雨ノチ
Lie街
晴れ
雨が降っていた。君に呼び出されなければ、僕の体には一滴の水もつかないでいられたものを。
しかし、僕は彼女を責める気もましてや叱ったりおこったりするつもりも毛頭ない。そんな権利はきっと誰にもない。君は僕を呼び出して、僕はそれを受け入れた。需要と供給、ギブアンドテイクだ。
傘をたたんで僕は電車に乗り込んだ。人は少なくて、少し湿った空気だけが窮屈そうに空間いっぱいに広がっていた。
僕は入ってきたドアに一番近い席に腰かけた。ポケットからスマホを取り出して、’’朝靄’’というアーティストの”言わないで”を再生した。イヤホンの向こうから車掌の声と微かな雨の音が聞こえる。それすらも音楽の一部となり、頭の真ん中で合流する。恋人たちが集合場所で手を振るみたいに。
「遅い!」
彼女は僕が改札を抜けると同時にそういった。肩までの艶のある黒い髪を大袈裟に揺らして、季節的にはまだ早い夜空色のワンピースを着てそこに立っていた。
「……、ごめん」
急に呼び出されたからとか、そういう言葉は彼女の前ではほとんど意味をなさなかった。彼女の前では僕はある意味正直になれるのだった。
彼女は変わらず仏頂面のままで僕の手を引っ張った。僕らはいつものように駅にあるベンチに腰かけた。
「ねぇ、やっぱりあっち行こう」
彼女は濡れているベンチを指さした。屋根はない。僕は少しだけため息をついて、再び傘をさした。
傘の上で雨粒がたくさん跳ねて何度も音を立てた。殺風景な街並みを眺めているとなんだかとても懐かしくなった。小学生の頃、雨に濡れながらチャンバラごっこをして帰っていたことを鮮明に思い出した。あの頃は雨でこんなに切なくなることはなかった。
「こんなところに座らんでもぉ、向こうには屋根があるよ?」
おばあちゃんが話しかけてきた。
「いいんです、ここで」
「へぇー、変わった人だねぇ。風邪ひかんようにな」
おばあちゃんはにこりと笑うと僕に飴玉をひとつ手渡して、そのままどこかに行ってしまった。
「いい人だったね」
彼女は暖かい吐息のような声でそうつぶやいた。
「そうだね。君の傍にもああいう人がたくさんいたらよかったのにね」
彼女は寂しそうに静かに微笑した。
『あ』
二人はそう言った。いつの間にか、雨は殆どやんでいた。
「そろそろ行かなきゃ」
彼女は言う。
「まって、あと少しだけ…」
僕は言葉を飲み込んだ。仕方ないと自分に言い聞かせた。妥協ではなかった、これは理だ。
「ばいばい」
顔をあげると君はそこにはいなかった。そこには、アイスクリームが溶けてしまったような小さな水たまりだけがあった。
さっきまでの雨が嘘みたいに晴れ渡っていた。次の雨の日が待ち遠しい。あの哀愁が待ち遠しい。
僕の足元にある水たまりはすぐにでも蒸発してしまいそうだった。僕はその水たまりが消えてしまうまでしばらくベンチの上にいることにした。
雨ノチ Lie街 @keionrenmaro
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