2人目の女編

第27話 雨降りとすれ違い

 今日は、コンさんは、会議があるとのことで、いつものように車ではなく、電車に乗って出勤するとのことだった。


 いつもは、現場仕事用の会社のジャンパーと、ポロシャツなので、スーツ姿のコンさんを見るのは初めてだった。

 見慣れないせいか、少しの違和感と共に、いつもより、少しシャープに見えるコンさんは新鮮だった。


 いつものように、コンさんを送り出した私は、家事の続きに取り掛かった。

 まずは、洗濯を片付けて外へと干す。

 昼前に終わらせておけば、今なら夕方には、取り込める。


 次に、掃除をする前に、今日は、燃えるゴミの日であることを思い出し、各部屋にあるゴミ箱を集めて一纏めにする。

 そこで、気がついたことがある。キッチンにあるゴミ袋。各部屋のゴミを集めて、これに纏めて出すのだが、いつも、その中に妙なゴミが混ざっているのだ。


 それは、ある時は、コンビニの小さな手提げ袋だったり、お菓子の箱であったり、ティッシュの空き箱だったりするのだ。


 今回も、コンビニ袋が捨ててあったのだが、コンさんは、営業車のゴミは外で捨ててくるのに、家に持ち込んで捨てるとはちょっと考え辛いので、いつもなら湧かない興味が湧いてちょっと、拾ってみてしまったのだ。

 明らかに他のゴミが入っている様子だったので、私は思わず全て出してしまった。

 そこには丸めたティッシュがいくつも入っていた。


 ……私はそれを見て少なからずショックだった。

 男の人の行為のゴミであることは明らかだった。


 私は、コンさんと出会って最初の頃、いつも最初の宿泊先では、そうしているようにコンさんを誘ってみたが、ことごとく拒絶された。

 その時、コンさんはおじさんなので、そういうことには興味がないんだろうと思って解決していた。


 そうでなければ、いくらなんでも、若い女子に誘われてその気にならない男など、いるはずがない、と思ったからだ。


 現に、今までの経験上、そんな人はいなかった。

 まず、私とそういう関係になることに、興味がない人ならば、泊めてくれるわけがないし、泊めてくれているのに手も触れて来ないということは考えられないからだ。


 なので、私はコンさんは、そういうことに対して枯れてしまっているのだが、きっと、そういう勘が戻ってきたなら、すぐさま手が出せるように私を傍に置いているのだと思った。


 若い娘と一緒にいれば、忘れていたその手の感覚が戻ってきて、自分が若返れると考えているのだと思っていたのだ。

 口では何と言おうが、やっぱりこの世は、下心なしに他人を受け入れるような甘い世界ではない……と、しかし、コンさんはそうではないようだ。


 それは、この手のゴミが出てくるペースから見て間違いない。

 きっと、コンさんは毎日ゴミを発生させているのだろう。

 ……ならば、私に手を出してこない理由は一体なんだろう。


 そして、そんな状況なのに、何も言わずに私を家に居続けさせる理由は何なんだろうと思うと不思議で仕方がなかった。


 私は、自惚れているわけではないが、自分の見た目と体つきに関しては悪くはなく、むしろ、女子高生にしてはかなり良いと思っているので、コンさんが私に興味がないとは思えないのだ。

 ……正直、2日目の夜に『食べてみてオイシイと思うけど』なんて、言ってしまったのだが、焦りとは言え、本音が漏れてしまったのだ。


 つまりは、コンさんは私を女として、そのような対象で見ていないということだ。

 私が、ヤッてもいいとい言っても、拒絶しながら、他方でそうやって処理しているのを見てしまった。


 では、コンさんにとって私とは何なのであろう?

 捕虜に強制労働で、家事をさせてるなんて、ぶっちゃけ後付けの理由だ。

 コンさんの家に来て思ったことは、今までだって、家事は何不自由なくこなせていたのだ。

 舞韻さんが、やっていたのかもしれないが、それを抜きにしても問題なく片付いていた。

 

