第1章 安西航 9

「はい、これどうぞ。安西さん。」


助手席に乗りこんだ茜がいきなり運転席に座っていた航に缶コーヒーを渡してきた。


「え?缶コーヒー?どうしたんだ?急に・・・。」


航は右手でハンドルを握り締めたまま尋ねた。


「ほら、初めてお会いした時・・・私、安西さんとぶつかってコーヒーを駄目にしちゃったじゃないですか?そのお詫びです。」


言いながら茜は自分の分の缶コーヒーをレジ袋から出すとカチリとプルタブを開ける。


「ああ、別にそんな事気にする必要なんかないのに・・・でも・・サンキュー。」


航は礼を言うと、ハンドルから手を離してプルタブを開けて、ゴクゴクと一気飲みすると茜が手を差し出してきた。


「はい。」


「え・・?何だ?」


「空き缶下さい。一緒に入れておきますから。」


みると茜もいつの間にか缶コーヒーを飲み終わっているようだった。


「ああ、悪いな・・。」


航は茜が広げたレジ袋の中に空き缶を入れると、茜は袋の口を締めた。


「よし、行くか。」


航はカーナビに目的地の住所を打ち込むとシートベルトをしめた。


「はい、お願いします。」


そして航はアクセルを踏んだ―。



****


車の中ではカーラジオが流れていた。そこから航の聞き覚えのある歌が女性の声で流れてきた。



てぃんさぐぬ花や


爪先ちみさちに染すみてぃ


親うやぬ寄ゆし事ぐとぅや


肝ちむに染みり―




「あ・・・、この歌は・・・。」


航がポツリと言うと、茜が言った。


「この歌、素敵ですよね~沖縄本島で昔からある歌で、いつ・どこで・誰が作ったかも分からない古くから伝わる沖縄民謡ですから。」


「ふ~ん・・・。そう言えば、あんたは沖縄の出身なのか?」


航はハンドルを握りながら尋ねた。


「はい、そうです。安西さんは違うんですか?」


「ああ。俺は東京出身だ。それに10月に沖縄に来たばかりだからな。」


「ええっ?!そ、そうなんですか?もうずっと前から沖縄に住んでいる人かと思っていましたよ!」


茜は驚き声を上げた。


「?何でそう思ったんだ?」


すると茜は言いにくそうに口を開いた。


「だ、だって・・・安西さん・・すごく日焼けしているし・・・便利屋さんて仕事をしているからてっきり地域密着の現地の人かとばかり思っていましたよ・・・。」


「はぁ?何だ?そりゃ。アハハハハ・・。」


航は声を上げて笑った。すると茜は気をよくしたのか航に尋ねてきた。


「でも、どうして東京からわざわざ沖縄に来たんですか?もしかして失恋でもしたんですか?」


茜は冗談めかして聞いた。


(まぁ・・・安西さんに限ってそんな理由で東京から沖縄にやってくるとは思えないけど・・・。)


「・・・・。」


しかし、尋ねられた本人・・航は押し黙ってしまった。


(朱莉・・・。今・・どうしてるんだ・・・?)


失恋と言う言葉を聞いて再び航は朱莉の事を思い出してしまったのだ。一方、驚いたのは茜の方だ。


「え?あ、あの・・安西さん・・ま、まさか・・ほ、本当に・・・?」


茜は航が青ざめた顔を浮かべて口を閉ざしてしまったので、すっかり気が動転してしまっていた。


「ご、ごめんなさい、安西さん!私・・・別に・・そんなつもりで・・・。」


すると航はおろおろしている茜を見ているうちにその様子がおかしくなって笑ってしまった。


「ハハハハ・・・・!」


「え?安西さん?」


茜は目をパチパチさせながら航を見た。


「何だよ~。演技だよ、演技。本当に失恋して沖縄に来たと思ってるのか?」


「え、ええ・・・てっきり・・。」


「そんなんじゃねーよ。何年か前に興信所の仕事で2週間程沖縄で暮らしたことがあるんだよ。その時に沖縄が気に入ったから住むことにしたんだよ。」


航は未だに失恋の痛手から抜けられず、ズキズキする胸の痛みを隠しながら明るい口調で茜に説明する。


「な~んだ・・・そうだったんですね。私はてっきり・・・。」


するとここでナビの音声が流れてきた。



《 ・・・目的地に到着いたしました。 》


「お、着いたみたいだな?」


航たちを乗せた車の前には・・・マンションが建っていた―。






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