垂れ桜の牢
koto
垂れ桜の牢
遠くおぼろげな記憶と伝え聞いた昔語りを、いま書きとめん。
遠い昔の話。
都から離れた小さな村に、幼い少女がいた。
少女は生まれつき珍しい髪の色をしていた。この国には少ない、収穫を前に輝く稲穂の色の髪。
村の者はその色ゆえに、少女を忌み子として扱った。彼女は布で髪を覆い、村での雑用を引き受けて糊口をしのいでいた。
生きるために、時には収穫を求めて山へ入ることもあった。山の神は女性であって、同じ女子が入ることを喜ばぬというが、忌み子は忌巫女に通ずと長老が口にしてから、黙認されるようになった。
春、山がところどころ明るい花の色で染まるようになると、少女は決まって山に向かう。ふもとからの道は険しく、岩場も登らねばならなかったが、それでも何かに憑かれたかのように……まこと、神をおろした巫女のように彼女は黙々と山を登り、頂き近くを目指した。
目指すは桜の巨木。山を見守る老いた樹は少女の心の支えだった。枝垂れて咲く薄紅、舞い散る花のもとで彼女はただひたすらに歌う。浮き立つこころ、魂の震えのままに。
そう、彼女は本当に巫女だったのだ。魂を鎮める歌を生まれながらに知り、里を荒し世を乱すものを封じていた。長老はそれを薄々感づいていたのだろう。彼女の振る舞いを黙認するのはそういうことであったようだ。
その年も、少女は老木のもとで舞っていた。髪を覆う布を取り外して腕にかけ、結い上げる紐を抜いて蓬髪とし、粗末な衣はそのままにひたすら歌い、踊る。
花よ鎮めよ
鎮めよ花よ
災い えやみを
舞いて鎮めよ
誰に教わったわけでもないその歌は、ただ口をついて出た。
地に向かって幾重にも枝を伸ばす桜の枝と花が、さながら幔幕にも瓔珞にも見え、禁域にしつらえられた舞台となって彼女を受け入れていた。あでやかな舞はもはや達人の域に達している。人に見せるための舞ではなく、神をもてなし慰撫するもの。時に神に命ずるほどとなった巫女は春風の香りと神気に酔いしれていた。
と、そこに草を踏み分け近づく気配と、笛の音が響いた。彼女の舞をたっとぶように、邪魔をせぬように細心の注意を払って奏でられる笛の音。神憑きの巫女は誘われるままに歌い、笛の音に乗せて花びらの毛氈の上で舞った。
ひとしきり舞った彼女が腕をおろすと、木陰から月明りを受けて艶やかに光る衣をまとった男が現れた。
男は少女の舞を讃え、神との交歓に割りこんだことを心から詫びると、扇を彼女に恭しく差し出す。見事な彩色のなされた檜扇を初めてみた彼女は、目を奪われた。
「これはあなたの今夜の舞に割り込んだお詫びです。どうかお受け取りを」
月明りに熟した稲穂の色の髪を輝かせて、少女はそれを受け取り、おもむろに舞い始めた。
遅れて笛の音が響く。ひろげた扇が風を起こし、桜の花弁をゆらゆらと舞わす。
桜の樹の下、枝の内側で舞う彼女と、枝の外側で奏でる男。二人は空の白むまでそうしていた。
それから毎年、春が巡りくるたびに男は少女の舞に笛を添えた。
山の木々は少女の浮き立つ心を映したかのようにみずみずしく茂るようになり、村のものを喜ばせた。
だが、花は散る。人の命もあっけなく喪われる。
幾度目の春を迎えたであろうか、満月と花の盛りが重なったうるわしい夜だった。男は笛を携えて山道を登り、桜の樹の元へと心を急がせた。
木々の間から桜の薄紅が窺える距離になってさらに足を早めると、山に似つかわしくない匂いが彼の鼻腔に届く。
血の匂いだった。
慌てて桜の樹まで走ると、そこには3人ほどの男たちが桜の枝に心の臓を貫かれてこと切れた姿と、物言わぬ骸になった少女の姿があった。男たちに何があったのかはわからないが、少女に何があったのかは見て取れた。
男たちの有様から目を背けつつ少女の元に駆け寄ろうとすると、急につむじ風が巻き起こり桜吹雪が視界を奪った。袖で顔を覆ってその嵐をやりすごした彼が袖をおろした時に見たものは、花をすべて落として枯れ木のごとくなった大樹と、花にすっかり覆われて見えなくなった地表。いくつもの骸を隠して、地表の花弁は薄墨の色に沈んでいた。
垂れた枝は、彼を幹との間……彼女の骸のあった場所に立ち入ることを許さぬ気配を漂わせ、怒りと悲嘆に震えているようだった。
男は無力な自分を呪い、嘆いたが、全ては一歩遅かった。
ひとしきり嘆いた後、彼は笛を取り出して彼女の好んでいた曲を奏でると、西に傾いた月の光を頼りに山を下りた。
その年から、桜は紅の色を捨て、薄墨色に咲くようになった。
花を愛でたもの、花が愛でたものの死を悼むように。
少女の骸は枝の下、今もとらわれたままである。
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・頂いたお題:垂れ桜の牢
垂れ桜の牢 koto @ktosawa
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