 それをさせるために、私を置いているとは思えない。

 更に言うと、先週から、私は家の外へと出ることが出来るようになった。

 舞韻さんが、コンさんに進言したらしく、私は家の門を自由に出ることが出来るので、今や捕虜とは言い難い。なので不安なのだ。


 他方で、私は、今のこの生活に、心底ホッとしているところがある。

 今までの私は、自分という厄介者を受け入れてもらうのに、今までの自分ではない自分であることを常に求められてきた。


 ……ただ、それは至極当然だ。

 何故なら、私の存在は、それに匹敵するほど社会的リスクが大きいからだし、ある時からは、そうなることを承知で泊めて貰う条件にしていたからだ。

 でも、コンさんはそれを固辞し、私にありのままの私でいる事を求めてきたのだ。


 世の中にそんなうまい話はない。


 見知らぬ女子高生を、何の見返り無く、取ってつけたように家事を任せているだけで何も言わずに住まわせるなんて。

 いくらコンさんが殺し屋で、私が目撃者でも……だ。


 だから、私は今のこの生活を失いたくはないと思っているし、願わくば、今のままでいてくれれば、とも思ってしまうのだ。


 なので、今のうちからコンさんと、今までの男性と同じような関係になっておけば、コンさんは私に酷い仕打ちをすることはないし、ことによると、それが、これからも居続けられる理由になるかもしれないのだ。


 銃を突きつけられて、ビルの手摺に縛り付けられた時、私は、自分自身で、遂にこの生き方を送ってきたツケが回ってきたんだな……と、思うと同時に、思い出されるのは家を出てからの生活の事と、それに対する不完全燃焼感だった。


 私は、このおじさんに殺される。

 ヤバいものを見てしまった以上は、ヤらせてあげるくらいでは、許してもらえそうにないことくらいは気付いていた。

 ここに連れて来られた時、納得はできないが、覚悟はしていた。


 でも、結局、家を出ても、解決したいことについて考える時間は殆どなく、考えているのはいつまでここに居られて、次にどうしようかという目先の事だけで、肝心なことについては以前と何も変わっていないのだ。


 ……だとしたら、私のこの数ヶ月間は一体何だったのか? という、不完全燃焼感が殺される寸前と思っていた私の頭を渦巻いていたのだ。

 しかし、ここに来てからの私は、少しずつではあるが、『私』を取り戻しつつある。

 このまま、この生活を続けていれば、今すぐではないけど、に、ケリをつけられるような気がしてきたのだ。


 だから、私は出来る限り長く、なろうことなら期限を設けずにここに居たいと思っている。

 なので、居続けるだけの理由というか、確かなものを手に入れたいのだ。


 コンさんは、何も言わずに今のところは私を置いてくれているが、状況が変われば、特にコンさんに同棲する寸前の関係の女性がもし、いたとすれば、私の存在は都合が悪くなるのだ。


 そうなれば、必然として私は出て行くしかない。


 正直、それは考えたくない。


 私は、家を出てから……いや、もしかしたら、産まれて初めて心からホッとできる時間を過ごすことができている。

 ここから出るという事は、家に帰るか、また、今までのように別の誰かの家を泊まり歩く生活に戻るしかないが、今となっては正直、どちらもしたくない。


 色々な気持ちが巡る中、どんどんと思い出されてくる。

 家を出て、最初に泊めて貰った人、になった最初の夜の事、それ以降の事、名も覚えていない男の人の顔が次々思い出されてくる……嫌だ……嫌だ。

 でも、全ては私の歩んできた道なのだ。それは消せないが……頭の中に思い浮かんでくる。


 「嫌!!」


 思わず声に出してしまった。


 その思いを振り切るべく、何故、そんなことを思い出したのかを辿ると、自分のするべきことが途中であることに気付いた。

 取り敢えず、ゴミをまとめて、掃除をしよう。

 とにかく家事に没頭していれば、そんな変なことは思い出さずに済む。


 掃除、洗濯、お風呂掃除と、一通りの家事を終えた私は、コンさんからメッセージが来ていた事に気付いた。


 『会議終了後、飲み会があるので、夕飯はいらないです。なるはやで帰るから』


 そう言えば、そんな事を夕べ言っていたような気がする。


 会議の後は、飲み会になることが多いから、もしかしたら、夕飯はいらなくなるかもしれない……と。

 コンさんのメッセージは、顔文字やスタンプを一切使わないので、業務報告っぽい固さがある。


 コンさんらしい真面目さは感じられるが……。


 しかし、そうなると、コンさんのいない時間が長くなる。

 さっきの、思い出したくもない事が、思い出されてくる恐怖に襲われ、私は、他の事に集中するべく、コンさんの部屋へと入って、本や漫画を持ち出すと、必死に読むことに集中した。


