第2話 レストラン


 西暦二〇〇〇年

 七月

 大日本帝国

 北海道 帯広


 ごくごく庶民的なファミリーレストランであるダリヤン帯広白糠店の閉店時間は二十三時半だった。閉店時間まであと一時間。店内には作業服姿の男性二人組と、若いカップルが一組。それから中国人らしき六人の団体客が一組居た。男性二人組とカップルはそれぞれ店内の端の席におり、中国人団体客は中心に陣取っていた。

 中国人たちはよく見る出稼ぎ労働者のようだった。くたびれたシャツにジャケット。話す言葉も中国語だった。一人だけやけに恰幅の良い男がおり、身長はゆうに2メートルはあったので、入店した際に店員は圧倒されてしまった。他の五人は細身だったが、一人だけ顔に大きな火傷の痕を持つ男が居た。

「おい、なんだこのハンバーグ。冷凍食品の味がするぜ?」

 例の巨漢が、注文したハンバーグ定食を箸で突きながら中国語で苦言を呈した。彼の文句は店員の耳にも届いていたが、中国語だったので誰も意味を理解できなかった。

「冷凍庫から出したものをレンジで焼いて客に出してるんじゃないだろうな? この店は、どうなんだよ?」

 仲間の中国人たちに彼は不満そうに愚痴った。彼の正面に座る中年の男が、肩をすくめて苦笑いした。

「仕方ないさ、燈実トウミ。お前は国じゃ高級料理屋しか行かないから知らないだろうけど、こういうチェーン店で出る料理ってのは予め作ったものを冷凍保存して各地の店に在庫し、注文が来たら火にかけるんだ」

 燈実と呼ばれた巨漢は口をへの字に曲げて、ハンバーグをまじまじと眺めた。

「えぇ!? じゃあマジで冷凍食品ってことかよ鼬瓏ユーロンさん!?」

「もっとも、そこらのスーパーで売ってるような物よりは上等だけどね。厨房の冷凍庫には、そのハンバーグやヤンが食べてるチキンと同じものが、カチンコチンに凍った状態で保存してある。調理の時に取り出して一気に過熱し、まるで出来立てのように振る舞うのさ」

 鼬瓏と呼ばれたその男は、顔の左半分が火傷で爛れていた。火傷は随分古い痕だったが、唇が半分動いていなかった。鼬瓏の隣に居る耳にピアスをした若い男が、拍手して彼を絶賛した。

「流石鼬瓏のアニキ! 物知りだぜ!」彼は燗流カンルーといった。

「詳しいですね、チェーン店で働いたことでもあるんですか?」

 燈実の隣に居る眼鏡の男が聞いた。彼の名は秀英シュイン。神経質そうな見た目の男で、注文したステーキを均等なサイズに切り分けて口に運んでいた。

 通路を挟んで隣のテーブル席に居る坊主頭の男がこっちを向いて鼻を鳴らした。

「おいおい、鼬瓏さんがこんな安い店で働くわけがないだろ。笑えない冗談だ」

 彼は泰然タイランといって、頭の縫合痕に沿って髪が剥げていた。彼の坊主頭には斜めに白い素肌が走って見える。眉毛を剃っているのは泰然のこだわりだった。

「なあ、ありえないよな洋。鼬瓏さんが厨房で働くなんてよ」

 泰然の向かいに座る小柄な男は洋といい、とにかく寡黙で店に入ってから一度も言葉を発していなかった。洋は泰然の問いかけにこくりと頷き、チキンを骨ごと口に頬張った。

「この国の凄い所は、それだけの物量を一定の品質を保持して全国に提供できるところだ。生産工場と運輸、ここら辺にはもちろん俺たちの国も絡んでる。日本人は外注が好きだから。それくらいのインフラはもちろん香港にもあるが、日本人の恐ろしいところは俺たちの国ほど人手が無いにも拘わらず、それを実現しちまうってところなのね。しばしば働き過ぎて死ぬ日本人が居るのはそういうこと。真面目過ぎるんだ、この国の人間は。真面目に生きるから自殺する奴も多い」鼬瓏は母国に比べて遥かに味劣りする炒飯を食べながら頷いた。「皮肉だねぇ。でも自業自得だ。身の丈に合わない贅沢を求めた結果だもの」

