笑顔の未来へ―らくご夜明け前―【KAC20224『お笑い/コメディ』】
むかしむかしの、お話です。
長い長い戦乱の時代がようやく終わり江戸時代になったばかりの頃の京の都。
寺町は誓願寺のご門前の石段に腰かけて一服していたご隠居の前に、小僧が一人泣きながら歩いまいります。
どうしたものか、と聞いてみればこの小僧さん、お世話になっているお寺のご住職に
「説法するにも人が居ぬでは話にならん。町の衆の三四十でも連れてこい。連れてこれなければ帰ってくるに及ばず」
と寺を追い出されたというのです。
◇◆◇
花の江戸は「八百八町」、水の都大坂は「八百八橋」などといいますが、そこへいけば京の都は「八百八寺」。
ことに鴨川そばの寺町という場所は太閤秀吉さまのご命令であっちこちのお寺さんを集めたので、そこらへんお寺だらけの町。
それだけお寺があると檀家さんをあつめるのも一苦労です。
立派な門やお堂があるお寺はほっといても見物人が来ます。偉い方や有名な方とのご縁があれば観光地になります。ご本人のお墓なんかがあるとベストですが、人間の体には限りありますので、髪の毛とかツメをおさめて供養塔というのもアリですな。いっそ住職や尼さんがイケメンとかイケジョだったりするのもいいでしょう。
お坊さんとしては自分の寺にお客さん……ではなく、お参りの方を集めて説法などいたし、入場料……ではなくお布施などいただき、あわよくば固定客……でもなく檀家さんになっていただこうと、あの手この手でしのぎを削っていたのです。
そんなこの時代、各お寺さんが力を入れたのが「説法」でした。
お坊さんのお説教といえば仰々しく堅苦しく難しく、眠くなってくるのが相場だったところを、み仏の教えを分かりやすく例えば絵図して、やさしく楽しいお説教をするところなどもでてきたのです。
そして――その道の達人といえば、誓願寺第55世の法主にして、今はその座を退き塔頭のひとつ竹林院に隠棲して安楽庵と称する策伝上人ですが――それはともかく。
ご隠居さんは「うーむ」と頭巾を脱いで丸坊主の頭を搔きました。
「むちゃをいう和尚さんやな。……よしよし、小僧さん、わしが一つ良い方法を教えてやろう」
隠居さんは小僧さんの顔を覗き込んで話し始めました。
「これから儂が話す『笑い話』を覚えて、人の沢山いるところで話してみなさい。きっとみんな小僧さんのお寺に来てくれるから」
「へ? そんなん、私にでけるわけあらへんよ?」
「まあまあ、そういわんと聞くだけでも聞いてごらんな。な? ――たとえば、そうやな。小僧さんは『お世辞』を言うたことあるかい? お世辞はウソとちごうて悪いことやない。上手なお世辞は人を良い気分にするものや」
小僧さんは半信半疑でしたがご隠居さんは中々の話し上手。知らず知らず引き込まれて、オチのあたりではすっかり涙を忘れて、笑っていました。
「これこれ、笑うばかりではあかんやろ? 噺(はなし)を覚えて小僧さんが町衆に話すのや」
「もう、いっそご隠居さんがやってくれたらいいのに」
「意外とずうずうしい小僧やな」
泣いたカラスがというべきか、ご隠居さんの話が終わると小僧さんの顔に笑顔が戻ってきました。
――が、笑っていられたのもここまでした。
「こら。ちゃんと覚えんかい」
「人の名前間違てどないすんねん」
「余計なことをいわんでよろし」
「相手の目をみて話すんや!」
「説教はな。年寄りの方がありがたみが出る。けど小僧には小僧にしかできん話し方があるのや」
「笑われたらあかん。笑かすんじゃ」
烈火怒涛罵詈雑言。ご隠居のダメだしは小僧さんの魂を滅多打ちにします。
それはもう、とある年のM〇グラ〇プリの準決勝のようでした。
しかしどこにも逃げようのない小僧さんは耐えました。
舞台の四方は無限の奈落。一度上がれば逃げ場などないのです。
そんな魂のぶつかり合いにもにた激稽古が続き――
「師匠。勉強させていただきました」
べたりと石段の前に土下座する小僧さん。ご隠居さんは鷹揚にうなずきました
「うん。今のはよかったんちがう? まあ、最初からガンガンいく君もみたかったけどね」
あんたは、審査員席のオ〇ル巨〇師匠ですか。
――とまれ。こんな具合に小咄(こばなし)を一つ教わった小僧さん。ご隠居さんの紹介で、近所の錦市場で言われたとおりにひとくさり、話し終わるとやんやの喝采を浴びました。
錦市場の人たちはとうぜんお話が「誰の原作か」までわかったのですが、小僧さんの話がかなりこなれていた(猛特訓の成果)だったのと、話の細かい部分をご隠居さんが小僧さんが話しやすいようにチューニングとかもしていたので、若い奥さん方にもウケたのです。
お寺の宣伝も大成功です。お店の前を貸してくれた干物屋さん(ご隠居さんの知り合い)も客寄せになったと大喜びで、「またおいで」と言ってくれました。
