第147話 星明かりに照らされて
あっくんが戻って来ると言った約束の日、朝から私はあっくんの家で待っていたが、日が沈んでからも一向に彼が帰ってくる気配はない。
もしや何かアクシデントあったのでは、と心配するが、約束の日が終わるまではあっくんを信じて待つ約束だ。外に出たい気持ちをグッとこらえて、カレーを煮込み続ける。
カレーはあっくんの好物の一つだ。特にカツカレーが好きだと言う彼を子供っぽいと思いつつ、あっくんを迎え入れるにはこの料理しかないと前日から仕込んでいた。
トンカツも下準備は済んでおり、後は衣をつけて揚げるだけの状態だった。
「早く返ってこないかなぁ」
そう呟いた直後、玄関の扉が開く音がした。
あっくんかもしれない! と、急いで玄関へ向かう。
玄関へ向かった私の目に飛び込んできたのは、ボロボロの姿で今にも倒れそうなほどフラフラな悪道の姿だった。
「あっくん!?」
「あぁ……星川か……」
きっとあっくんは笑って、「ただいま! お腹空いた!」なんて言って帰って来るんだろうと持っていた。
でも、今のあっくんは後悔と恨みに満ちていて、今にも泣きだしそうな顔だった。
その表情を私はよく覚えている。
あっくんがかけがえのない大切なものを失ったあの日とよく似ている表情を。
それに気づいた瞬間、私はあっくんを抱きしめていた。
「苦しかったんだよね。辛いことがあったんだよね」
「星川……! 俺、俺のせいで……あいつがいなくなって……! 本当は全部あいつのおかげだったのに、俺は……俺は……!」
あっくんが目に涙を溜めて、しゃくり上げながら言葉を繋ぐ。
あっくんの言うあいつが誰かは分からないけれど、あっくんが大切な何かを失ってしまったことだけは分かった。
「泣いていいんだよ」
「……っ」
「辛いときは、苦しいときは泣いていいんだよ。私が受け止めるから、一人で抱え込まないでよ。幼馴染じゃん」
その言葉を聞いた瞬間、あっくんが私に寄りかかって来た。そして、声を上げて子供のように泣き出した。
思わずよろめいちゃうくらいあっくんの身体は大きくて、重かった。でも、私にその身を預けてくれることが嬉しくて、私はあっくんの背中をさすりながら、彼が泣き止むまでその身体を支え続けた。
*******
あっくんが落ち着きを取り戻すと、私は「ご飯を食べよう」と提案した。
あっくんを無理矢理席に座らせて、夕飯の準備を進める。
豚肉に衣をつけて油で揚げる。そして、カレーを温め器に盛り付ければ完成だ。
「はい! カツカレーだよ!」
皿と水の入ったコップをあっくんの前に置くと、あっくんのお腹がグーッと鳴る。
「ほら、遠慮なく食べて!」
「いただきます」
あっくんはそう言うとカツカレーをゆっくりと食べ始める。
「美味しい?」
「ああ。美味い……美味いよ」
そう言いながらあっくんはガツガツとカレーを食べ進める。その目には、再びうっすらと涙が浮かんでいた。
「もー、そんなに急いで食べないの。ほら、水も飲まなきゃダメだよ?」
「ああ、ありがとう」
あっくんに水を渡して、あっくんが食べ終わるまで私はゆっくりと待った。
あっくんが食事を終えた後、お皿を下げる。そして、あっくんの向かいの席に座る。
「落ち着いた?」
「ああ。その、なんていうか……ありがとな」
「気にしないでよ。それで、よかったらだけど、何があったのか教えてくれないかな?」
私の問いかけに、あっくんは頷いた。
それから、あっくんはゆっくりと丁寧に話してくれた。
タコという存在に出会い、触手少年というよく分からないものになってしまったこと、一緒にいるうちにタコを気に入っていたこと、タコと自分のために行動を起こそうとしたところで、失敗してタコを失ったこと。
「俺のせいなんだ。大した力なんて無い癖に、全部救いたいなんて甘い考えで行動した。そのせいで、タコは犠牲になった」
「あっくん……」
俯いて、そう語るあっくんはやけに小さく見えた。
支えてあげたい。だけど、あっくんにどんな声をかけるのが正解か分からない。
「同じ犠牲になるなら、あいつじゃなくて、俺がなるべきだったんだ。何の力も持たない俺が」
「そんなこと言わないでよ」
私の言葉にあっくんが口を閉じる。
「私は、あっくんが帰って来てくれて嬉しいよ。そのタコさんもあっくんたちを助けたかったから、自分を犠牲にしたんじゃないの? なのに、自分が犠牲になればよかったなんて……そんな悲しいこと言わないでよ」
