勇者の姉と魔王の妹 姉妹喧嘩は異世界で

ジャージー牛ふれあい食堂

第1話 お姉ちゃんの使命、ひきこもりの妹

 父さんがよく言っていた。


「サクヤ。強い者は、弱い者を守る義務があるんだ」


 コノハのおやつを食べて泣かしちゃった時。生意気な教師を締め上げた時。コノハをいじめてた連中をボコしてやった時……。

 喧嘩をするなとは言わなかった。戦争は紛争解決の手段に過ぎない。

 父は弁護士だった。


「なんで父さんは人を殺した奴なんか守ってるの!? あんなのみんな死刑にしたらいいのに!」


 私の言葉にも、父は顔色一つ変えなかった。


「誰も望んで悪いことをするわけじゃない。世界から見放され、そうせざるを得なかった人たちなんだ。父さんやサクヤだってそうなっていたかもしれない。そうなっていないのは、単に運が良かったからでしかない。手を差し伸べる義務は、本当はすべての人にあるんだよ。あはは、サクヤにはまだ難しかったかな」


 高潔な人だった。

 けど、家族を殺した人を弁護したと被害者に恨まれて、帰り道で刺されて死んだ。コノハの誕生日のことだった。普段は車で移動していたのに、その日は駅前のお店でケーキを買うため電車で帰宅していたらしい。誕生日ケーキの入った箱は犯人に踏みつけられ、グシャグシャになってしまっていた。


 母さんがよく言っていた。


「サクヤ。あなたはお姉ちゃんなんだから、コノハを助けてあげてね」


 コノハは内気で学校が苦手だった。顔も私に似てかわいいし、いつもいじめられていた。その度に私がいじめっ子を懲らしめるんだけど、それは表立っていじめるある意味で勇気のある連中だけ。お弁当をこっそり捨てるとか、靴を隠すとか、机に落書きするとか、そういう犯人がわからない陰湿なのはどうしようもない。

 コノハは次第に学校に行かなくなった。


 母さんはそのことを知らない。父さんが死んですぐ、後を追うように病気でぽっくり。おしどり夫婦だった。娘としてはなんとも、喜んでいいのかどうなのか。


 磐長いわなが家の事情はだいたいそんな感じ。客観的に見るとたぶん不幸。特にコノハは。だから私がなんとか守ってあげたかった。世界はクソなことばっかりだし、父さんの言葉は未だに理解できていない。コノハを追い詰めた奴らはやっぱり許せない。あいつらは望んで悪いことをしたじゃないか。でも、もはやそいつらに構ってる暇もない。


 父さんの遺した貯金はなくなりつつある。慰謝料だけじゃ人間二人は喰っていけない。よしんば喰っていけたとして、自由はない。コノハを幸せにしてあげられるだけの自由は。

 私たちは今年で高校三年だ(コノハも一応通信制高校に通ってるし)。自由のためにはいい大学に入ること。そしていい企業に入ること。コノハと二人で生活していくにはそれしかない。


 強い私は、弱い妹を助ける義務があるんだ。だから頑張らなくちゃいけない。


 ○


 磐長コノハの失踪に姉のサクヤがそれに気がついたのは、既に失踪からしばらく経ってのことだった。


 コノハはいわゆるで、彼女が部屋にいるのかいないのか姉には判断しようがない。部屋に入ればめちゃくちゃに怒られる。トイレはなにかの容器で済ましているらしい。食事は扉の前に置いておくといつの間にか無くなっている。とはいえ数日何も食べないのも珍しくない。外からなにか呼びかけても滅多に反応してくれない。

 ようするにサクヤは、ひょっとして中に居ないんじゃないかと疑うにはその環境に慣れすぎていた。


 しかし人が生活する上で絶対に生じるものがある。ゴミだ。週に一度、コノハはゴミを部屋からまとめて出す。洗濯物も一緒に。もちろん捨てたり洗ったりはサクヤの仕事だが、とにかくその習慣だけはコノハは欠かさなかった。垢だらけの服や、排泄物入りのボトルを大量に溜め込むのはさすがに嫌なのかもしれない。

 だが、ある時それが途絶えた。サクヤはしばらく様子を見たが、ついに次の月曜日も出されなかった。食事も手を付けていない。恐ろしい想像が彼女の脳裏によぎっていた。


 自殺――あるいはなんらかの病気。


 部屋に飛び込んだ時、つんと刺激臭が鼻についた。まさかと思って顔を青くしたが、死体らしきものはなかった。どころか人影がどこにもない。

 サクヤには何年ぶりかに見る妹の部屋だった。とんでもないゴミ屋敷を想像していたが、室内は割ときれいに整頓されていた。黄色い液体が入ったペットボトルも部屋の隅に目立たないよう整列させられていた。ずっと昔に買ったぬいぐるみたちが未だにベッドの上に敷き詰められている。机の上には少し前に買わされた最新型のパソコン。何かのゲームをしていたらしく、つけっぱなしの画面に青空と草原が映し出されている。


