会いたいのはきっと私だけ

「あのですね、課長」


「ん?」


「これは一体なんなんですかっ!?」


殺風景な課長の部屋に、私の声が反響する。

終業のチャイムが鳴ると同時に、やっぱり私は課長に首根っこ掴まれてここに連れて来られた。


「ん?なにって、膝枕」


んでなぜか、膝枕をされている。私がしているんじゃなく、私が課長に膝枕をされている状態だ。

当たり前でしょ?みたいな声色で言われたけど、こっちは心臓ドキドキで全く当たり前なんかじゃない。そんな私をよそに、課長は上機嫌で私の髪をクシで梳かしている。鼻歌まで飛び出る始末だ。


「いやだから、なんで膝枕なんですか!」


さっきから抵抗して起き上がろうとしてるんだけど、頭を掴まれて動けない。


「ルイは俺の膝の上が一番好きだったんだ。この上でブラッシングをしてやるとノドを鳴らして喜んでいたよ」


すごく弾んでいる課長の声。頭を掴まれて動けないから視線だけを課長に向ける。……案の定、満面の笑みだった。

私は大きく息を吐いて、もういいや、とされるがままにしておく事にした。昨日も頭をグリグリ撫で回されただけだったし、それだけでも変っちゃ変だけど、いかがわしい事はされなかったからほっといても大丈夫だろう……多分。


でもやっぱり緊張はするもんで、私の心臓はさっきから鼓動を速めている。一生懸命なんでもないフリをするしかなかった。


「しかし、中条の髪は本当に柔らかいな。これじゃちょっとした事でも絡まってしまって大変じゃないか?」


「はあ、まあ……。小さい頃はちょっと風が吹くと絡まって鳥の巣みたいになってましたね」


「でも、手入れが行き届いている」


「コンプレックスなんで、そこは頑張ってます」


「そうか。じゃあ俺は中条の頑張りに感謝しなきゃだな」


話している最中も課長はずっと私の髪を梳いている。たまに優しく頭を撫でるから、だんだん眠くなって来てしまった。


(ヤバい。このままじゃ寝ちゃう……)


今日は「断る」と心に決めて来たと言うのに。心の片隅で『こんなのだったら悪くないかも』と囁いている奴がいる。一瞬にして決心が揺らぐ位、心地いい。課長の手が大きくて温かいから、安心感だろうか?


(またどうせしばらく離してくれないだろうし、もうなんでもいいか……)


抵抗する事を諦めて、ウトウトと本当に眠りに落ちそうになった時、



――ピリリリリッ!ピリリリリッ!――



と、私の携帯が鳴った。その音で、一瞬にして現実に引き戻される。慌ててポケットから取り出すと、画面には『和矢』と表示されていた。


「ちょ、ちょっとごめんなさい!」


私は勢いよく起き上がり、考えなしに電話に出てしまった。


「も、もしもし!」


《あ、紗月?オレだけど。今紗月のアパートの前にいんだけど、どっか行ってる?チャイム鳴らしても応答なしなんだけど》


「え!今!?今は……」


チラッと課長に視線を向ける。物足りなそうな顔をしているけど、和矢に会いたい気持ちが勝って咄嗟とっさに、


「えっと、ごめん!ちょっと仕事が長引いちゃって、今帰ってる所!もうすぐ着くから鍵開けて入ってて!鍵はいつもの場所だから!じゃ!」


《あ、おい…》


――ピッ!


私は和矢の返事を待たずに電話を切った。


「あ、あの!そう言う事なので今日はもう帰ります!あと、ペットの件はやっぱりお断りします!私彼氏がいるし、変な誤解与えたくないんです!もうこれっきりにして下さい!それじゃ、失礼します!」


「なか……」


「さようなら!」


ガバッ!とお辞儀をして、私は課長の返事も待たずに部屋を飛び出した。残像で課長の顔が驚きと悲しみの表情だった気がするけど、和矢に久々に会える喜びで今の私にはそんなの関係なかった。


まだにぎわっている繁華街はんかがいを、人にぶつからない様に慎重に、かつ急いで駆け抜ける。幸いな事に、課長のマンションと私のアパートの距離はさほど離れていない。中学・高校と陸上部で短距離走者だった私の足なら10分もかからず到着する。


(見えた!)


アパートが視界に入り、胸が高鳴る。


(久し振りに和矢に会える!)


私の部屋は、2階道路側の角部屋だから、ここからなら明かりが点いているかが確認できた。


(……あれ?)


