第148話 触手の中心で愛を叫ぶ
「あっくん、私先に行くね!」と言った星川は変身して、早々に飛んでいった。
俺も負けじと走るが、一般人よりちょっとだけ体力がある程度の俺では全くついて行けず、置いて行かれてしまった。
もう夕方で学生たちの姿もちらほらみられる中、喧騒の中心に近づくにつれて逃げ惑う人の姿が増える。
大勢の人に逆行しながら、必死に走る。
俺の直感が語っている。
やつがいる、と。
現場に辿り着いた時、そこは阿鼻叫喚だった。
「ママー!!」
「いやあああ! 気持ち悪いぃいいい!!」
「放せ! 放せえええええ!!」
大量の触手たちに掴まれ、泣き叫ぶ人々。ビルを殴りつけ、車を掴み辺りに投げつける触手の群れ。
触手たちの根元には、それを操る蛇男がいた。
「シャーッシャッシャ! 泣き叫び、喚き続けるがいい! その叫びが私の力になるのです!」
その声を聞き、拳に力が入る。
あいつだ。タコを奪った張本人。
触手たちを操ってるということは、タコの力をあいつが奪ったのだろう。許しておけない。
だが、俺には力がない。
一先ず、俺に出来ることは周りの人を安全に避難させることだけ。
そう思い必死に救助活動を行う。
そうすれば、きっと星川や愛乃さんがあいつを倒してくれるはずだ。見とけよ。あの蛇男め。
最後に愛は勝つんだよ!
「「はあああ!!」」
「ゲボラァ!?」
そう思っていると、輝く二筋の黄色と桃色の光が蛇男の腹に突き刺さった。
「これ以上、あなたの好きにはさせません!」
「私怨七割、街の人のため三割であなたをぶっ倒す!」
あれ? なんか星川、口悪くなってね?
愛乃さんも何か苦笑いだし……。だが、あの二人が来たなら安心だ!
やっちゃえ!
しかし、蛇男は俺の想像を遥かに上回る卑劣だった。
「シャッシャッシャ! 来ましたね、ラブリーエンジェルたちよ。ですが、あなたたちの快進撃はこれで終わりです! これを見なさい!!」
蛇男はそう言うと、数多の触手に掴まれ宙づりにされた街の人々を二人の前に掲げる。
「た、助けてくれ!」
「ママー!」
「おうちに帰りたいよおおおお!!」
「くっ……人質ですか……」
「こ、これじゃ、手が出せない……」
心優しき星川と愛乃さんは人質を取られただけで、動きを止めてしまった。そして、そうなれば後は蛇男の思い通りである。
「一歩でも動けば、この人たちの命はないと思いなさい! さあ、あなたたちにも触手の恐ろしさを叩きこんであげましょう!」
「「きゃあああ!」」
ヌメヌメとした粘液をまき散らしながら、醜悪な姿の触手が二人に襲い掛かる。
人質を取られている以上、回避することも許されず二人は触手にその身を掴まれた。
「あう……く、苦しい」
「なに、これ……気持ち悪い……」
「シャーッシャッシャ! これで、私の勝利です! シャーッシャッシャ!!」
うめき声をあげ眉を顰める二人。対照的に、シャーロンの表情は気持ち悪いくらい口角が吊り上がっていた。
更に、そんなシャーロンのテンションに呼応するかのように触手たちもウネウネと奇怪な踊りを踊っている。
いや、違う。あれ、ただ星川と愛乃さんにまとわりついて喜んでいるだけだ!
くっ……! このままじゃ、星川と愛乃さんが触手ジャンキーにされちまう!
何とかしなければならない、だがこれというアイデアが浮かんでこない。
何も出来ないまま時間が過ぎていく。そうしている間に、触手たちは星川と愛乃さんの身体を舐めまわすように這いずり回っている。
一か八か、やるしかない。
近くのコンビニに駆け込み、塩の袋を掴む。代金はレジに投げつけておいた。
そして、その塩を持ったまま触手に突っ込む。
「くらええええ!!」
バサッという音と供に、およそ一キロの塩が触手に降りかかる。
しかし、何も起こらない。
バ、バカな! ナメクジには塩が効くのに!