「コノハ……?」


 サクヤのおそるおそるの呼びかけに反応はない。自分の家の一角なのに、まるで初めて訪れた場所のような感じがした。


「コノハどこ!? いないの!?」


 事態を飲み込み始めたサクヤは血相を変えて部屋をひっくり返す。クローゼットの中。ベッドの下。窓の外。およそ人が隠れられそうな場所を漁り尽くしたが、なお妹は見つからない。掃除でもしたのか髪の毛一本さえ見つからない。まるでショールームのような空々しい生活感にサクヤはぞっとする。


 携帯にも電話をかける。コノハが部屋からお使いを頼むためのものだ。祈るような気持ちでサクヤはコール音に耳を澄ませたが、残酷にも机の中からバイブレーションの音が響く。


 ヴー。ヴー。ヴー。ヴー。


 机の引き出しを開けると、たしかにコノハの携帯が入っていた。電話を切ると、美少年の二次元キャラクターが微笑みかける待ち受け画面に切り替わる。


「なんで……」


 サクヤには妹が姿を消す理由が理解できなかった。コノハにとって外とは恐ろしい場所でしかない。彼女は自ら引きこもることを選択したのだ。サクヤも精一杯に優しく接してきた。それなのになぜ?

 嫌な想像はいくらでもできた。出会い系を使った女子高生殺人のニュースが頭をよぎる。自殺オフ会というものがあると友だちが言っていた。引きこもりが殺人事件を起こしたという話もあった。


「ううん、コノハがそんなことするはずない! 妹を信じろ! 頑張れ私!」


 パンパンとほほを叩き、サクヤは自分に言い聞かせる。スッキリした頭でもう一度部屋を探してみよう。何か手がかりがあるかもしれない。そう思った矢先のこと。

 携帯を見つけた引き出しの中、見慣れないものが目を引いた。何か文字のような装飾が施された金色のブレスレット。側面には小さいが宝石らしき石まではめられていて、パソコン画面の光を受けてキラキラと輝いた。


「きれい……あいつこんなの持ってたっけ?」


 手にとって見ると意外に重く、少なくともプラスチック製のおもちゃではない。試しに腕に通してみるとピッタリのサイズ感。コノハのものだとしたら、双子なので当然だが。


「やば、こんなことしてる場合じゃない!」


 とにかく手がかりを探すことだった。それでダメなら警察にも連絡しよう。

 それで、手始めにつけっぱなしのパソコンを調べることにした。パソコンは情報の宝庫。つけっぱなしだったのは幸運だ。パスワードがわからなくても履歴にアクセスできる。

 そう思ってマウスを手にとったのだが、


「あれえー……マウスカーソルどこ? てかこれゲーム画面じゃないの? どうやって戻んだろ? クソぅ、パソコン苦手なんだよな……」


 ぶつぶつと呟きつつマウスやらキーボードやらをめちゃくちゃに操作してみるが、一向に反応がない。ずっと青空と草原を写したままだ。パソコンの画面じゃなくてただの写真なんじゃと思うほど。しかし時折に風に草原が波立つようなアニメーションが入る。写真ではない。


「もしかしてバグ? あーもうスマホネイティブにこんなのわかるわけないでしょ!? タッチ操作とかできないわけ!?」


 怒りに任せて画面に右手を押し付けた――はずだった。


 ずぷ。


「へ?」


 泥の中に手を突っ込んだみたいな奇妙な感覚があった。見ると右手首から先がない。石を投げ込まれた水面のように画面上に生じる波紋。

 咄嗟のことで理解が追いつかず、パニック気味に手を引き抜こうとする。が、抜けない。向こう側で手を掴まれているみたいにビクともしない。それどころか、


「ちょ……なにこれ……なんか私……引っ張られてない……!?」


 ぐいぐいと引っ張られるような感覚。必死に足を踏ん張る。机の端を掴んでなんとか引きずり込まれないようにする。が、恐ろしい力だった。右手がちぎれそうなほどの痛みに思わず、


「あっ――」


 掴む手を放してしまった。待ってましたとばかりに引っ張られる体が宙に浮く。コノハの部屋の様子が横倒しに視界に移った。


 …………。


 しんと静まり返った室内。動くものはなく、ただ煌々と輝くパソコンの画面だけがゆらゆらと波紋のように揺れていた。が、それもつかの間のこと。また元の通り青空と草原が画面の中に広がっていた。あるいはこの場に誰かがいれば、その草原の中に人影を見出したかもしれないが。


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