小僧さんはそれはもう弾むような足取りでお寺に帰りました。その後からは急ぎの用事のない町衆がぞろぞろとついていきます。
こうして、人も寄り付かなかった小僧さんのお寺は、珍しくお参りの人が増えたのでした。
◇◆◇
しばらくたった、ある夜。
それはあるいは、虫の知らせというべきものだったのかもしれません。
ふと見上げたそらから降りくる白いものをみとめて、
「さむいと、おもたら……」
終の棲家と定めた安楽庵の枝折戸を開け、策伝上人は二歩三歩と表にでて――そこで地面にうつぶせに倒れ伏している小さな人形(ひとがた)を見つけるのです。
行き倒れ。それも子供の行き倒れか。と慌てて駆け寄ります。
策伝和尚の故郷は美濃国。生家の金森家は地元では知られた富強で、兄長近は織田信長の母衣衆として勇猛をうたわれた人物でした。ですが、策伝自身はそのような生き方が身に合わず仏門に進みました。
弱いものが強いものに虐げられる。その輪廻から逃げたければ自分が強くなるか、それとも己よりも弱いものを見つけて虐げる方にまわるしかない。
それが常識とまかり通る世の中のありようがどうしても真っ当に思えず、阿弥陀仏の教えにすがるほかなかったのです。
無慈悲な戦で小さな命が失われる痛みは身に染みていました。
「しっかりしなさい! なんで、こんな小さなこどもが!」
抱き起こすと驚くほど軽い体にはまだ、わずかに温もりが残っていました。
和尚さんが、顔にかかった泥と雪を払うと幽かに目が開きました。
「あ……あれ? し、師匠?」
それは、いつか誓願寺の石段の前で出会った小僧さんでした。
「小僧さん! どうして?」
「お参りの、人が『小僧の話は面白いのに坊主の説教はつまらない』といいだし、て……お、和尚様に事情を話したら『客寄せに笑い話など言語道断。貴様もあの策伝のマネをするのか』と大層お怒りになって」
――私の、せいか!――
浅慮だった! 軽はずみだった! 考えが及ばなかった!
小僧さんの寺の僧侶がいかなる人物であるか、話の端々にも分かりえた。否。一歩進んでどこの寺の何者か調べることも、自分であれば容易かったというのに!
「すまん。すまん。ごめんな。小僧さん、ごめんなあ」
この子を、このような寒空に追い出すマネを許した。これは策伝一生の不覚。
「ごめんな。ごめんやで、小僧さん………」
◇◆◇
「…………なるほど。そのような事情でしたか」
京都所司代、板倉周防守は、普段着のまま庭先にたって薄く積もった雪を眺めやり、ひとつ頷きました。
縁の上にはまさに白衣の上に炭のような黒衣をまとい、袂を広げて広げて平伏する僧形があます。
ご隠居さん。――いいえ。もう安楽庵策伝和尚と申しましょう。
「策伝、本日は、滑稽譚ではなく恥を語りにまいりました」
「それは残念。息子も私も御坊のお話を楽しみにしておりますのに」と周防守は目を細めました。
「が、そのお話なればご心配は無用です。『策伝上人ともあろう人が行き倒れの子供ひとり救おうとも、他者の弟子を奪うことなどない』と手前の一存にて、勝手ながら相手方の訴えを差し戻させていただきました」
板倉重宗。京都所司代として二代将軍秀忠の信頼篤く、また私心無く公平に処し、正直に決断することで難治の京を平穏に治めた名行政官と今に伝わる人物です。
あるいはそれゆえに、訴えを上げれば策伝に何かの瑕疵が与えられると企んだのかもしませんが、どうやら周防守の策伝への信頼が勝ったようです。
「しかし相手はいわば商売敵でしょうに、説法のコツなど教えてよかったのですか」
冗談めかした周防守の言葉にようやく策伝和尚は愁眉をほどきました。
「なに、ともにみほとけからの『のれん分け』ですから。売り物も少々装いが変わる程度で大差ございません。争うだけ損にございます」
「宗論はどっちが勝っても釈迦の恥、と申しましたな……」
大徳寺の一休宗純の言葉といいますが真偽はよくわかりません。
「都じゅうの僧侶がみな御坊のようであれば、私の仕事も少しはらくになるのですがな」
闊達にわらって周防守は「さらにもう一つお聞きしますが」と付け加えました。
「御坊の『噺』は、みほとけの教えを伝える方便でございましょう? いずれみほとけの教えと関係ない『噺』ばかりを話すものが増えたれば、これを遺憾となさいますか?」
「さにあらず。」
策伝和尚は答えて、雪やみの青空を見上げました。
「一つの話を一切衆生が皆おもしろいと笑うならば、そこには生老病死の苦もなく、争いもありますまい。まさしくこれ仏国土。仏地において仏道を忘れるならばそれこそは、弥陀の浄土にございます」
いつか、一つの笑いを、一切衆生がともにできる日が、必ず。
そんな未来を策伝和尚は願ったのです。
完
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