「ああ……。そうだな。……悪い、もう寝るわ。洗い物は明日やるからさ、星川も早く返って休めよ」
「あっくん!」
私の呼びかけに応じることなく、あっくんはリビングから出て行ってしまった。
あっくんがいなくなった後、椅子に腰かけて項垂れる。
あっくんらしくないよ、とか、私を頼ってよ、とか、もっと言えたことがあったんじゃないかと思う。
だけど、私はタコさんのことを何も知らなくて、あっくんが悲しんでいるのに、あっくんが無事に帰ってきたことを嬉しいと感じてしまってる。
そんな私があっくんに寄り添う資格があるのか、そんなことばかり考えてしまう。
「ただ、笑顔になって欲しいだけなのにな……」
たった一人の大切な幼馴染すら笑顔に出来ない。元気づけることも出来ない。
そんな自分が情けなくて涙が出そうになる。だけど、一番辛いのはあっくんだから、涙をこぼすわけにはいかない。
「しっかりしなきゃ、あっくんの傍にいるって決めたんだから」
両頬をパチンと叩いてから、私も残っているカレーを食べる。
一人の食事は、あっくんが戻って来る前より不思議と寂しかった。
******
あっくんが戻ってきてから、三日が過ぎた。
あれから、あっくんは学校にも戻って来た。朝は今まで通り私と朝ごはんを食べて登校する。クラス内ではクラスメートたちと楽しそうに談笑する。そして、放課後は二人で帰る。
元通りの生活のはずだった。
だけど、あっくんが心の底から笑うことは無くなっていて、いつも心ここにあらずといった感じだった。
時々、私があっくんの手を握ったり、抱きしめたりすると驚いたような顔をする。
その時だけ、唯一あの頃のあっくんがちゃんと戻ってきているような気がした。
それでも、その時だけ。昔のようにクラスメートと時折バカなことをするあっくんはもういない。
私とあっくんが離れ離れになる直前のような、恋に真っすぐ向き合ってたあっくんは、いない。
「明里、最近あっくん家に来ないけどどうかしたの?」
ある日の夜、お母さんが不意に問いかけてきた。
「あ、う、うん……。今は、一人でいたいみたい」
私の雰囲気から異変を察知したのか、洗い物をしていたお母さんは手を止めて私の横に来た。
そして、私の手を取る。
「何かあったの?」
お母さんが心配そうに私の顔を覗き込む。
お母さんに心配はかけたくない。でも、あっくんのことでお母さんに相談したいということも事実だった。
「実はね……」
結局、私はお母さんに話した。全てではないけれど、あっくんが大切な友人と離れ離れになったことを気にしてること、自分のせいだと思っていて、元気が無いこと、あっくんを元気づけたいけど、どうすればいいか分からないことを。
私の話を聞いたお母さんはキョトンとした顔を浮かべた後に、柔らかな笑みを浮かべた。
「あなたも、あっくんもやっぱりバカね」
「え?」
「あなたもあっくんも、色々と思うことはあるんだろうけど、自分の本心に素直になればいいだけよ。知ってる? あっくんはあなたのことが大好きなのよ。そして、あっくんは好きな子のためならどこまでも頑張れる。もっと素直になればいいのよ。あなたがあっくんに思ってること全部吐き出しなさい。それで、万事解決よ」
そう言うと、お母さんはウインクをした。
「……その年になってウインクはきついよ」
「あら? 素直になれとは言ったけど、デリカシーを無くすなとは言ってないわよ?」
「ご、ごめんなひゃい!」
ニコニコとした笑みを浮かべながらお母さんに頬を引っ張られる。
私が謝罪すると、お母さんは呆れたようなため息を一つついて立ち上がる。
「あっくんはバカだから、視野が狭いのよ。それがいい方向に進むときもあるけど、悪い方向に進むときもある。だから、あなたが良くない方向にあっくんが向かってると思うなら、頬を引っぱたいてでも止めなさい。不満が言えない女じゃ、良妻にはなれないわよ」
「つ、妻って……べ、別にあっくんと結婚すると決まったわけじゃないよ!」
「あら? 誰もあっくんの良妻になれないなんて言ってないわよ」
カァッと音が聞こえてきそうなくらい顔が熱くなる。
そんな私を見て、お母さんは楽しそうに笑っていた。
「う……、も、もう寝る! あと、ありがとう」
「気にすることないわ。娘と義息子のためだもの」
お母さんはそう言うと、私に背を向けて再びキッチンの方に戻っていった。
その姿を見て、敵わないな、と思いつつ私はリビングを出てあっくんの家に向かった。
あっくんの部屋の扉をノックする。返事は無かった。
