リアルも捨てたもんじゃない!

涼坂 十歌

リアルも捨てたもんじゃない!

 学校行事というものは、少女漫画や青春映画において、十中八九美化されるものである。しかし、体育祭や文化祭、修学旅行等の定番イベントはもちろんのこと、掃除の時間までもが男女が仲を深めるためだけの存在として扱われてしまうとは、なんとも恐ろしい世の中になったことだ。と、平原優子は思うのである。

 平原優子は、私立桜ヶ丘高校に通う十七歳の女の子。百七十センチに近い長身に、長くてきれいな黒髪のポニーテール、さっぱりした性格から、「かっこいい系女子の代表」として高い評価を得ている。

 季節は初夏。優子は、来週から始まる水泳の授業のためのプール掃除に向かっていた。

「今日も暑いね~。」

 体操服を抱え、優子の隣を歩く少女が言った。

 彼女の名は西野ひまり。優子と同じクラスに所属していて、優子の親友でもある。

 優子がさばさばしているのとは対照的に、ひまりは恋の話や少女漫画が大好き。常にその手の話を探し回っているくらいなのだ。

「優ちゃん?」

 なかなか返事をしない優子を見上げ、ひまりが言うと。

「え、あっ、ごめん。うんそうだね。もうすっかり夏って感じ。」

 優子がはっとして、慌てて言いながら弱々しく笑った。

「もー、最近どうしたの?なんか元気なくない?」

「そ、そう?いつもどおりだけど……。」

 あはは、と、優子が笑う。

「ほんと?いつもクールで無口だけど、最近は明らかに口数少ない気がするんだよな~。」

 と、ひまりが不満そうに頬を膨らませた。

 その言葉のとおり、優子はクールで冷静な人物として扱われているが、昔からそうだったわけではない。小学生の頃には、周りの友達と一緒に少女漫画を読み、恋愛ドラマを見て、自分の現実リアルにもそんな胸がときめくできごとがおこるのを期待したこともある。ただ、歳を重ねるにつれて現実はそううまくはいかないことに気づいてしまっただけなのだ。

 つまり、かっこいい女子代表も、恋愛への興味関心が皆無なわけではない、ということである。 「あ!優ちゃん、見て見て!翔くん来たよ!」

 突然、ひまりが黄色い声をあげた。

 その細い指が差す先には、既に体操服に着替え、友達と一緒に優子たちのほうへ歩いてくる男の子が一人。

 倉橋翔、十七歳。整った童顔に、明るく無邪気な性格で学年中の女子の憧れの的であり、優子の恋人である。二人のラブラブっぷり、またの名を翔のべた惚れっぷりは学校内では大変有名で、現在絶賛彼氏募集中のひまりは、優子と翔の関係を見守ることが生きがいなのだ。

 翔も優子たちに気づいたようで、優子と目を合わせようと顔を奇妙に動かす。

 しかし、にこにこと手を振るひまりの横で、優子はわざとらしくプイッと顔をそむけた。

「え……?」

 ひまりが思わず呟く。

 翔は悲しそうな表情をしながらも、驚いた様子はなくそのまま二人の横を通りすぎていく。


「えぇぇぇぇぇぇ!?」


 雲一つない青空に、ひまりの絶叫が吸い込まれていった。

 


 プール掃除、というものも、美化されがちなイベントだと優子は思う。映画や漫画ではもはや水遊びと化していることが多いが、実際はそんなものではない。確かに、女子生徒の黄色い声はよく聞こえる。だがそれは、デッキブラシを手にしたかけっこが盛り上がっているからでもイケメンが汗を拭いたときに鍛えられた腹筋があらわになったからでもない。ほとんどの悲鳴の原因は、一年間使われなかったプールにたまった正体不明のどろどろである。

 優子もひまりもそういうものに対する抵抗はあまりないため、普通であれば世間話でもしながら静かに掃除をするのだが……

「ちょっと!どうしちゃったのよ!」

 今日ばかりは、そうはいかないようだった。ひまりはデッキブラシを手にゴシゴシとプールの底をこすりながら、優子に言った。

「別に……。どうもしてないわよ。」

 優子は目をそらしながら答えるが、ひまりはくいさがる。

「どうもしてないわけないじゃん!いつもだったらポニーテールぶんぶん振って喜ぶところなのに、顔も見ないなんて!」

「人の髪を尻尾かなにかのように言わないでくれる?」

 手強い汚れと格闘しながら、優子は苦笑する。

 そして少し手を止めて、

「それに、普段だってすれ違ったくらいじゃそんなに喜んでないし。」

 と、まるで言い聞かせるかのように小さな声で呟いた。

 それを聞いたひまりは、思わず言葉を失ってしまう。

「さ、掃除しよ。……面倒なことになる前にさ。」

 優子が顔をあげ、すぐそばで掃除をしているグループにチラッと目をやってから小声で言った。その目線の先にいる少女たちの顔ぶれを確認し、ひまりもあっと口を閉じる。

「ごめん。」

 謝るひまりに、優子は力なくほほえんで答えた。


 倉橋翔は、整った顔と天真爛漫な性格から、とても女子に人気がある。校内にはファンクラブもあるほどで、優子と付き合っていることを知っていながら告白する者も多い。しかし翔は、何度告白されようと、相手が誰であろうと、きっぱりと断り続けている。入学式の日に一目惚れした優子のことが大好きで、他の女子など眼中にないからだ。翔ファンは、口では「一途な翔ちゃんかわいい」と楽しげに語るが、内心は優子が妬ましくてしかたない。翔のいないところで、優子が彼女たちに傷つけられていることが、翔の最近の悩み……だったのだが。

