第42話 妹たち
私は、直後に沈黙を破って話し始めた。
「沙織……さん」
「何? 敬称の間にある妙な間は、嫌なら呼び捨てでもいいわよ」
「いや……今までにされたことへの心の整理がついてなくて……しばらく、これで許してください」
「分かった……それで、何?」
「さっきの男」
「あぁ、沢井?」
「はい、あの男、私が過去に……」
私が言葉に詰まると、沙織がフォローした。
「分かってるわよ。きっと、以前に泊めてもらった男でしょ?」
私は頷くと、続けた。
「その時は……」
「言わなくていいわよ!」
沙織は言葉を遮って言ったので、私は強く返した。
「いえ、言わせて。その時は、何日いたのか覚えてないけど、毎日、何回もやったんです。……そういうこと、私も抵抗なくなったし、慣れてきたから、表情を作ったり、相手が喜ぶ感じたふりして楽しむことを覚えてみたりして……」
沙織は、ハンドルにもたれかかってはいるが、さっきと違って、すぐ下を暗い表情で見つめて歯ぎしりをしていた。
「でも……今日、あの男に腕を掴まれて、そういうことをさせられそうになった時、とっても、とっても嫌だった。……おかしいですよね? 前には、毎日していた事なのに、身体が受け付けないし、嫌悪感で身体が拒絶反応示して」
と、私は沙織に腕を見せながら言った。
……腕中に鳥肌が立っている。
思い出すだけでも、立ってくるのだ。
「もういいよ!!」
そう言われたが、私の体は止まらなかった。
震えが止まらず、涙が溢れてきた。何もかもが、止まらないのだ。
ボロボロと涙をこぼしながら、言った。
「私、私……おかしくなっちゃったのかな? ……前は、できていたことが、できなくなって嫌になってくるなんて、私、自分がどうかしちゃったのかと思うと怖くて……怖くて!!」
沙織は私を正面から、ぎゅうっと力強く抱きしめた。
「それでいいんだよ! ……燈梨は、あいつとヤるの嫌なんでしょ?」
私は頷いた。
「それで、あいつに『嫌だ』って、言ったんでしょ? 言えなくても態度で示したんでしょ?」
再び頷いた。
「だったらいいんだよ! それでいい! 嫌なことを嫌と言える。今の燈梨は偉いんだよ! 嫌なことを無理して受け入れることなんてない。分かる?」
私は、泣きながら頷いた。
沙織は、私が落ち着くのを運転席でじっと待っていてくれた。
私は、ただひたすら涙を流した。
……どうしたら良いのかも分からず、とにかく流し続けた。
沙織は、黙ってティッシュの箱を私の脇に置いて見ていてくれた。
そして、ポツリと言った。
沙織は、コンさんの暗殺に失敗した後、舞韻さんに捕まって拷問されたそうだ。
毎日、ちょっとずつ爪を剥がされ、髪を焼かれたり、針で刺されたりして、眠りに入ったあたりを狙って水をぶっかけられて、眠れないようにされたそうだ。
さすが、海外で拷問の名手として名を馳せた舞韻さんらしい、拷問っぷりだったという。
しかし、4日目になると拷問の手が緩んだそうだ。
前夜、舞韻さんから
『明日は、今日までとは違うから……胸を切り落として、更に殺す気の拷問をする。明日で最期だから』
と、予告されてたのに何もされなかったそうだ。
裸で
目隠しされてたから見えなかったが、爪の剥がされた左手が手当てされていて、包帯が巻かれていた。
そして、昨日までは無かった猿轡がされ、拷問なのに喋れないようにされていたそうだ。
沙織は、はぁーっと、ため息をついた。
ため息というより、呼吸を整えたのだろう。
「あたし、怖くなった。これで『今晩は好きな物食べさせてあげる』って言われたら、間違いなく明日処刑されるって思ったの。
だから、舞韻が水を飲ませに来て、猿轡が外れた瞬間、泣きながら『昨日の続きはどうしたの? 昨日までみたいに、針で刺したり、叩いたりしてよ! まだ何も喋ってないでしょ!』って思わず叫んでた。
分かる? 人は、最悪の状態に居続けると、普通の状態に戻ったことがおかしいと思っちゃうの。今の燈梨はそれと闘っているの。負けちゃダメ!!」
と言って、私の手を握った。
私は、今の話に衝撃を受けた。
そして、以前に、コンさんが言っていた言葉を思い出した。
『燈梨の世間観は低い位置にズレてる。世の普通の人間はもっと優しいもんだ』
今の私は、最悪から普通へと戻ることに戸惑っているのだろうか?
