建物愛者

鯨飲

建物愛者

 私は目の前で恋人が壊されていくのを眺めていた。

 

 彼は、重機で乱暴に扱われ、破られたコンクリートの外壁からは、内部の骨組みが露呈していた。

 

 私と彼の思い出は、鉄と鉄が火殴り合う轟音と共に、崩れ去っていった。

 

 彼との出会いは、私が二歳の頃だった。

 

 当時、新築の彼はスーパーの店舗として活躍していた。

 

 スーパーという存在を知らなかった私は、食べ物から日用品、様々な物が、一箇所に集約されている様子を見て、興奮混じりで店内を駆け巡った。

 

 買い物といえば、彼の元へ向かうことだった。

 

 いつから恋心を覚えたのかは、詳しく覚えていない。

 

 しかし、物理的に私を包み込んでくれて、かつ生活に必要なものを提供してくれる彼に、私がどんどんと魅了されていったのは確かであった。

 

 近隣に大型ショッピングモールが出来たことで、年々彼の利用客は減っていった。

 

 閑散とした店内を見て、私はどこか満たされた気になっていた。

 

 私だけが彼の魅力を真に理解し、今も寄り添っている、その実感に溢れていたのだ。

 

 そんな彼も、営業不振という現実には抗えず、閉店が決まり、本日取り壊されることになった。

 

 彼が解体された翌日、私は河原を散歩していた。

 

 川は雄大だ。

 

 人間の生活に必要不可欠なものを私たちに届けてくれる。

 

 彼に似てるなぁ

 

 駄目だ駄目だ。

 

 もう彼はいないんだ。

 

 いくら想っても、喪失感が濃くなるばかりだ。

 

 想起される思い出から逃れるために、私は河原から離れた。

 

 私の歩脚はスピードを増し、横目をかすめる景色の流れは段々と早くなっていった。

 

 私の横で、加速する景色。

 

 流れていく時間。

 

 気がつくと私は隣町に着いていた。

 

 その町は、私の住んでいる町よりも人口の減少が顕著だった。

 

 合併の噂も流れているくらいだ。

 

 少し錆びれた空気感。

 

 先入観があるからかもしれないけれど。

 

 テナント募集の看板が多く見受けられた。

 

 何だか少し空しい。

 

 しばらく歩いていると、左手に開けた土地が見えてきた。

 

 そこには大きな廃団地があった。

 

 周囲は柵で囲まれ、立ち入り禁止の看板が立っていた。

 

 しかし、私はその大きくそびえ立つコンクリート剥き出しの姿に惹かれた。

 

 今にも壊れそうだった。

 

 立ち入りが禁止されている理由の一つだろう。

 

 いけないこととは、分かっていたが、私は柵を乗り越えた。

 

 生い茂る雑草の匂いが、柵を乗り越え、着地する際、鼻に入ってきた。

 

 1棟、2棟、3棟、と数えてみると、結構多くの建物が密集している。

 

 その中でも、外壁に大きく4と書かれている棟の損傷が激しかった。

 

 外壁が剥がれ、内部が露呈している部分もあった。

 

 人が住まないようになってから、ずいぶん長い時間が経過しているのだろう。

 

 掲示板に貼ってある、餅つき大会のお知らせには5年前の日時が記載されていた。

 

 時が止まっている。

 

 居住区としての役目を果たし、5年もの間、雨風にさらされていた。

 

 誰も寄り付かない。そんな建物。

 

 惹かれるなぁ

 

 君も一人なんだね。

 

 団地の外壁を手でなぞる。

 

 凸凹やひび割れた部分が指先で感じられる。

 

 年季を触覚で実感できる。

 

 建物は喋ることができない。

 

 なので、こうやって手で触れることで対話をするのだ。

 

 人にとっても、建物にとっても傷は生きた証なのである。


 生きた経験を肌で感じる。こうすることで、私は団地と一つになれる。

 

 住むのではなく、そばに居ることで、私は幸せを感じるのだ。

 

 悦に浸っていると、いつの間にか夜になっていた。真っ暗だ。

 

 そろそろ帰ろうとした時、下の方から光が見えた。

 

 懐中電灯の光だ。

 

 そして誰かの話し声が聞こえてきた。

 

「ボロボロだな」

 

「まぁ、人が住まなくなって、結構経つからなぁ」

 

「ここって取り壊された後、何ができるんだっけ?」

 

「ショッピングモール。まぁ、これだけ広ければ、かなり大きいのができるだろうな」

 

 取り壊される?

 

 どうして?

 

 なんで邪魔するの?

 

 怒りで我を忘れた私は、懐中電灯の持ち主の方へと向かっていました。

 

 しかし暗さのあまり、つまずいて転んでしまいました。鼻から口へと血が伝っているのが分かります。

 

 しかしそんなことを気にしている時間はありません。

 

 私と彼らの距離はどんどん縮まっていきます。

 

「せっかくだから取り壊される前に、肝試しに来とこうと思ってさ」

 

「と言っても、何もいないけどな。別に何のいわくもついてないし」

 

「うーん。そうなんだよな」

 

「どうして壊すんですか?」

 

「え?」

 

「誰?お前の声じゃないよな?」

 

「私があなたたちに話しかけています。どうして壊すんですか?私たちのことを」

 

「どこにいるんだよ!何者だ?!」

 

 あぁ、暗くて分からないのか。

 

 私は懐中電灯をもつ彼らの手を握り、光を自分の顔へ向けた。

 

「はじめまして、私は、」

 

 私の顔を見た瞬間、彼らは絶叫し、その場から逃げてどこかに行ってしまった。

 

「まだ自己紹介もしていないのに...」

 

 それから団地の4号棟は、霊が出る廃墟としての噂が広まり、霊を恐れた地元の業者も解体することを諦めた。

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建物愛者 鯨飲 @yukidaruma8

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