◇◇◇◇◇


 洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、朝、干した時とは違って空がどんよりと曇っていた。

 天気予報を見ていなかった、と思って、洗濯物を畳みながら、テレビをつけると、夕方から本降りになるようだ。


 普段なら、昼間からテレビを見るようなことはしないが、今日の夕飯は、私1人なので時間がかからない事と、変なことを思い出さないために、天気予報の後もテレビを見続けた。


◇◇◇◇◇


 ふと、気がついた時、辺りは真っ暗になっており、メッセージアプリの音で私は我に返った。


 『飲み終了した。今から帰るから』


 私は、カーテンを閉めようと、窓際に行くと、外は本降りになっていることに気付いた。

 コンさんは、傘を持って行っていない事に気付いた私は、急いでメッセージをした。


 『何時の電車に乗るの?』


 そうだ、コンさんを迎えに行こう。


 到着時刻の返信を見た私は、準備を始めた。

 駅から家まで歩くと、10分強かかる。傘が無いと、ずぶ濡れになるし、タクシーを使うには微妙な距離だ。


 玄関脇の物入れから、傘を出した。コンさんは、傘を2本しか持っていなかった。

 一見、紳士用の高そうに見えるが、持ってみると、安物であることが分かる物が1本と、バーバリーのタータンチェックの傘が1本だ。


 何故、こういうものに無頓着なコンさんが、持っているのかを舞韻さんに訊いたところ、以前に安物の傘が強風で、あっという間に壊れたため、当時の勤め先の社販で買ったのだそうだ。……なるほど、コンさんらしい理由だ。


 私は、バーバリーの傘をさし、もう1本を持って駅に向かった。

 コンさんは、私にバーバリーを使うように言っているし、私がさしても違和感がないのはこちらだからだ。


 正直、駅に向かいながら、コンさんに会うのが待ち遠しい自分に気付いた。

 いったい何なのだろう? 自分自身でもうまく説明できないこの気持ちを抑えながら、駅に到着した。


 到着した私は、コンさんにメッセージをしようと携帯を探したが、見つからない。

 思い出してみると、着替えをする際に、リビングのテーブルに置いたような気がする。


 「しまった……」


 連絡手段がないこと、『迎えに行く』と連絡しなかったことを、後悔していると、コンさんが乗っている電車が駅に到着した。


 よかった! ここで待っていれば、コンさんを捕まえることができる。

 私は、喜びながら、コンさんが出てくるのを待った。


 駅から出てくる人並みに呑まれないよう、人込みから少し離れた場所に待っていると、コンさんの姿を見つけた。

 私は、駆け寄りたい衝動を抑えて、ちょっとふざけてみようかと思い、そーっとコンさんのいる方へと近寄って行った。

 驚かせてやろうと思ったのだ。


 次の瞬間、私は、凍り付くような感覚に襲われて全身が動かなくなった。

 コンさんの背後から、女性が現れたのだ。

 歳の頃は30代中くらいの、黒髪ロングでスラッとした感じの色白の美人だ。


 そして、コンさんの肩に抱きつくと、自分の持っている傘に、コンさんと2人で入ってロータリーを家の方向へと歩いて行った。


 ……コンさんに彼女がいたんだ。

 私は、状況を整理して、そう結論付けた。

 コンさんに、あれだけ親しげに接する人を、私は見たことないし、そんな関係でなければ、一緒の傘に入って帰るなんて行動はしないだろう。


 それに、年齢的にも釣り合う。

 私は、コンさんとは2回り以上歳が離れていて、親子と思われてもおかしくないが、彼女なら普通に見て、そういう風に見える。


 彼女となら自然で、私とでは不自然なのだ。 


 私にとって、それは言葉で言い尽くせないほどショックな出来事だったのだろう。

 このこみ上げる感情が何なのか、自分でも説明がつかない。

 とにかく、私は、あの家には戻れない。戻ってはいけないのだ。


 何故か、溢れる涙でぼやける視界のまま、私は、家とは逆方向へと、当てもなく早足で歩いた。

 部屋着では、さすがにどうかと思ったのと、コンさんを驚かせようと思って着てきた制服だが、夜中になるとリスクも高い。

 でも、そんなことは、考えている余裕はなかった。

 それに、コンさんと出会うまでは、それが唯一の服装だったではないか。


 涙で定まらない視界で歩いたことにより、誰かとぶつかった。

 

 「すみません」


 私は、反射的に言った。


 次の瞬間、通り過ぎようとした私の腕を、相手に掴まれた。

 ……そして、私の意識は途切れた。


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