第105話 佐藤太郎の物語

 どうせだし、飲み物でも飲みながらと悪道に言われたので、自販機で飲み物だけ買って、近くの公園で話すことになった。


「それで、お前の悩みは何なんだ?」


 公園に着き、ベンチに座るや否や悪道はそう言った。


 だから、俺はゆっくりと事情を話し始めた。

 去年ライブをした三人が今年、受験生で忙しいこと。それでも、ライブをして欲しいと思う自分がいること。三人のことを思えば、ライブをして欲しいなんて言えないこと。それでも、やっぱり去年のような三人の笑顔が見たいと思ってしまう自分を少し嫌に思っていること。

 悪道は、俺が話している間、静かに話を聞いていた。


「……一年前、一人のバカがいたんだ。そいつはバカだけど、真っすぐで、俺はそいつに憧れていた。いつだかさ、そのバカが悩んでるときに、そいつをぶん殴ったんだ。悩んでんじゃねえって。バカはバカらしくお前のやりたいことを貫けって。でもよ、いざ自分がその立場になったら、悩んじまう。俺なんかに、あいつを殴る資格なんて無かった……」


 気付けば、俺は弱音を吐いていた。

 こんなこと言ったって、初対面の悪道には何も分からないはずなのに、似ているからという理由だけで善道の話を出していた。

 こんな情けない俺を、目の前の男はどう思うのだろうか。

 そう思いながら、悪道に視線を向けると、悪道はコーンポータージュをグイッと飲んでから、俺を真っすぐ見つめる。


「いいんじゃねえの。悩んでも」


 そして、あっけらかんとそう言った。


「い、いや……でも、きっとあいつなら、あのバカなら悩んでないと思うんだ。なのに、俺は悩んじまって……自分の行動さえ一人で決めることが出来ない情けない奴なんだ」


「お前、バカだろ」


「え……?」


「大抵の人間は一人じゃ何も決められねーよ。まだ大人にすらなってない高校生なら猶更だ。それに、お前の悩みはそう悪いもんじゃない」


 そこで、悪道はコーンポタージュを俺に見せる。


「缶でコーンポタージュ買うとさ、最後にコーンが残るんだよな。俺はコーンが好きだから、そのコーンを中々諦めきれないんだけどさ、お前の悩みってそれに似てると思うんだよな」


「は?」


 こいつは何を言っているんだ?


「俺にとってのコーンが、お前にとっての自分の思いだろ? 僅かに残っているコーン、お前で言う自分の思いを諦めるのが賢明な判断だ。手放しちまえば、それで済む。いつかは、そんなこともあったなって流せるくらいの些細な決断。でもよ、手放す瞬間は確実に寂しいんだ。胸が締め付けられるような、そんな気がする。それは、紛れもなくお前にとってそれが大事なもんだっていう証拠だ」


 言ってやったぜ。といった表情で悪道は自慢気に笑った。


「……すまん。マジで意味が分からんかった」


「んなっ!? マジでか……?」


 悪道の言葉に俺が頷く。

 ぶっちゃけ、缶のコーンポタージュ飲んだことない。後、コーンが残ったとしても俺はそこまで迷わずに缶を捨てる気がする。


「ええ……。いや、コーンポタージュだぜ? あ、じゃあ缶に残るお汁粉の小豆! つまり、お前の思いはお汁粉の小豆と一緒なんだよ!」


「それ、コーンポタージュと何が違うんだよ。ついでに言えば、今の俺のそれなりの悩みをコーンポタージュレベルと比べられるのもちょっと腹立つ」


「何だと!? てめえ、コーンポタージュにコーンが残った時の苦しみ感じたことねぇ癖にそんなこと言ってんのか!?」


「分かんねえけど、大した悩みじゃないだろ! 後、コーンくらいその気になってちょっと頑張れば取れるわ!!」


「あー言ったな。じゃあ、言わせてもらうけどな! お前の自分の思いが言えないっていう悩みだって、ちょっと頑張れば言えることだろうが! てめえの悩みなんて、所詮はコーンポタージュレベルの悩みなんだよ!」