そう迷った時、沙織が握る手の感触が、更に強くギュッとなった。
私は彼女を見ると、沙織の目が潤んでいた。
私のそれまでの彼女のイメージは、空気を読まない、ちょっとえっちで、間の抜けたスナイパー。
そして、性格は、残忍で人の温もりがない女。というものだったので、その涙に、私の心は動かされた。
私は大きく頷くと
「それで、さっきの話……」
「えっ!?」
「叫んだ後、舞韻さんは?」
と訊くと、沙織はハッとした表情を浮かべた後、いつもの切れ長で妖艶な表情に戻り、車をスタートさせると
「あの女、そう言ったら『は!? 何言ってんのあんた。もしかして真性Mっ娘系?』とか、言いやがってさぁ」
と、笑いながら言った。
私も笑いながら、訊いた。
「でも、なんで4日目は、何もされなかったの?」
沙織が後で聞いたところによると、舞韻さんはコンさんを狙った沙織を、最初から処刑するつもりでいたそうだ。
しかし、コンさんはそれに反対し、自分で沙織の背後関係から、黒幕を調べ上げたそうだ。
その結果、沙織を拷問する必要も処刑の必要もないと、舞韻さんを説き伏せたそうだ。
そして、沙織は続けた。
「だから4日目は放置プレイだったの。猿轡は、あたしが絶望して舌を噛み切らないように噛ませたんだって。…普通逆だろ! 拷問中に猿轡されてたら『もう喋らなくていい=用なし』って意味に捉えるだろって」
そして、笑ってから表情を戻して言った。
「あとね、燈梨」
「沢井に連れ去られそうになった時、どうして、誰にも助けを求めなかったの?」
「あの時、大声出して抵抗した……けど『警察呼ばれると、困るのそっちでしょ』って言われて、このままだとコンさんたちにも迷惑がかかると思ったら……」
と思い出して、また下を向いた。
沙織は、チッと舌打ちしながら
「クソがっ!」
と言うと、表情を柔らかくして言った。
「燈梨……あたしは、燈梨にかけられるそういう迷惑は迷惑だと思っていない。
フォックスや舞韻も同じよ。みんな燈梨を受け入れるって決めた時から、そういう面倒ごとも含めて背負う覚悟だから、警察沙汰が嫌ならあたしに直に連絡でもいい。
燈梨は、人の事よりも自分自身の事を考えて大切にしなさい。
それが、フォックスやあたしたちの願い。燈梨に、心から笑って暮らして欲しいの。
それに、警察呼ばれると困るのは沢井も一緒、城台金融絡みで死人が出て手配されてるから。
燈梨、悪い大人に騙されちゃダメ! もっと自分を大切にするの!」
私は、以前にコンさんや舞韻さんに言われたことを思い出した。
『燈梨は、もっと自分の事を考えて欲しい』
『お子様は、妙な気を遣わずに大人に甘えるから可愛いの! 今の燈梨は、マセたガキみたい系』
分かっていたつもりだった。
私には大人に対する遠慮があって、それがらしくないと言われているのだ。
なので、日常では甘えているつもりであったが、今日のようなシチュエーションで、社会的正義を持ち出されると、私は委縮してしまう。
どうしたら良いのかを考えてしまうのだ。
私は思わず訊いた。
「沙織……さん」
「何?」
「ちなみにさっき、警察が来たりしたらどうしたの?」
「あたしらは、腹違いの姉妹で、コイツがウチの妹を誰かと勘違いして、しつこく連れてこうとするって、来た警官に訴える。大体、警官は女の子の言うことの方信用するでしょ」
「……でも」
「あたしって、そう思われていないことは理解してるけど、一応プロな訳。
そして、プロはこういう場面を切り抜けられなかったら、とっくに別荘暮らしな訳、その後喰い下がられても、2の手3の手って幾つもある訳よ」
そして、運転しながら左手で私の手を握ると、言った。
「燈梨が舞韻に助けられた時、あたし言ったけど、フォックスの事、みんなの事をもっと頼っていいの! 今までの奴らみたいに、泊めて貰ったからあげる必要なんてない! あたしたちはもっと頼って貰って、もっと何かしてあげたいの。だから、遠慮されてると、ぶっちゃけ気分悪いかも」
私は頷いた。
そして、恐る恐る言った。
「分かった……けど、今までが今までだったし、性格的なところもあるから、ちょっとずつかもしれないけど、みんなを信頼して頼っていく」