「はぁぁぁぁ。」

 普段は明るすぎるくらいに明るい翔の、近年まれに見る盛大なため息。

 翔の隣にプールのフェンスにもたれて座る神谷信吾は、友人の異常な様子にどう接するべきか迷ってしまう。

「あー、どうしたんだ?平原とケンカでもしたのか?」

 たてた膝の間に顔を挟んだ翔が、ぼそりと呟いた。

「ケンカならまだいいんだけどね~。」

「……浮気?」

「んなわけないでしょ!!」

 信吾が必死に絞り出した意見を全否定しながら、翔がばっと顔をあげた。一瞬だけいつものキラキラおめめに戻ったが、すぐにその目はくもり、顔全体が不安げに歪む。

「マジで何があったんだよ?いつもあんなに仲良しなのに。」

 信吾が翔の顔をのぞきこむようにしてきく。

 翔は、うつむきながら小さな声で答えた。

「俺が……リボンちゃんにジュースかけちゃったんだよ。」

「は?」

 信吾の口から、思わず失礼な返事がとびだす。

 久しぶりに脳をフル回転させるが、どう頑張っても翔と優子の間に何があったのかはわからない。

「……妹?」

「んなわけないじゃん……。信吾、もうちょっと頭使った方がいいよ?」

 真剣な表情で言う翔の頭を、信吾が軽く叩く。スポーツのしすぎで、筋肉が脳みそに進出してきているのでは、というのは、信吾の真剣な悩みだった。

「はぁ。ぬいぐるみだよ。優ちゃんが小さい頃から大事にしてるウサギのぬいぐるみに、俺がジュースかけちゃったの。」

 はぁぁぁぁ、と、翔が再びこの世の終わりのようなため息をつく。

 信吾は身体中の力を振り絞って「そんなこと?」と言ってしまうのを耐える。

「信吾、今そんなこと?って思ったでしょ。」

「おう。」

 見抜かれてしまったのならしかたない。信吾はあっさりと認めた。

「優ちゃんにとってはそんなことじゃないんだよ。もう怒っちゃって怒っちゃって大変でさ……、一週間前から口きいてくんないの。」

 と、青い顔をして翔が言った。

 信吾は思わず吹き出しそうになる。翔は優しい性格だ。大切な人の大切なものは大切!と胸を張って言えてしまうような人ではあるが、それを考慮してもそんなことか……と思わざるをえない。

