獣は還らない

闘骨

PROLOGUE

獣たち

 西暦二〇〇〇年 十二月

 大日本帝国


 雪が降っていた。初雪だった。

 ゆっくりと、風に乗りながら雪がまばらに地に落ちる。雲に蓋をされた灰色の空が寂しげだった。積もり始めた雪が音を吸い込んでしまっているかのように、静かだった。

 一人の少女と、軍服を着た兵士が向かい合って立っていた。二人の肩に雪が積もっていた。

 少女、雲田刀子くもだとうこの頬に触れた雪が、額から滴る血の温度で溶けて消えた。井平いへい早恵さえ一等兵の軍服も傷だらけで、どれが自分の血でどれが返り血なのか区別がつかなかった。井平の足下には幾つもの人の死体が転がっていた。

 雲田の近くにも死体がある。こちらは人ではない。ヒグマやオオカミなどの猛獣だった。ヒグマのうち一頭は、口内に差し込まれた日本刀に上顎から脳を貫かれていた。雲田の腕にはヒグマの折れた牙が刺さっていた。

 二人は互いに拳銃を一丁ずつ持っていた。それが最後の武器だった。この場で息をしているのは二人だけだった。白い息と互いを睨む眼光だけが、二人がまだ生きている証拠だった。

 無音に等しい白い景色に、雲田の静かな声が響いた。諦めと憤りを帯びた、疲れた声だった。

「人も、動物も、こうして降る雪も……全て死んで最後は土へとかえる。そうしてこの世界を循環していく」

 雲田は隣に寝そべるヒグマの亡骸へ目を落とした。ヒグマの黒い体を、白い雪が覆いつつあった。

「でも、こいつらや、そこにいる奴らは……同じようにはならないよ。君も、私もそうだ。鉄やプラスチックと変わらない。還る場所の無い異物だ」

 雲田の刃物のような瞳が、井平を睨んだ。

「私たちが死んでも、神様は迎えに来てなんてくれないし、私やこいつらみたいな獣(けだもの)は、土に還ることなんて許されないんだよ」

 井平の充血した目に赤い血管がくっきりと浮かんでいた。

「神なんていない!」

 憎悪で震える唇で、井平は言った。雲田はため息を吐くように「かもね」と呟いた。

「それでも私は後悔してないよ。私が選んだ道を、間違ったとは思ってない」

 井平を見つめる雲田の目には、敵意さえもう無かった。憐れむように、雲田は苦笑していた。

「井平一等……君はどうだ。本当に、君の歩んできた道はそれで良かったのか? 善人も悪人も、子供も味方も関係なく手にかけて、血にまみれたその手に今何が残っている?」

「……黙れ」

 鬼の形相で、井平は歯をガチガチと鳴らした。寒さによる震えでないことは明らかだった。

「還る場所を失くしてまで穢したその手に、君は今何を持っている。何を遺せる?」

「黙れ」

「いったい何者になりたかった? 何者かに君はなれたのか?」

「黙れ!」井平は怒号を上げた。「お前こそ、何人も何人も殺しまくったくせに……わかったようなこと言うな!」

 血の混じった唾を吐きながら、雲田は言った。

「何のためにそうまでして戦った? 井平一等兵ッ!」

「うるさいッ!」

 雲田と井平は、互いに銃口を突きつけた。雲田の瞳に映り込んだ自分と、井平は目が合った。

 知らない人間が、そこには居た。人の顔をしていなかった。

「私は——ッ」

 二発の銃声が、同時に鳴り響いた。





 けだものかえらない





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