。
此度こそは、相手の届かぬ距離よりも、相手を殺せる距離を測らねばならぬ。
彼は、はじめてそう思った。
◇ ◇ ◇
元亀元年、越前からの撤退後。京に逃れていた織田信長は皐月の頃、岐阜へ向かう。
途上、近江国の千草越えにおいて狙撃された。2発撃うたれたが、信長はかすり傷のみであった。
完z
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