しかし、部屋の明かりは点いていなかった。部屋に入って待っててと伝えたはずなのに、外で待っているのだろうか。

あと数十メートル、と言う所で握っていた携帯が鳴った。


キキッ!と足が止まる。上がった息を整えながら確認すると『和矢さんからの新着メッセージ』の表示。まさか……と思い、慌ててタップするとそこには、


『悪い!ダチから飲みの誘い入ったからそっち行くわ!ごめんな!』


と無機質な文字で書かれていた。


「…………」


その文字を見た瞬間、全身の力が抜けその場にしゃがみ込む。いくら陸上部だったとは言え、流石にブランクがあり過ぎて足がガクガク言っていた。

これで何度目だろう。なかなか会えなくてじれったい思いをしているのは、私だけなんだろうか。それとも付き合って4年ともなると、こんなもんなの?こんな息を切らせて、走ってまで会いたいと思っているのは私だけ?


「……帰ろ」


フラッと立ち上がり、トボトボと歩き出す。誰にも見られてないんだから泣きたいなら泣けばいいのに、なんだか悔しくて、歯を食いしばって涙を飲み込んだ。



*****



「ほんっと和矢ったら、ありえない!!」


ビール大ジョッキを一気に飲み干し、ダンッ!とグラスをテーブルに叩き付ける。


「まあまあ、そんなにカッカしなさんな。おにーさーん!生2つねー!」


千歳が手を上げて店員さんに注文をしている。向こうの方で店員さんが「喜んで!」と言っていたから、注文は通っただろう。


ここは私たちがよく来る居酒屋。和矢にドタキャンされてヘコんで歩いていたら、千歳から


《あ、紗月?まだ課長と一緒?じゃなかったらこれから飲みに行かないー?ケンが急に接待入ったとか言って、暇になっちゃったんだよね~》


と言う電話が入った。あ、「ケン」って言うのは千歳の彼氏さんね。

丁度ムシャクシャしていたし、一人でいるのがなんだか寂しくて食い気味に『行くっ!』と返事を返した。


「ねえ」


「ん?」


「千歳の所はなんでそんなに仲が良いの?高校から付き合ってるんでしょ?別れ話とか出た事ないの?マンネリとかは?」


ほとんど絡み酒みたいな感じになっているけど、ずっと気になっていた事を聞いてみた。


「ん~そうだなぁ。別れ話みたいなのは一度あったかなぁ」


「えっ!?」


やさぐれながら焼き鳥を食べていた私は、意外な返事が返って来てビックリした。


「え、なんで!?聞きたい!」


食べていた焼き鳥をお皿に戻し、前のめりになる。


「そんな面白い話でもないよ?しょうもない喧嘩だったし」


「いい、いい!」


私は鼻息荒く、首を縦にブンブン振った。

しょうがないな、と千歳がため息を吐く。


「私とケンが大学違うのは知ってるでしょ?」


「うん。確かケンさんは県外の大学に通ってたよね?超頭の良い」


「そ。それで一回揉めたの」


「なんで?」


「遠距離恋愛になっちゃうじゃない?寂しい、って駄々こねたの」


「千歳が?」


「違う。ケンが」


「は?」


「ケンが『離れたら絶対に他に好きな奴が現れる!オレは捨てられるんだ!』って」


「……で?」


「じゃあ別れるか、ってアタシが怒ったら『イヤだ』って号泣してた」


「……いや、のろけかよ!しょーもなっ!聞いて損したわ!てかケンさんがそんな人だったなんてそっちのがビックリだわ!」


私はテーブルをペンっと叩いた。

ケンさんには何度か会っているけど、すごく穏やかで真面目な印象で、おおよそそんな事を言い出す様な人には見えなかった。

人は見かけによらない、ってこう言う事なんだね。


「だからしょうもない話って言ったじゃん」


「しょうもな過ぎたー!」


「アンタ、さっきから失礼じゃない?」


ちょっと不機嫌な千歳をよそに、私は運ばれて来たビールをまた一気に飲み干す。

ハーッと一息ついて、思った事を口にした。


「……でも、良いね」


「なにが?」


「ケンさんに愛されてて」


「まあね」


千歳は遠慮なしにフフンと鼻を鳴らした。


「羨ましいよ。ウチらだったら多分そこで別れてたと思う。てか、私がケンさんの立場だったかな」


「紗月……」


自分で言ってて悲しくなって来た。


「よし!明日は休みだし、今日はとことん飲むぞ!千歳にも付き合ってもらうからね!おにいさーん!焼酎お湯割り!それと唐揚げ!」


「喜んでーー!!」


店員さんのよく通る声が気持ちいい。


「分かった。分かったから、もうちょっとペース落としなよ」


「だーいじょうぶ、大丈夫!今日は酔えそうにないから!」


千歳の注意も聞かず、次は何を頼もうかとメニューに手を伸ばす。


「もう、知らないからね」


千歳が呆れた顔をしている。だって、こうでもしなきゃやってられないんだもん。


その後も私は千歳の静止を振り切り、お酒を頼み続けた。


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