「なんか……お前らってほんと仲良しだよな。」

 話を聞いた信吾の感想に、翔ははぁ?と声を裏返した。

「信吾ホントに脳みそ筋肉になっちゃったの?」

 そんな翔の目を見て、信吾は続ける。

「いや、だってさ、平原のその怒りって、相当子供っぽいぜ?世間一般じゃそんなことですまされることに対してそんなに怒るってさ、本気でお前を信じてるからだろ?」

 ぽかん。そんな表情で翔がフリーズする。少しして、そのままの顔で口を開いた。

「信吾……、いつの間にそんな賢くなったの……?」

「バカにしてんのか。」

 眉をひそめた信吾を、翔は無視。大きな目をキラキラさせて、ばっと立ち上がった。

「ありがとう、信吾!俺、もう一回優ちゃんに謝ってくるよ!」

 満面の笑みでそう言って、翔は優子を探して駆け出して行った。

 その数秒後、体育教師にプールサイドは走るな!と怒鳴られ、早歩きに変える翔。その背中を眺めながら、信吾はフェンスにもたれ直した。フェンスがカシャンと音をたてる。

「ったく……。あのバカップルが。」

 静かに呟き、せっかく流れたかっこいい雰囲気は、神谷!サボるな!という叫び声にあっけなくかきけされてしまったのであった。



「ひまりー!ちょっとこっち手伝って!」

 優子たちがいるのとは反対側で、ひまりの友達が手を振った。大量のどろが入ったバケツを持とうとしているようだが、彼女の細い腕では持ち上げられないらしい。

「あー……、優ちゃん、行ってきていい?」

 ひまりが優子の顔色をうかがいながらきいた。

「いいよ、行ってらっしゃい。」

 優子は笑顔で送り出す。

 ひまりが立ち去った、その直後。

「ひ~らは~らさん!」

 一人の少女が、優子の肩にとびついた。

 その勢いにバランスをくずしながら、優子はおそるおそる後ろを振り返る。

「み、三浦さん……。」

 そこには、明るい茶髪をくるくるに巻いた少女の姿が。

 後ろに取り巻きを二人つれたその少女の名は、三浦さつき。全翔ファンのリーダー格で、よく優子にからんでくるのだ。

「平原さん、翔ちゃんとケンカしたんだって?」

 人差し指に髪を巻き付けながら、さつきが優子を試すように見る。

「あー、うん、まぁ、ちょっとね。」

 優子は苦笑しながら曖昧に答える。

「信じらんな~い!」

 取り巻きの一人が、大袈裟に驚いて両手を口にあてる。

「あたしなら絶対翔ちゃんを悲しませないのに~!」

 もう一人の取り巻きも、わかりやすく優子を挑発した。

 優子はデッキブラシを持つ右手をグッと握りしめる。悲しませてなんてない。悲しませたことなんてない。そんな思いを、言葉にせずにのみ込む。自分の言葉は彼女たちには伝わらないと、もうずっと昔に学習していた。

「ごめん、私トイレ行ってくるね。」

 ろくに顔も見ないまま早口に言い、三人に背中を向ける優子。後ろでさつきがまだなにか言っていたが、耳を貸さずにプールサイドに上がった。


 翔は、自分に入学式の日に一目惚れしたらしい。クラスも違い、話したこともなかった彼がいきなり教室に来て、告白してきたときは本当に驚いた。そのときは、さすがに断った。けれど、あんなにまっすぐでキラキラした目で想いを伝えられたのは初めてで、とても嬉しかったのは確かだった。

 優子はうつむいて歩きながら、あの春の日のことを思い出す。

 一度断っただけでは、彼は諦めなかった。何度も何度も優子に想いを伝え、その度にフラれても優子を想い続けてくれた。そんな翔を見ているうちに、いつしか優子も彼に惹かれていった。

 こんなにも自分を大切にしてくれる人がいるんだ、こんなにも自分を好いてくれる人がいるんだ。優子は本当に嬉しくて、自分も翔のことをずっとずっと大切にしようと心に決めた。

 それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 大好きな人と一緒にいることを恨まれて。くだらないことで大好きな人を傷つけて。

 優子の頬を、一筋の涙が滑る。

 自然と歩調が速まる。まさか本当にトイレに行きたいわけではない。目的地もないままひたすらに歩く。

 こんなとき、漫画の世界なら。恋人がタイミングよく現れて、抱きしめて、励ましてくれるのだろう。

(そんなわけないよ……)

 優子は思う。そんなに都合よくいくはずがない。翔はきっと、自分の理不尽な怒りに怒っているはずだ。謝らなければならないのは自分の方だ。

(会いたいよ……)

「翔ちゃん……。」

 誰にともなく、小さく呟いた。

「なぁに?」

 返ってきた返事に、優子ははっと顔をあげる。

 そこにいたのは。

「翔、ちゃん?」

 ふわふわの髪に、人形のように整った顔。あの日のままのキラキラの目を、優子が間違えるはずもない。倉橋翔が、そこにいた。

 翔は優子ににこっと笑いかける。

「やっと見てくれたね、優ちゃん。」

 その明るい笑顔から、優子は思わず目をそらす。驚きを押し殺し、ゆっくりと口を開いた。

「あの、ごめ」

「ごめんなさい!!」

 優子が言いきるより先に、翔がばっと頭を下げた。

 戸惑う優子の前で、翔が続ける。

「リボンちゃんのこと。優ちゃんの大切なものを汚しちゃって、本当にごめんなさい!」

 それを聞いて、優子も慌てて言う。

「私の方こそっ、そんなことで怒って無視したりして……。本当にごめんなさい。」

 顔を上げた翔が、優子の目をまっすぐに見つめる。

「俺、優ちゃんのこと誤解してた。優ちゃんはかっこいいし一人でも堂々としてるから、つい甘えちゃってたけど、俺も優ちゃんの力になれるように頑張るよ。もう一人では闘わせないから……!」

 さつきたちのことを言っているのだと理解するのに、少し時間がかかった。翔のまっすぐな優しさが優子の心に届き、優子の目から涙が溢れ出す。

「……ありがとう。」

 返事が涙声になった。伝わったかどうかが不安だ。

 しかし、その不安はすぐにぬぐわれる。

「!?」

 翔が、優子をぎゅっと抱きしめた。

 驚く優子の耳元で、翔が言う。

「優ちゃん、大好きだよ。」

 優子は照れ隠しのように苦笑し、

「私も。大好き。」

 と答えて翔の背中に腕をまわした。

 まわりで、同級生たちがひやかす声が聞こえる。きっとひまりは一人で興奮していて、さつきたちは怒りを爆発させているのだろう。けれど、そんなのどうでもいい。優子は初めてそう思えた。翔が自分を想ってくれて、自分も翔が大好きだから、それで充分だ。


 こんな少女漫画のような出来事がときどき起こるのが、私たちの『青春のリアル』なのである。








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