つれづれ~春の日に~
koto
春の日に
桜が日本中に、柔らかな薄紅の衣を投げかけるそんな春の日。
「お花見に行こうよ。せっかくのお天気なのに家で過ごすなんてもったいない」
日が伸びたとはいえ、出かけるなら早めにしたいのに、彼は相変わらずの出不精だ。
「二人分の食料はあるはずだ。細々したものもちゃんとある。家にこもっても何ら問題ないと思うぞ」
「私は、二人でお花見したいの」
彼はPCのモニタからこちらに目を向けて、ため息をつく。PCの横には通販会社の段ボールが大小山ほどつぶして積んである。
次のゴミの日はいつなんだろう。それまでにきっとまだまだ溜まるに違いない。
「俺は人混みは苦手だって言ったよな」
「でも、あなたと一緒が良いの」
やれやれ、と口に出さないまでもそのフレーズが聞こえてくる気がした。ネットスーパーと通販をこよなく愛し、出かけるのを苦手とする彼にとっては私の言い分は付き合いづらいわがままだろう。
「平行線だな」「そうね」
全く何でこの人を好きになってしまったのだろう。
仕事で出会って、その丁寧な作業や心配りがいいなと思った。淡々と気取らずにいる背中にいつしか惹かれていた。
付き合いだしてから、この出不精っぷりには驚かされたのだけれど。
この人は運動不足で具合悪くなるんじゃないだろうかと心配になるほど休日は何もしない。
PCデスクの横に飲み物と食べ物と本を置いて、ひたすらそこで時間を費やすような人。
なんで私と彼は付き合ってるんだろうと時々思わないでもない。
休日らしく無精ひげを生やしたままの彼は、何事か考えている様子で椅子の背もたれに体を預けて目を細める。このまま居眠りでもされた日にはキレるかもしれない。
「私は」あなたの隣にいるだけで幸せだなんて殊勝なことを言ったらきっと彼はそれをいいことに動かなくなる。
「あなたと」そう、他でもないあなたと。
「一緒に見る花が良いの。そうじゃないなら今日ここにこないでとっとと一人でお花見してるよ」
本当は他の人から誘われたのだ。でもあなたと会いたくて、あなたと時を重ねたくて、ここにいるのに。
うつむいていると、キーボードをたたく音。人の話を聞き流すなんてひどいな。
「夜」
え、と聞き返すと
「車で夜桜じゃだめか?」
こちらを見上げて静かに問いかけてくる彼。
「いいよ。でも車って」
余分なものを持たない彼は、車なんて持っていない。
「借りる。駅前のレンタカーでいいか?」
「もちろん」
彼はモニタを指さす。色とりどりの車が並ぶ画面を見つつ
「どれがいい? 好きなの選んでいいぞ」
「車種はわからないよ。任せる。……あの、運転してくれるの?」
「ああ、構わない。運転するから酒は飲めないけどな、何か食べるものと温かい飲み物でも持って行くか」
「いいの?」
「花、見たいんだろ。俺の知ってる場所でいいか?」
ああもう、この人は。
「じゃあ、私何か作る。何がいい? あ、お弁当箱用意しないと」
「任せる。タッパーがあるから、それを使えばいい」
色気がないと思いながら、暗い車内で食べるならあまり飾っても意味がないのだと気づき、お弁当箱購入は取りやめる。
「じゃあ、買い物に行ってくる!」
「冷蔵庫の中身を見てから行けよ。俺一人じゃ残っても食いきれないからな」
「はぁい!」
現金なもので、返事する声のトーンが上がる。
冷蔵庫を開けて中身を確かめる私に、彼は椅子から立ち上がって自分のお財布を渡すと
「それと、明日の朝飯の準備も任せていいか?」
そう言ってほほ笑んだ。
惚れた弱みって、心臓に悪い。
この笑顔は、タチが悪い。
そう思いながら赤くなった顔を押さえつつ、私は近所のスーパーまで駆けていくのだった。
つれづれ~春の日に~ koto @ktosawa
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