第76話 星川明里

***<side 星川明里>***


 光の無い闇の中、私は一人で外を眺めている。

 私の目の前にはボロボロの状態で、捕らえられた、いや、私が捕らえたかのっちとイリちゃん。

 そして、イリちゃんに向けて私が話しかける。


 同じ私が言ったとは思えないほど、イリちゃんを追い詰める酷い言葉。


 やめて! そんなこと望んでない! お願いだから、もうやめて……。


 イリちゃんの瞳に溜まる涙を見て、心が苦しくなる。

 やめて欲しいと叫んでも、もう一人の私はそれを無視する。


 ごめん……。イリちゃん、違うの。私は、そんなこと思ってない。イリちゃんもかのっちも傷つけたいなんて思ってないの。

 これは、私じゃない……私じゃないの。ごめんなさい。ごめんなさい。

 お願い……誰か助けて……。


『そうやって、あなたは自分の気持ちから逃げるのね』


 突然、私の前に一匹の狐が姿を現す。


『まあ、その方が好都合だわ。良かったわ、あなたが自分の嫌な部分から目を逸らし続ける人間で。今のあなたなら、私の計画が狂うことは無さそうだもの』


 狐はそう呟くと、私に背を向けて離れていく。


 待って! 待ってよ! 置いてかないで!


 狐を追いかけようとするが、足元から伸びる黒い手が私の身体を縛り付ける。

 そして、私は更に深い闇の中へ飲み込まれる。

 外の世界ももう見えない。深い、深い闇の中へ堕ちていく。


***


「おねえさん、こんにちは!」


 堕ちていった先、そこにいたのはフリフリの衣装に身を包み、ハートがあしらわれた可愛らしいステッキを持った五、六歳くらいの女の子がいた。

 私はその子に見覚えがあった。


「あなたは誰?」


「わたし? わたしはね、みんなをえがおにする、まほうしょうじょアカリンだよ!」


 それは幼い頃の私。

 いつしか、忘れ去られた一人の少女がいた。



 幼い頃、私は魔法少女になりたかった。

 テレビに出てくる魔法少女の様に、皆を苦しめる、人々の笑顔を奪う化け物から皆を守り、たくさんの人を笑顔にしたかった。

 でも、年を重ねるにつれて魔法少女にはなれないのだということを知った。そして、いつしか魔法少女になりたいという夢は忘れ去られ、人々を笑顔にしたいという部分だけが私の胸の中に残った。


「あなたは、ここで何してるの?」


「うーん。みんなをえがおにすることかな?」


 幼い頃の私は寂しげにそう笑った後、私の手を掴んだ。


「きて。おねえさんにみてほしいものがあるんだ」


 その手に引かれて、奥に突き進む。

 その途中に、たくさんのものを見た。

 ケーキ屋さんを営む私、花屋さんになっている私、ナース服を着た私。

 どれもこれも、過去に私がなりたいなと考えたことがあるものだ。


「ここだよ」


 幼い頃の私が足を止める。

 その前には扉が一つ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 扉を開けると、その中には綺麗なウエディングドレスを身に纏い、何度も何度も謝りながら涙を流す私がいた。


「なんでないてるかわかる?」


 幼い頃の私が、私に問いかける。

 私はその問いに頷きを返す。


 好きな人と結婚すること。それも私の夢の一つだった。

 本当に大好きな人と結婚して、幸せな家庭を作りたい。特別なことなんて何もいらない。

 ただ、好きな人と結ばれて笑顔でいられたらそれでいい。


 でも、その夢はアイドルになると決めた時、一度捨てた。

 だけど、あっくんに出会ったことで、その夢は私の中で再燃していた。あっくんと付き合って、結婚できるならアイドルになんてなれなくてもいい。

 その思いを抱くくらいには、あっくんのことが好きだ。


「あのこはね、ねがったの。あっくんとむすばれたいって。それだけをつよくねがった。でもね、そのねがいがかなうことはないんだってきづいちゃった。そして、そのじじつがみとめられなくてかのじょがうまれた」


 彼女というのは、きっと今の私の身体を掌握しているもう一人の私のことだろう。


「あのこはね、じぶんをせめてるの。こんなつもりじゃなかったって。ただ、あっくんとしあわせなかていをきずきたかっただけだって。あのこはね、しってるの。かのじょがすすんださきに、えがおになれるわたしがいないってことを」


 もう一人の私は、あっくんへの思いを抑えきれなくなった私だ。

 もう一人の私が進んだ先にある景色。確かに、そこに幸せな未来は無いんだろう。

 だって、あっくんはきっとイリちゃんやかのっちを傷つけた私を好きになったりしないから。


「ねえ、わたしはいつまでそうしてるの?」


 不意に、幼い頃の私が真剣な眼差しを向けてくる。


「あなたのゆめはなに? アイドルになること? まほうしょうじょになること? あっくんとけっこんすること?」


 私の夢……?