「ん? なんですかあなた……? ああ! あなたは私にタコをくれた人ではありませんか。あなたには貸しがありますからね。見逃してあげてもいいですよ?」
俺の存在に気付いたシャーロンがニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる。
「あ、あっくん逃げて!」
そして、同じく俺に気付いた星川が逃げるよう俺に伝える。だが、俺は逃げない。
戦うと決めたんだ。戦って、タコを取り戻すと。
「誰が逃げるかよ。それより、その触手はお前のものじゃねえ! 返しやがれ!」
「……やれやれ。折角、親切心というものを働かせて上げたというのに、野蛮な人だ。いいでしょう。あなたに触手の正しい使い方を教えてあげますよ!」
そう言うと、シャーロンが触手を俺に向けて放つ。
その触手を躱そうとするが、足が動かない。足元を見ると、いつの間にか触手の一部が絡みついていた。
「くっ!」
「シャーッシャッシャ! 触手で拘束は基本ですよ? これで終わりです!」
「あっくん!!」
触手が俺の目前に迫る。
やられる、そう思った瞬間、俺に迫った触手たちが吹き飛ばされ、目の前に二つの影が現れた。
「……もう首を突っ込むなと言ったのに、本当手のかかる子は困るわ」
「あらあら、そんなこと言って本当は嬉しいんでしょう?」
風に揺れるサラサラとした銀色の髪に、痴女という言葉がよく似合う黒のボンテージ姿。
ピコピコと動く狐耳と尻尾に、見るものを虜にするグラマラスな体型に妖艶な笑み。
「イ、イリスさん、タマモ……」
そこには、あの日別れたイリスさんとタマモがいた。
「んー。おかしいわね?」
俺の姿をジロジロと見つめたタマモが不思議そうにそう呟く。
「タマモ、何をしてるの? その子にはさっさと避難してもらうわよ」
「ええ、分かっているのだけれど……あなた、触手はまだ生えていないの?」
「え? いや、俺はもう触手を失っていて……」
「まあ、いいわ。ここは任せなさい。それと、もし触手が生えたら一番は私よ。いいわね?」
「あ、え……」
「ごちゃごちゃ喋ってないで、早く避難しなさい。今のあなたに出来ることはそれだけよ」
「……っ。分かりました」
イリスさんの言葉に奥歯を噛み締めつつ、その場から素早く離れる。
悔しいが何も言い返せない。
しかし、タマモの言っていたことはどういうことだろうか? もしや、まだ俺が触手を失ったことを知らない?
いや、そんはずはない……。
頭に疑問符を浮かべつつ、安全な場所に隠れる。こんなことしか出来ない自分が恥ずかしいが、イリスさんとタマモを信じるしかない。
「おやぁ? これはこれは、裏切者のお二方ではありませんか? どうです? 本来ならあなた方は粛清対象ですが、今なら戻ってきても許してあげますよ。それに、今の私にはこの触手があります。あなた方も、下っ端たちも大方、タッコンにそそのかされたのでしょう? そのタッコンの力は既に私のもの。もう反逆するメリットはないのではありませんか?」
「愚問ね。あなたのもとに戻る気は無いわ」
「……どうしようかしら?」
「タマモ!」
「冗談よ、冗談。あの触手には不思議とそそられないのよねぇ。どうしてかしら?」
シャーロンが二人を誘うが、二人とも断ったらしい。
イリスさんは断るだろうと思っていたけど、タマモも断るとは思わなかった。
どうやら、俺はタマモのことを舐めていたらしい。
タマモはただの触手ジャンキーじゃない。こだわりを持った、一流の触手ジャンキーだ。
「そうですか……。なら、二人まとめてその触手で始末してあげましょう!」
二人の返答を聞いたシャーロンは不気味な笑みを浮かべて触手を二人に放つ。
赤くグロテスクな触手たちが二人の美女に襲い掛かる。その触手を華麗に躱し反撃する二人。だが、触手の再生力は凄まじく、二人の攻撃を意にも介さず触手を伸ばし続ける。
一進一退の攻防が繰り広げられる中、俺は半壊の建物の中から一人の女の子が出てくるところを目にした。
「お、お母さん……どこ行ったの……?」
女の子は目にいっぱいの涙を溜めて、そう呟く。
一人取り残されていたのか。まずい、直ぐに連れ出さないと、巻き込まれる!