「んだとオラァ!!」


「やんのか!?」


 二人で立ち上がって、ほんの少しだけ睨み合ってから、何だか可笑しくなって俺は笑った。

 俺が笑うと、それにつられるように悪道も笑う。

 しょうもないことで言い合って、笑いあう。随分と久しぶりに、青春らしいことをした気がした。


***


「コーンポタージュの話なんだけどよ」


 日が沈み始め、そろそろ帰るかとなった時に、悪道がそう言った。


「実はさ、指使えば簡単にコーンが取れるんだよな」


 そう言うと、悪道は実際に指でコーンを取って見せる。


「俺たちが難しいと思ってることってさ、少し頑張れば意外と簡単に解決するんだよ。ほんの少し頭を使ったり、ほんの少しの勇気を振り絞ったりしたら、な」


「つまり、何が言いたいんだ?」


 そう言うと、悪道はニッと笑う。


「少しだけ頑張れってことだよ。お前がどういう選択を取るか分からねえけどさ、そう簡単には自分の望むものは手に入らない。でもよ、頑張ればその望みが叶う時も確かにあるんだ。バカがバカだと言われる所以は、普通の人なら立ち止まるところで突っ走るからだ。その中の多くの行動は無駄に終わる。でもな、そこで突っ走れるバカだからこそ、立ち止まった奴には掴めないものを掴める時があるんだぜ」


 そう言うと、悪道はコーンをひょいっと口に放り込んだ。


「美味い! ほらな、諦めなかったから俺はコーンが取れた」


 たかが缶に残っているコーン一つが取れたくらいで笑う悪道は、多分バカだ。

 でも、悪道の表情は晴れやかで、カッコイイと思ってしまった。


 そうだ。俺は、こんな男になりたかったんだ。バカだけど、真っすぐな人間に。


「相変わらず例えが分かりにくいんだよ。でも、お前にコーンが取れたなら、俺にも出来る気がしてきた。ありがとな」


 俺がそう言うと、悪道は満足気な笑みを浮かべてからその場を後にした。

 悪道の背中を見送ってから、俺も家に帰った。

 モヤモヤした気持ちは既に無くなっていて、悩みは解決していた。



***



 翌日。

 朝一で学校に来た俺は、教室でとある人物の登校を待ち望んでいた。

 そして、遂にその人は来た。


「おはよー!」


 元気よく笑顔を振りまく、俺たちの女神にしてアイドル、星川明里。

 深呼吸を一つして、俺はアカリンの目の前に向かった。


「星川さん、いや、アカリン!!」


「へ? あ、太郎君、どうしたの?」


 心臓の音がやけに大きく聞こえる。だが、ここで一歩踏み出さなければ俺の望む景色は得られない。


「あ、あの……その、迷惑かもしれないし、忙しいかもしれないんだけど! お、俺は! 今年も去年みたいなアカリンたちのライブ見たい!!」


 俺がそう言うと、クラスがざわつく。

 恐らくだが、クラスメイトの多くが同じことを考えていたのだろう。だが、彼らはアカリンの状況を考えてそれを決して口に出すことは無かった。


「もし、ライブするなら俺に出来ることなら何だってやる。も、勿論、無理強いはしないから、出来たら、その……やってくれねえかな?」


 そう言って、俺は頭を下げる。

 断られたら、大人しく引き下がるつもりだ。それでも、可能性があるなら諦めたくはない。


「そっか……そっかあ。うん! 実は、私も迷ってたんだ。イリちゃんもカノッチも受験で忙しそうにしてる。でも、やっぱり高校最後の学園祭だし思い出を作りたいって思ってたの。太郎君の言葉で決心がついたよ! 今からイリちゃんたちに聞いてくるね!」


 そう言うと、アカリンは鞄を持ったまま教室から出て行った。

 そして、暫くしてから教室に戻って来た。


「太郎君! ライブやるよ! イリちゃんとカノッチに聞いたら、二人とも同じこと考えてたんだって。でも、私のアイドル活動が忙しそうだから遠慮してたみたい。太郎君。ありがとね! 君の言葉があったおかげで後悔せずに済んだよ!」


 そう言うとアカリンは俺の手を取って、微笑んだ。


「は、え……あ、あああああ!! かわいいいいいい!!」


 その可愛さと、アカリンと手を繋いでいるという事実に、俺は発狂し、気を失った。

 


***


 その後、アカリンたち三人は正式に生徒会にステージの使用許可を取ったらしい。

 それと共に、俺たちも活動を開始した。去年やった経験があったおかげか、今年は随分とスムーズに裏方の仕事の割り振りも上手く行った。

 そして、受験が迫っている次郎や三郎も、ライブをするなら手伝うに決まっていると、積極的にライブ準備に協力してくれた。


 あの日、悪道という男に出会わなければ、あの男に話しかけなければ、悩みを相談しなければ、俺はきっと今笑えていない。

 