「へ~」男たちは感心したように呻った。

 燈実はため息を吐いて言った。「結局、上手い飯を食うには高い店に行くしかないってことだな」

 秀英が眼鏡のブリッジを押し上げ、嘲笑した。

「これを機に痩せてみたらどうだ、燈実。そのガタイじゃ電車に乗るのも一苦労だろ」

「ははっ、喧しいぜ秀英。てめぇらこそもっと食って肉を付けた方がいいぜ」

「燈実のそれは脂肪じゃなくて肉なのかよ?」と燗流。

「ったりめぇよ。ウェイトはパワーだ。不味くても食わなきゃ肉が消えちまう。こんな冷食でもな」

 泰然がケラケラ笑った。「デブがなんか言ってら、洋」

 洋は黙々とチキンを頬張る。

 店のドアがカランカランと鈴を鳴らした。若い男たちがぞろぞろと入店した。当然、日本人だ。染髪したり刺青を彫ったりと、派手な身なりだった。

 若者たちがドアの前で待っていると、店員が歩み寄って先に謝罪を述べた。

「申し訳ございません、既にラストオーダーは過ぎていまして……」

 先頭に居た、金髪で唇にピアスをした青年が荒々しく怒鳴った。

「はあ!? ラストオーダー? 注文聞かねぇのかよ? こっちは客だぜ!?」

「申し訳ありま——」

「まだ開店時間だろぉ? 違ぇのかぁ?」

 困り果てる店員をよそに、若者たちは我が物顔で店内を練り歩き出した。通路をずかずかと占拠し、具合の良い席を物色した。

「いーから飯出せよ! ちょっと時間過ぎたくらいいーだろうが、金払うんだからよこっちは!」

 金髪の青年は店員を突き飛ばして、席を探す仲間の後へ続いた。若者たちが鼬瓏たちの席に近づいてくる。燈実に目をつけた若者の一人が、後ろ姿を指さして嘲った。

「見ろよあれ、めっちゃデブ」

「ウケる」

「なに食ったらああなんだよキッモ」

 鼬瓏たちは会話をやめ、静かに食事に勤しんでいた。若者たちがゆっくりとした歩みで通り過ぎて行く。

 金髪の青年が席の横を通ろうとした際、意図してか偶然か、鼬瓏の腕とぶつかった。鼬瓏はスプーンを落とし、金髪の青年が立ち止まった。

「おい」

 青年が鼬瓏を睨む。鼬瓏は腰を屈め、スプーンを拾った。

「おい、ぶつかったぞてめぇ」

 青年は取って付けたように、鼬瓏に因縁をつけた。仲間たちも歩みを止め、ニヤニヤしながら野次馬した。

「無視してんじゃねぇよ。ぶつかったの。気づかなかった? ねえ。痛いんだけどちょっと」

 鼬瓏はナプキンでスプーンをごしごし拭った。炒飯の油も拭き取り、銀の光沢が鼬瓏の顔を反射した。

「オイオイ聞こえねぇのかよおっさん! ぶつかったんですけどぉ? ちょっと肘出し過ぎなんじゃないですか~通路なんですよここ~!」

 ゲラゲラとした笑い声が店内に響いた。店の端に居たカップルはトラブルに巻き込まれる前に、手早く会計を済ませて店を出て行った。男性二人組の客は、笑い声を聞いてようやく若者たちの存在に気づいた。若者たちは男性たちに気づいていなかったので、彼らは居ないふりをした。

「てかそいつの顔キモくね?」

「ほんとだ、きっしょ。ゾンビじゃん」

 若者たちが鼬瓏のことを口々に揶揄し出した。同席している秀英たちの顔を眺め回すと、うち誰かが言った。

「こいつら中国人じゃね?」

「ほんとだ外人じゃーん。ニイハオー」

「だから俺らの言ってることわかんねーんだろこいつら」

 若者たちは手を叩いて笑い合う。金髪の青年が鼬瓏の顔を覗き込み、吹き出した。

「ほんとだ、なんだこの顔!」

 鼬瓏はスプーンに目を落としたまま、若者を見ようとしない。すると金髪の青年が、炒飯の皿を手で払い落とした。

「チャイニーズだから日本語わかんねーの? それとももかして耳も聞こえねーの? おっさん。俺ぶつかったからさ、謝って欲しいんだけど。てかいつまで無視してんだよチャイニーズ」

 若者の一人がテーブルを蹴り、燈実に怒鳴り散らした。「てめぇも知らねぇふりしてんじゃねぇぞデブ!」

 青年が手を伸ばし、鼬瓏の髪を掴もうとした。鼬瓏が見つめるスプーンに、青年の手が近づくのが映る。

「中国語でごめんなさいって言ってみろよ、ほら、なんて言うんだ?」

 鼬瓏は金髪の青年が伸ばした手を掴み、テーブルに押さえつけた。鼬瓏は手にしていたスプーンを回転させて逆手に握り、若者の手の甲に思い切り突き立てた。

 スプーンの先端が手のひらを貫通し、テーブルに達していた。

「うわああ!」青年が悲鳴を上げ、膝を落とした。

 鼬瓏は見向きもせずに青年の襟首を掴んで引き寄せると、手の甲から抜いたスプーンで頸動脈を掻っ捌いた。青年の首から鮮血が噴き出した。

「何してんだてめぇ!」

 若者たちがざわつき、動揺を威嚇に変えて叫んだ。出し抜けに燈実が立ち上がり、不味いハンバーグを載せた皿で近くに居た若者の顔面をぶん殴った。皿が四散し、若者はひっくり返った。