恐る恐る部屋の中に入ると、あっくんは目を閉じて眠りについていた。その目には涙の痕が残っていて、あっくんが泣き虫だったことを思いだした。
そう言えば、あっくんの両親が亡くなってしまった時も、あっくんは毎日泣いてたっけ……。
あの頃は、少しでもあっくんを元気づけたくて、一緒に寝てたんだよね。
懐かしい思い出が頭の中に蘇る。
「でも、少し嫉妬しちゃうなぁ。そんなにタコさんは大事な人なの?」
あっくんの頬をツンツンとつつく。あっくんは依然として寝息を立てていて起きる気配は無い。
素直になればいい。遠慮は必要ない、よね。
意を決してあっくんの布団に潜りこむ。
向かいあって寝るのは少し恥ずかしかったけど、久しぶりに二人で寝ると、温かくて、安心した。
****************
朝、目が覚めると星川がいた。
「ほ、星川!?」
慌てて飛び起きると、その衝撃で星川が目を覚ましたのか眠そうに目をこすりながら俺の方を見つめる。
「あっくん、おはよう」
「あ、うん。おはよう……じゃなくて! なんで俺の布団の中にいるんだよ!」
「なんでって……んー、なんとなく?」
星川の声に唖然としていると、星川は背伸びを一つして時計を見た。
俺もつられて時計を見ると、時刻は既に八時を回っていた。
「や、やべえ! 遅刻するぞ! 星川、急いで着替えないと……」
「ああ。いいのいいの。今日は学校サボろうよ」
慌てる俺を他所に、星川はのんびりとした口調でそう言った。
星川がサボると言ったことに信じられず、呆気に取られている俺を他所に星川はベッドにコテンと寝転がる。
「もう少し寝ようよ。あっくんも、疲れてるでしょ?」
「あ、いや、でも……」
「それとも、私と寝るの嫌かな?」
「寝ます」
断る理由など無かった。
嬉しそうに微笑む星川の隣に寝転がる。何が起きているのか分からず混乱していると、星川が俺に抱き着いてくる。
そのせいで心臓の鼓動が早まる。
「こうしてると、懐かしいね」
「……ああ、そうだな」
星川に言われて思いだした。俺の両親が事故死してから暫くの間、星川は俺と一緒に寝てくれていた。
もしかすると、星川は星川なりに俺を慰めてくれているのだろうか……?
「なあ、星川……ってもう寝たのか」
聞いてみようかと思ったが、既に星川は寝ていた。驚異的な速さだ。
「ありがとな」
星川の優しさに感謝しつつ、俺も目を閉じる。
思いのほか直ぐに眠気は来て、眠りにつけた。
次に目を覚ました時には、星川の姿はベッドの上に無かった。時計を見ると、既に昼過ぎだった。
どうやら四時間近く寝ていたらしい。
身体を起こし、一階に降りるとやけにオシャレな格好をした星川がいた。よく見ると、化粧もほんのりとしている。
「あ、やっと起きた! じゃあ、あっくん! お昼ご飯食べてデートに行こっか!」
寝起きの俺に向けて星川はそう言った。
そこからは怒涛の展開だった。
星川にテーブルの上に用意されたサンドイッチを食べるよう言われて、食べ終えたら着替えるよう急かされて、着替え終わったら手を引っ張られて家から出る。
「星川! ど、どこ行くんだよ!」
「んー内緒!」
そのまま行先も分らぬまま、星川に連れられて、辿り着いた場所は、俺たちにとって因縁深いあの水族館だった。
一瞬、タコが脳裏をよぎる。だが、次の時には「よし! 楽しもう!」という星川に手を引かれ、星川について行くことに必死だった。
平日の昼ということもあり、水族館にお客さんは殆どいなかった。実質、貸し切り状態ともいえる中、星川は水族館内を心底楽しそうに駆け回る。
「ほら、見て見て! イワシトルネードだって!」
「あ! イルカショーだって! 行ってみようよ!」
「アシカショーもあるみたいだよ! ほら、行こうよ!」
休む暇なく星川についていく。そのことに必死で、気付けば俺は笑っていた。
思えば、ここ最近は心の底から笑えていなかった気がする。だけど、今は本当に楽しい。
館内のほぼ全てを見終わったんじゃないかというくらい、駆け回った後、星川がある水槽の前で足を止めた。
「ここが、最後」
「ここは……」
その水槽の中にいたのは、一匹のタコだった。
その瞬間、タコが消えていく光景がフラッシュバックする。
「……星川、いこう」
「もう、いいの?」
「ああ」
唯一、タコの水槽だけは星川じゃなく、俺が星川の手を引いて立ち去った。
これ以上、あの日の悲しみを思い出したくなかった。
