珊瑚の本屋さん(短編集)

佐武ろく

【prologue】いらっしゃいませ

「こんなとこに本屋なんてあったんだ」


 何となく家の近くを散歩していると偶然、小さな個人書店を見つけた。ぽつりと隙間を埋めるように建ったその本屋の外観はおしゃれな雑貨屋さん。

 だけど看板にはちゃんと大きくこう書かれていた。


『珊瑚の本屋さん』


 僕は少し外観を眺めた後に早速ドアを押し中へ。

 少し狭いが木製を基調とした内装とゆったりとしたBGM。その落ち着いた雰囲気は入ったばかりなのにもう居心地好い。

 僕は入店して二秒でこの本屋さんが気に入ってしまった。「良い感じじゃん」そう心の中で満足気に呟きながら足を進める。

 とりあえずお店を一通り見て回ろうと思い棚を覗いては次の棚へ。色々なカテゴリーに分けられた本たちと目を合わせていった。雑誌と絵本棚、少年少女青年に分けられた漫画棚、著者別で置かれた小説棚。

 しかもその本が軍隊のように気持ちいい整列をしていた棚には汚れや埃ひとつない。ここの店主は几帳面で綺麗好きなんだろう。僕は昨日読んだミステリー小説の探偵ように心で呟いた。

 でも本当にお店の雰囲気といい綺麗な店内といい何もかもが僕の好みだ。そして心の中で素敵な本屋を見つけられたことに欣喜しながら足を進め二つ目の小説棚を覗いた。

 実を言うと僕は店内があまりに静かだったからお客が自分一人だと思い込んでいた。でも覗いたその棚前には一人の女性が立っていた。

 それは本棚を上からなぞるように見ているボブヘアには猫の髪留めをして丸眼鏡を掛けた女性。そして可憐で思わずドキッと胸が跳ねてしまうような横顔。でも(見た目で人を判断するのは申し訳ないが)同時にそれはあまり本は読まなさそうな横顔でもあった。

 そんな女性が予想に反しそこにいたものだから僕は吃驚としてしまった。あと髪が物凄く桃色だったし。

 思わぬ出会いに僕が少しフリーズしているとその女性は気配を感じたのか顔をこちらへ向けた。そして目が合うとニッコリと可愛らしい笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ」


 その言葉でその人がお店の人だと分かった。


「色々あるのでゆっくり見て言って下さいね」

「あっ。はい」


 少しかしこまりながら返事をすると女性は再び本棚へ顔を戻した。

 それからまだ落ち着かない心臓と共に僕はとりあえず残りの棚をざっと見て回ってから適当に小説を見ていた。丁度、次に読む物を探していたからどれを買おうか悩みながらタイトルに目を通していった。

 すると先程の店員さんが時折片手に持った紙へ視線を落としながら同じ棚へ。しかも隣に立った。

 それは僕が人見知りな所為だろう、なぜか少し緊張する。だから場所を移動しようかそう考えているとふと気になるタイトルが目に留まった。一旦、緊張を脇に置いた僕はその興味を優先しその本へ手を伸ばす。と同時に横から日焼けの足りない綺麗な手が伸びてきた。二本の手は同じ方向へ伸びる。

 だが小説の中とは違いその手は一つ隣の本を手に取った。その事に気まずくならなくてホッとしている反面、少し残念だと思うのは最初に見た彼女の笑みが可愛らしかったからだと思う。だけど当然ながらそんなことを考えていたのは僕だけで店員さんは本を手に取るとタイトルを確認しそのまま手に持った。

 そんな彼女に合わせるように僕も手に取った本の表紙を見てみる。


「何かいい本は見つかりましたか?」


 本へ視線を落とすと横から不意に店員さんが声を掛けてきた。ちょっと吃驚したのは悟られないように冷静を装いながら顔を本から店員さんへ移す。

 店員さんは僕を見上げながら微笑みを浮かべていた。


「え? あっ、いや。まだ見てる途中です……ね」


 人見知りが発動し言葉が詰まるが何とか返事をした。控えめな笑みを添えて。


「どのような本を探してるんですか?」

「これといって決めてる訳じゃなくて。良いのがあったらいいなって……感じですかね」


 僕はちゃんと答えられなかったことに対しての若干の申し訳なさで頭の後ろへ手をやった。


「じゃあ、いつもなら立ち読みはご遠慮いただいてるんですけど……」


 店員さんは軽く店内を確認するともう一度僕へ視線を戻した。


「他にお客さんも居ないみたいですし、気になった本があったら少しだけ読んでみてください。あっ、でも特別ですからね」


 その言葉と共に艶やかな口の前に立てられた指輪の光る人差し指は内緒だということを付け足していた。


「物語との素敵な出会いがあるといいですね。それじゃあ、ごゆっくりどうぞ」


 それだけを言うと店員さんは背を向け行ってしまった。


「ありがとう……ございます」


 すでに行ってしまった背中へ向けたが届かぬと分かっていたからか、その声はBGMに呑まれてしまう程に小さかった。

 それはほんの数秒。店員さんが立っていた場所を見つめていた僕はハッと我に返った。

 そして僕は持ちっぱなしだった本を戻すと後ろの棚へ目を通した。上から下へ。ざっくりだが背表紙のタイトルを読んでいく。

 そして既に素敵な出会いを一つしていた僕だったが、目の止まった一冊の本へ手を伸ばした。


 その本のタイトルは―――

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