 それは……。


『――かわ! 星川!! お前はそれでいいのかよ! 色んな人の笑顔奪って、その先でお前は笑えてんのかよ!!』


 あっくんの声が聞こえる。


『アカリン!! 俺は教室でいつも笑ってるアカリンが好きだああああ!』

『アカリンはもう覚えてないかもしれない! でも、一年の頃毎朝おはようって言ってくれる君に元気を貰っていましたああああ!!』

『河川敷で、努力するアカリンを見た! その姿に元気を貰った! アカリンが笑うと、俺たちも嬉しくなる! アカリンは俺たちを笑顔にする世界一のアイドルなんだあああ!!』


 たくさんの人の声が聞こえる。

 私のことを思ってくれる人の声。私のことを知っている人の声。


『聞こえるかよ星川明里! お前は色んな奴に愛されてんだ! 色んな奴を笑顔にして来たんだ! お前の質問に、今ここで答えてやる!! 俺にとって、星川明里はいつも皆を笑顔にするアイドルで! 初めて出会ったあの日から、俺は星川明里のファンの一人なんだよ!! 戻って来い! お前言ったじゃねえか! 俺に名前を呼ばせて見せるって! 世界一のアイドルになるって! 許さねえぞ! 俺は、お前がその夢を諦めるなんて絶対に許さない! 俺に名前読んで欲しいなら、初めて会ったあの日みたいに、お前の世界を、皆を笑顔にする星川明里のステージを俺に見せてみろよ!』


 あっくんの一際大きな声が聞こえる。

 その時、気付いた。


 もしかすると、あっくんじゃなくて、私の方こそ見えて無かったのかもしれない。

 あっくんと私のことでいっぱいいっぱいで、一番大事なことが見えた無かったのは私の方だったんだ。


「こたえはでた?」


 幼い頃の私が問いかける。


「うん」


 頷きを返して、私は今も泣きじゃくるウエディングドレス姿の私に歩み寄る。


「ごめんなさいごめんなさいごめん――」


「もう謝らないで。あなたの思いは、いや、私の思いはよく分かったよ。結局、私の本質は昔から変わってない。あっくんは必ず笑顔にして見せる。あっくんと結婚は出来ないかもしれないけど……でも、私の好きな人をこれ以上悲しませないから、安心して」


 私の言葉を聞くと、ウエディングドレス姿の私は謝ることをやまて、穏やかな表情に変わる。


「……うん。お願い」


 ウエディングドレス姿の私はそう呟くと笑顔を浮かべて、消えていった。


「あとは、おねがいね。みんなをえがおにしてきてね」


 後ろにいた幼い頃の私が笑顔を浮かべる。そして、姿を消した。


「ありがとう。もう、迷わない。だって、私は皆を笑顔にする世界一のアイドルで、皆の笑顔を守る正義のヒロインだから」


 魔法少女とは少し違うけど、でも幼い頃の私の夢はきっと叶えて見せる。

 気付けば、私の姿はいつものラブリーエンジェルの姿に変わっていた。


「……戻って来たんだ」


「うん。決着をつけよう。もう一人の私」


 後ろを振り向けば、そこにいたのはもう一人の私。

 負の感情に支配されて、止まることが出来なくなっている私。


「……いいね。あなたはあっくんにも皆にも求められて。私の存在は誰にも必要とされていない。なら、せめて私自身は私を肯定する。私を愛する。私の幸せのためにあなたを殺す!!」


 黒と紫の衣装に身を包んだ私が、先端が槍の様に尖った杖を持って突っ込んでくる。

 私は、その彼女を抱きしめた。


「っ!! ……痛いね」


「な、何を……!?」


 お腹に刺さる杖が痛い。でも、もう一人の私の胸の痛みはきっとこんなもんじゃない。


「ごめんね。あなたの気持ちに気付いてあげられなくて、いつもあなたから目を逸らして。同じ私だもん。あなただって、あっくんを傷つけたいわけじゃないよね。イリちゃんやかのっちを苦しめたいわけじゃないよね。ただ、自分の思いが抑えきれないんだよね」


「今更そんなこと言ったって、もう遅いよ!!」


 もう一人の私が更に杖を私のお腹に押し込む。

 お腹に激痛が走る。でも、私はもう一人の私を放さない。


「一緒に考えようよ。あっくんたちも私も、あなたも幸せになれる未来を」


「そんな都合の良い未来なんてあるわけないじゃん」


 もう一人の私は吐き捨てるようにそう言った。


「だとしても、考えようよ。私は嫌だよ。あっくんやイリちゃんやかのっちが苦しんでまで得る幸せも、あなたが苦しむ未来も。誰も犠牲になる必要なんてないよ。だから、考えよう。無いかもしれないけど、探さなきゃ見つからないんだから」