タコの水槽を見た後、俺と星川は浜辺に来ていた。まだ、三時ごろで外は明るい。
太陽の光が海に反射して、キラキラと輝いている。
俺の数歩先を歩く星川を見ながら、俺が考えることはタコのことだった。
俺がこんなに幸せを受け入れていいのだろうか、とか、タコをどうにかして救えなかったのだろうか、とかもう終わったことをいつまでも未練がましく考えてしまう。
「あっくん。ここに来ると、あの日のことを思い出すね」
ふと、星川が足を止めてそう言った。
星川の言うあの日が、どの日かは確認するまでもなく分かった。
「そう、だな。色々と衝撃的だったもんな」
「うん。でも、良かったよ。あっくんがちゃんと戻ってきてくれてさ」
星川に悪気が無いことは分かっている。だが、素直にその言葉を受け入れることが出来ない。
返事を出来ずにいると、星川が俺に向けて優しく微笑んだ。
「ねえ、あっくん。あっくんの好きな人は誰?」
そして、そんな分かり切った質問をしてきた。
「そんなの、星川に決まってるだろ」
「そっか。じゃあ、私のお願いを一つ聞いてくれないかな?」
「ああ、当たり前だろ」
星川のお願いが何かは分からないが、それが星川のためになるというなら極力協力はしたい。
俺の返事を聞いた星川は安堵の表情を浮かべる。それから、俺の目を真っすぐ見つめて口を開いた。
「本音を言って」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。それくらい、その言葉は予想外のものだった。
「本音を言ってよ。最近のあっくんは、全然本音を言ってくれない。私と付き合いたいとか、私のこと好きとか、タコさんを助けたいとか」
「そ、それは……」
「あっくんはバカだよ。でも、正直だった。真っすぐだった。そんなあっくんだから、私はいつしかあっくんに恋してた」
「……」
「本音を言ったらいいじゃん。我儘を言えばいいじゃん。我慢しないでよ。自分の気持ちを押し殺して、思っても無いのにこれでいいんだなんて、一人で勝手に納得しないで! あっくんが笑顔じゃなきゃ楽しくないよ。私のことが好きなら、さっさと悩み事を解決して、私に告白してきてよ!!」
星川の叫びが俺たち以外誰もいない浜辺に響く。その目には今にも零れ落ちそうなくらい涙が溜まっていた。
「でも、俺に出来ることなんて殆どない……」
「今更じゃん。あっくんは世界を救うスーパーヒーローじゃないんだよ。あっくんに出来ることはあっくん自身を幸せにすることと私を好きって言うことだけだよ! なら、自分に嘘をつかないで! あっくんが今一番望んでいることはなに!?」
星川が叫び終えると同時に、浜風が俺の身体を駆け抜ける。
俺が、望んでいること。
星川に告白しようとして、全てが始まった。タコに出会って、触手少年にされて、イリスさん、タマモ、星川を触手まみれにした。
そして、イヴィルダークからたくさんの戦闘員を連れて脱退した。
それらは全て――。
ああ、そうか。なんてことはない。俺が望んでいることなんて一つしかない。
「星川、好きだ」
「……へ?」
星川がポカンとした顔で俺を見る。
「え、あ……告白!? な、なんで? タコさんを助けたいとか、そういうのじゃないの!?」
「何言ってんだ。俺が望んでいることなんてたった一つ。星川をこれ以上ないくらい愛して、笑顔で生きていくことだ」
「そ、そうなんだ」
「そうだ。だから、タコも助けに行く。星川のことが大好きなのに、あいつのことを気にしちまって仕方ない。このままじゃ、俺は迷うことなく星川を愛せない。だから、力を貸してくれ」
星川に手を伸ばすと、星川は少しだけ驚いた表情を浮かべつつ、嬉しそうにその手を取った。
「うん!」
星川の満面の笑みが俺を明るく照らす。
思えば、久しぶりにこの笑顔を見た。
俺はバカだった。
顔を上げれば、何時だってその明かりが俺を照らしてくれていたというのに、それに気づかず道に迷っていた。
突然、街の方から轟音が鳴り響く。
それと共に星川の顔色が一変した。
「……っ! あっくん!」
「ああ。行くぞ!」
星川と顔を見合わせ、街の方に向けて走り出す。
もう迷わない。力がないとか、俺の責任とかどうでもいい。
俺は俺の幸せ――澄みきった心で星川とイチャイチャするために、あのタコを連れ戻す!!
************
シリアスパートはこれでおしまい! 多分!
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