「やれやれ」秀英は眉をひそめて眼鏡のブリッジを押し上げた。「鼬瓏さんの悪い癖だ」

 洋が傍らに居た若者の太腿にフォークをぶっ刺した。太腿を押さえて屈んだ若者の頭を掴むと、テーブルに思い切り叩きつける。テーブルが凹み、若者の額がぱっくり割れた。

「この野郎!」

 ドレッドヘアーの若者が洋に掴みかかろうとした。いつの間にか立ち上がっていた泰然が、若者の膝裏を蹴って座らせ、みぞおちと喉に足刀の二連撃を見舞った。気管を塞がれ呼吸を失うと、若者は喉を押さえて倒れ、びくびくと痙攣した。

「フォーク借りるぜ」

「しょうがないな」

 燗流は秀英の皿からフォークを拝借すると、鼬瓏に殴りかかろうとしていた若者に投擲した。フォークが眼球にヒットし、若者は情けない悲鳴を上げて後ずさった。

 鼬瓏が立ち上がり、フォークが刺さった若者を蹴飛ばした。若者は洋と泰然のテーブルの上に寝そべった。泰然が頭上まで片足を振り上げると、芸術的な踵落としで若者の頚椎を叩き潰した。

「うそだろ……なんだこいつら!」

 ようやく怖気づいた頃には、若者はたった一人だけになっていた。踵を返して走り去ろうとする若者の髪を、燈実がとっ捕まえた。燈実は若者を軽々と担ぎ上げると、レストランのロゴが入ったアクリル壁に向かって放り投げた。

 若者はアクリル壁を突き破り、店の外に飛び出していった。ちょうど歩道を歩いていた先ほどのカップルが、血相を変えてダッシュで逃げた。

 鼬瓏は血の付いたスプーンを再びナプキンで拭い、丁寧にテーブルに置いた。

「お店には悪いことをしたなぁ」

 燗流が金髪の青年の死体を爪先で小突いた。「鼬瓏さんに喧嘩売るなんて、身の程知らずな奴らだ」血溜まりに浸った青年の髪は赤黒く染まっていた。「災害の多い国なのに、どうして危機察知能力が低いのかね? ジャパニーズは」

「単純に頭が悪いんだ、日本人は。目先のことしか見えていない」秀英が冷たく吐き捨てた。「先進国だという驕りが、日本人の怠惰を促進している」

 若者たちの死体と、散らばった皿を眺望して泰然が言った。

「代金どうする?」

「こいつらの財布から払おうぜ」燈実が死体の懐を漁った。

 厨房の方では店員がえらく騒いでいた。とっくに通報されているだろうから、早々に立ち去らなければならない。

「やっぱりこの格好、ダサいから舐められやすいんじゃねぇの?」

 泰然の問いかけに秀英は頑固な態度で答えた。

「目立たない服装をするのは基本中の基本だ。あからさまにスーツでも着てみろ。嫌でも警察の目に留まる」

 死体を漁っていた燈実が「ん?」と声を上げた。

「これは……」

 燈実がドレッドヘアーの若者の死体から見つけたのは、透明なビニールだった。ビニールの中には少量の白い粉が入っている。燈実からビニールを取り上げて、秀英がよく観察した。

「覚醒剤だな」

 鼬瓏は口の右側だけをにやりとさせた。「ほほう、そいつは都合が良いねぇ」

 厨房の方へ「ごちそうさま」と日本語で声をかけ、鼬瓏は店を出た。燈実に投げられて歩道に寝そべる若者のもとまで、彼は歩いた。呻きながらもがいているその若者は、唯一まだ生きていた。

「ねえ君。ちょっと訊きたいんだけど」鼬瓏は日本語で言った。

 血まみれの顔で、若者は鼬瓏を見上げた。月のように輝く獣の眼に見下ろされ、若者はカタカタと震えた。

「クスリをどこから買ってるのか、教えてもらえるかな?」

 足音があちこちから近づき、立ち止まる。凶暴な中国人たちが、若者を囲んでいた。

「申し遅れたね」

 鼬瓏はジャケットの片側を開き、ショルダーホルスターに収めた54式拳銃を見せた。彼の手の甲には、イタチを模した刺青が彫られていた。

「俺たちは『朱龍チューロン医院』だ」



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