「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!!」


 学園祭当日。

 ステージの上でアカリンが声を上げる。その声に応えるように、周りの観客のテンションのボルテージも上がっていく。

 それを、俺は控室で聞いていた。

 去年、善道がやった指揮を執る業務。それを俺はしていた。

 勿論、生でライブは見たい。だが、これは俺の我儘から始まったライブだ。なら、俺は最後までそのライブの成功のために尽力したいと思った。


「各班、報告を頼む」


『こちらA班。異常なし』

『こちらE班。異常なし』


 次々と届く異常なしの報告。

 どうやら、どこも問題はないらしい。


 今年は無事に終わりそうだな。

 そう思い、ホッと一息をつきながらライブ中継が写っているテレビに目を向ける。


『セイッ! セイッ! セイッ! L・O・V・E! イリス様! フゥウウウウウ!!』


『アカリン! 可愛いよアカリーン!!』


『愛乃さんも可愛いよおおお!!』


『イリス様ああああああキャワイイイイイ!!!』


 観客席の最前線。

 ピンク、青、黄色に光サイリウムをブンブンと振りまわし、誰よりも激しく三人を応援する男が目に入った。

 イリス様を応援する声に特に力を入れているその男は、悪道だった。


「バカやってんなぁ」


 その姿を見て、ため息をつく。

 それと同時に、会場にあの男がいないことに気付いた。善道悪津。イリス様をこよなく愛していたあの男なら、必ずこの会場に来ていると思ったんだが……。

 画面の中では、元気に踊って歌う三人と、サイリウムを振って暴れる悪道。

 そう言えば、悪道はやけにアカリンたちを語るとき親し気な雰囲気だった。俺に話しかけた時も、初対面と思えないほど馴れ馴れしかったし……。


「あいつが、善道だったりしてな……。まあ、そんなわけないか」


 頭を切り替えてから、再び指揮を執るために無線機に集中力を向ける。

 ライブ会場である体育館の歓声が、ここまで聞こえてくる。

 今日は、いい日だ。


 

***



 ライブが終わり、後片付けを進めると共に、俺は体育館へ向かっていた。

 去年同様、今年もライブ準備を手伝ってくれた俺たちのためにアカリンたち三人が二曲ほどライブをしてくれるとのことだった。

 鼻歌交じりに、体育館へ向かうと、体育館の前に悪道がいた。


「よっ。一言だけお礼を言っとこうと思ってな」


「お礼って、そんな……俺は大したことしてないぞ?」


「いや、したよ。今日の、イリス様たち三人の笑顔も、観客たちの楽しそうな様子も、全て太郎が自分の思いを星川にぶつけたからだ。太郎にとっては些細なことでも、俺にとっては大きなことだ。ありがとな」


 そう言って、悪道は頭を下げる。

 少し照れ臭かったが、大人しく悪道の感謝を受け取ることにした。

 ……あれ? そう言えば、俺、悪道に名前教えたっけ……?


「それじゃ、俺は帰るわ」


 そう言うと、悪道は手を振って俺の横を過ぎ去る。


「ちょっと待ってくれ!」


「ん?」


「お前さ、イリス様のこと好きなのか?」


「愛してる」


 即答だった。

 一切の躊躇いも無く、悪道は言い切った。その姿を見て、善道と悪道の姿が重なった。


「連絡先、交換しようぜ」


「……え?」


「スマホ出せよ。友達になろうって言ってんだ」


「お、おう」


 俺がそう言うと、悪道はスマホを取り出す。そして、俺と悪道は連絡先を交換した。


「受験が終わったら、連絡するからよ。どっか遊びに行こうぜ。今度は俺がコーンポタージュ奢ってやるよ」


「そりゃ、楽しみだな」


 二人で笑いあってから、互いに背を向ける。

 俺の人生における数少ない後悔の一つに、善道と連絡先を交換していなかったことがある。

 だから、今度は放さない。

 また、バカなことして笑いあうために、この繋がりは大事にしよう。



 これから、受験生として勉強一色になる。これが俺にとって最後の高校生活の思い出になるだろう。

 好きな女の子を追っかけて、仲の良い友達とバカをする。

 随分と幸せな高校生活だった。

 次は大学で、アカリンを追っかけて、バカな仲間とバカなことをしたいもんだ。


 楽しい時間は終わりを告げる。

 俺たちは大人になっていく。大人になる途中で、色々なことを知る。そして、色々なことを無くす。

 周りを見れるようになる代わりに、自分の本音が吐き出しづらくなる。

 やらなきゃいけないことに押しつぶされて、やりたいことがやりにくくなる。

 仲の良かった友達と少しづつ疎遠になっていく。


 それでも、時間は過ぎていく。

 過去には戻れない。なら、精一杯今を生きよう。

 高校二年生の俺に負けないくらい、最高で幸せな日々を送ろう。

 なーに、高校二年生の頃とそう変わらない。

 手の届かないところに行ってしまったが、大好きな人を追いかけることが出来る。

 ガキの頃から仲良かった次郎と三郎もいる。

 そして、最高のバカもいる。


 俺の、佐藤太郎の物語はこれからだ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る