何も起きないでくれ、そう願いながら少女の下に駆け寄る。だが、そんな俺の思いを嘲笑うように流れ弾ならぬ流れ触手が女の子に向かっていた。
「ひぃっ!」
「逃げろおおお!!」
必死に手を伸ばす、だけど俺の手は触手少年のように伸びはしない。
届かない、そう思った瞬間だった。
「本当に、世話が焼けるわね」
「イリスさん……?」
イリスさんが颯爽と姿を現し、少女の腕を掴み俺の方に放り投げる。
少女の身体を受け止めた俺の姿を見て、イリスさんは微笑んでいた。
「逃げて」
そして、イリスさんは触手に呑まれていった。
「イリスさあああん!!」
「シャーッシャッシャ! これは好都合。なんの役にも立たない女子供を助けるために、自分を犠牲にするとは、バカな女ですねぇ」
こみあげる思いのままに、シャーロンを睨みつける。だが、シャーロンは俺など眼中にないと言わんばかりに笑っていた。
情けない……。
こんなにも俺は何も出来ないのかよ……。
その場に立ち止まっていても仕方がない。己の無力さを恨みながら、イリスさんから託された女の子を抱えて、安全な場所まで走る。
「怖いよぉ……もう、やだよぉ……」
女の子は俺にしがみついて泣いていた。
「瑞樹!」
「お、お母さん!」
暫く走っていくと、辺りをキョロキョロと見回している女性を見つけた。その女性は俺が抱えている少女の姿を見るや否や、こちらに駆け寄って来る。
どうやら、この子の母親らしい。
少女を渡すと、その女性は何度も頭を下げて感謝の言葉を口にする。
「それじゃ、俺はもう行くので」
「え? に、逃げないんですか?」
「まだ逃げ遅れている人がいるかもしれませんから」
「そうですか……凄いですね」
「いえ、そんなことありません。それじゃ、俺はもう行きます」
女性に返事を返して、蛇男がいる場所へと急ぐ。
半壊の建物、ひび割れた道路。泣き叫ぶ人々。
その光景が嫌でも目に入る。奥歯を噛みしめながら、走り続ける。
蛇男のものと思しき高笑いが聞こえる方に向かって。
********
「おや? あなた、また戻ってきたのですか?」
俺が戻ってきた時、そこには触手に捕らわれたイリスさんとタマモの姿があった。
「あっくん、逃げて……」
「逃げなさい……」
星川とイリスさんが苦しそうな顔で俺に逃げるよう伝えてくる。その声は酷く弱弱しかった。
「まあ、折角来たのです。あなたにも私が全てを支配するときをお見せしましょう」
「「「ああああ!!」」」
シャーロンが一声上げると共に、触手が星川たちを強く縛り付ける。それと同時に、星川たちの悲鳴が空に響き渡る。
「ふざけんな……! その触手をそれ以上穢すんじゃねえええ!!」
地面を蹴り、触手の元まで駆け寄って必死に殴りつける。
だが、俺のパンチなど触手には欠片も通用しない。
「やめろ! やめろおおお!!」
許せなかった。
その触手は人を悲しませるためにあるものじゃない。その触手は、大事なものを掴んで離さないためのものだ。
人に悲しみの涙を流させるためのものじゃない。泣いている人の涙を拭うためのものだ。
「ちくしょう! ちくしょおおお!! やめろって言ってんだろ!!」
必死に叫ぶが、触手の動きは止まらない。
「鬱陶しいですねぇ」
「ぐはっ!!」
蛇男が触手を軽く振るう。それだけで、俺の身体は吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。
全身が痛い。それでも立ち上がり、おぼつかない足取りで触手の下へ向かう。
「やめ……ろよ!」
「しつこいですよ!」
再び触手に吹き飛ばされる。
それでも、立ち上がる。
「しつこいと言っているでしょう!!」
今度は触手の下へ辿り着く前に吹き飛ばされた。
意識が遠のいていく。全身が痛くて仕方ない。
それでも、俺は諦めたくない。
もう一度、立ち上がろうと身体に力を込める。だが、足どころか指一本動かない。
情けない。ただの人間の俺は、こんなにも弱いのか。
そして、俺の意識は途切れた。
********
『バカだなぁ、君は』
頭上から響く声に目を覚ます。
そこは、見覚えのある真っ暗な空間だった。
『そんなに身体がボロボロになってまで、頑張ってさ。君には呆れたよ』
再び頭上から声が響く。
そして、背後からポトリという何かが落ちる音が聞こえた。
恐る恐る振り向くと、そこには一本のタコ足があった。
……え? タコ足?