沙織は、私の頭をポンポンと叩いてから、撫でると明るい声で言った。
「よしよし~。それでいいんだぞ! あたしも、頼られる下が欲しかったし。燈梨も、もっと色々みんなに頼れば、みんな普通じゃできない経験があるから、きっと役に立つからさ」
その沙織の表情は、明るかったものの、ほんの一瞬、影を落とした箇所があったので訊いた。
「沙織……さん?」
「何?」
「以前に、下がいた経験って、あるんじゃない?」
「同じ師匠の下で育った妹弟子が、いたことがあったよ」
「今は?」
「さあ? ……死んだとは聞いていないから、生きてはいるんだろうけど、この世界でも目立った動きはしていないから、消息は不明なのよね」
「どうしてそんなに知らないの? 妹弟子じゃないの?」
と言うと、ちょっと暗い表情になって言った。
「あたしって、こういう感じだから、物凄く軽く見えちゃうんだろうね。
色々世話を焼いてたんだけど、あたしみたいな人間とは、距離を置きたいって言って、離れて行っちゃった。その後あたしは、この世界から離れて……って感じだからさ」
私は、そこに普段とは違う、沙織の闇を見た気がした。
そして、普段の沙織のあの明るくて軽薄、空気の読めないような性格は、作られているんじゃないか……と思った。
その時、どちらのともなく、お腹が“きゅるるるるる”と鳴った。
私も沙織も笑ってしまった。
「そう言えば、あたしらお昼まだだったね」
と言うと、次のサービスエリアへと入った。
ここも、大きなサービスエリアだったのでレストランも大きく、お昼を食べるのには、ぴったりな場所だった。
名物は、お蕎麦か牛肉ステーキということだった。
「燈梨も折角だから、お肉食べた方が良いわよ……それでおけ?」
と勧められ、2人でステーキ定食を食べた。
サービスエリアには、他にクレープ屋さんも出ていたが、さすがにステーキで2人ともお腹が張っていて、頼むことは出来なかった。
上り線側にもあるそうなので、帰りにも寄って食べようと沙織は言っていた。
サービスエリアを出発すると、私は、余裕ができたので、訊いてみた。
「沙織……さん」
「ん?」
「この車、何ていう車?」
「パオ、日産のパオっていう車。レトロ風の現代車、って感じで限定発売されたんだけど、既に平成2年式だから、30年前の車で『現代』って訳でもないのよね~」
と言って、笑った。
私は室内を見回した。
室内の、ダッシュボードやドアの内張りも、ボディと同じ水色でコーディネイトされていた。
エアコンの吹出口こそ、無機質な現代風な形だったが、メーターは丸形で文字盤は、お洒落なレイアウトになっていた。
ウインカーや、ワイパーレバー、ハンドルや、メーター文字盤、スイッチや、ラジオ、空調のつまみ等は、全てアイボリーホワイトでコーディネイトされて、そのラジオとCDデッキも、昔の真空管ラジオをイメージしたデザインで仕上げられており、お洒落さが際立っていた。
利便性のためポータブルのナビが設置されていたが、正直、この室内のコーディネイトに似つかわしくなく、非常に邪魔に感じるほどだった。
「あたしね、この車だけは一度乗りたかった。……私の大好きな人が、乗っていたから……」
と沙織が、ニコッとしながら言った。
私は、沙織に初めて近づけるような気がして、妙にワクワクした。
「……ところで」
「はい」
「燈梨……あなた、お兄さんいるでしょ?」
「えっ!? な……なんで?」
「深いところはないわよ、あたしにも、兄貴がいるの。前に言わなかったっけ?
同じ兄弟姉妹の組み合わせ同士って、何となく波長で分かったりするの。
あたしは、最初に燈梨を
「はい……あってます」
「仲いいの?」
「はい。……今は、私の心配をしていると思います」
沙織は、ちょっと鋭い目つきになると
「……だったら、燈梨はこんな事にはなってないと思うけどね」
と、吐き捨てた。
……私はびっくりしたような、怒りのような、妙な感情が湧いてきたが
「あたしの話、しようか? ……恐らく燈梨は興味あるでしょ?」
と不意に言われ、思わず頷いた。
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