そのタコ足には見覚えがあった。確か、あのタコと分身できるかという話をしたときに、タコが切り離した足だ。
陽気なブレイクダンスを俺に披露してくれたから、よく覚えている。
だが、あのタコ足は暫くすれば動けなくなるとタコは言っていた。
『全く、君はバカな男だよ。本来なら、君の中に残っていた僕は、緩やかに力を失い消えていくはずだった。だけど、君の叫びが、思いが僕をここにとどまらせた』
そういえば、あのタコは言っていた。
僕は、触手たちと触手を愛する人の思いから生まれた、と。
『そう。君の、いや、君たちの強い触手愛が僕に力を与えた。やれやれ、君には恐れ入ったよ。君が何も出来ない? そんな馬鹿なことがあるか。こんなにも諦めが悪くて、何かを愛することが出来る人なんてそういないよ』
タコ足はそう言いながら、少しずつ俺の下に這い寄って来る。
『でも、こうなる可能性を見越して僕を置いていったことを考えると、君を一番信用していた僕の本体の勝利なのかもしれないね』
俺をあのタコが信用していた?
『そうさ。本体も言っていたじゃないか。君がパートナーで良かったってね。まあ、この話はここで終わりだ。もう時間が無いからね』
タコ足はそう言うと、その足先を俺の目の前に差し出す。
そして、全てが動き出したあの日のように、少し高めの声で言った。
『悪道、僕と契約して触手少年になってよ』
止まっていた歯車が、動き出す音がした。
*********
三度目。
既にシャーロンは三度もその男を払い飛ばした。触手の一撃は軽くない。
その一振りはイヴィルダークの戦闘員だろうと、倒せる威力を持っている。それにも関わらず、目の前の男は三度倒されて尚立ち上がる。
その目に強い意志を宿して。
気付けば、シャーロンは一歩後ずさっていた。
シャーロンにとって、全てが計算通りだった。タッコンを生み出せたことも、タッコンの力を奪い返せたことも、そして、その力で気に入らない奴を打倒したことも。
だが、悪道善喜だけが計算外だった。
タッコンは自分の言うことを聞くはずだった。しかし、結果的にタッコンはシャーロンに反逆した。
タマモは誰にも靡かないはずだった。
しかし、タマモは悪道の味方かのような振る舞いをしている。
今だってそうだ。この男は、もう倒れているはずだ。いや、倒れていなくてはならない。
それなのに、今なお強い意志を宿した目でシャーロンを睨みつけている。
「お、お前は一体何者なんですか!!」
気付けば、シャーロンはそう叫んでいた。
その声は僅かに震えていた。
「俺か?」
悪道が口を開く。
その声は閑静な街中にやけに大きく響いた。
「ああ。教えてやるよ」
一歩、悪道が歩き出す。その足取りはフラフラで、今にも倒れそうだ。
「掴みたいものを掴む。守りたいものを守る。そのために、
その瞬間、目の前の男をピンク色でハリと艶のある触手が包み込む。
そして、触手の中から一人の男が姿を現す。
頭には凛々しい顔つきのタコの頭。
そして全身をピンク色の艶とハリのある活きのいい触手が包み込んでいた。
「俺の名前は……」
沈みゆく夕日が男を照らす。その姿は希望であり、シャーロンにとっての恐怖であった。
「触手少年タッコン!! 俺の大事なもの、全部ねっとりキャッチさせて貰うぜ!」
恐怖の対象でも、嫌悪の対象でもない。
希望の象徴へと至るため、触手少年が今ここに蘇った。
******************
力を失ったやつが復活する展開は激アツ。
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