「……っ。バカじゃないの」


「そうだね。私も自分でバカだと思う。でも、私の大好きなバカが教えてくれたんだ。大切なものは、バカなことをしてでも守らなきゃいけないって。私に、あなたを守らせて。あなたも皆も笑顔になる未来を探させて欲しいな」


「…………あのバカに出会ってから、碌な目にあってないかも」


「後悔してるの?」


「そんなわけないじゃん。信じることにするよ。私と、あのバカを」


 もう一人の私は笑顔を浮かべてから姿を消した。

 これで、残るのはあと一人。


「出て来てよ。タマちゃん」


 私が名前を呼ぶと、どこからともなく一匹の狐が姿を現した。


『……計算外だわ。どう考えても、あなたが一人で立ち直れるはずが無かった。アークが何をしても無駄になる様に、あなたは彼らの声も届かない闇の中に葬ったのに』


「一人じゃないよ。今の私を作り上げてきた、過去の私が力を貸してくれた。そのおかげで、あっくんたちの声が私に届いた。自分の中にあるたくさんの思いに目を向けて、たくさんの人の思いに触れて、私はここにいる」


『理解できないわね。人間は誰だって、自分が一番大事なはずでしょ! あなたも、アーク達も欠片も理解できない! 自分たちにメリットなんて何もないじゃない! 分かってないなら教えてあげるわよ! 善道悪津とあなたが付き合えることは絶対にないわ! 絶対にね!』


 タマちゃんが叫ぶ。

 その姿にいつもの余裕さは無いように感じた。


「知ってるよ」


『な、ならどうして!』


「好きだから」


『はあ……?』


 タマちゃんにはきっと理解できないんだろう。

 でも、私は私のことも好きだけど、それに負けないくらいあっくんのことを好きになっちゃったから、あっくんの幸せを願っちゃうんだ。


「愛ってね、見返りを求めないものなんだって。私はあっくんを愛してる。だから、いらない。今までの私はあっくんに恋をしてたから、あっくんの気持ちが欲しかった。でも、もういいんだ。だって、もう十分すぎるほど貰ってる。あっくんと付き合えないかもしれないけど、私の大好きなあっくんは私のためにここまで来てくれた。身体を張って、私を望んでくれている。なら、それで十分なんだ」


『そんなの負け惜しみよ! 奪われた弱者が奪われた事実を受け入れるために仕方ないって自分を慰めてるだけ!』


「うん。確かにそうかもしれない。でも、私が好きになったあっくんはイリちゃんが大好きなあっくんなんだよ。きっと、無理矢理あっくんを手にしても、そのあっくんは私が恋したあっくんじゃない。なら、そんなあっくんはいらない!」


『な、何よそれ……。そんなの、私が間違ってるみたいじゃない……! ふざけないで! 私は間違ってない! 私はこれまでそうして奪ってきた! そして私は満足してきた! 幸せになってきたのよ!!』


 タマちゃんが叫ぶ。

 タマちゃんと一体化したせいか、私にもタマちゃんの思いややってきたことが分かるようになった。


「じゃあ、どうしてタマちゃんはいつまでも渇き続けるの?」


 私の言葉を聞いたタマちゃんが目を見開く。

 タマちゃんは満たされていない。いつも、渇きを感じてる。だから、欲しいものを奪い取って渇きを満たしている。


「タマちゃんのやり方が間違っているなんて言うつもりは無いよ。でも、それならどうしてタマちゃんは渇くの? 本当はタマちゃんも欲しいんじゃないの? 自分だけを真っすぐ愛してくれる人が。絶えず、自分に愛を注いでくれる人が。だから、誰かを愛してる人を自分のモノにしたいんじゃないの?」


『黙れ黙れ黙れ黙れええええええ!!』


 タマちゃんが叫び声を上げる。

 鬼のような形相で私を睨みつけるタマちゃん。でも、私にはただ周りの人を羨んで、自分も同じものが欲しいと泣き喚く駄々っ子の様にしか見えなかった。


『もうどうでもいい! アークもあなたも皆、殺す! 目障りなあなたたちは一人残らず殺し尽くす!!』


 タマちゃんはそう言い残すと、私の身体から飛び出ていった。

 私の身体に残されたのは私だけ。


 タマちゃんの好きにはさせない。

 皆の笑顔を守るために、戦わなきゃ。

 意識を集中させて、目を開ける。


 私の目の前にはお腹から血を流しながら私を抱きしめるあっくんがいた。


 あっくんを傷つけてしまっている状況なのに、あっくんに抱きしめられていることに喜びを感じてる自分がいる。

 でも、それでいいんだ。

 あっくんを心配する気持ちも、この状況を喜ぶ気持ちも両方私のものだから。


「ごめんね、あっくん、皆。お待たせ!」


 あっくんに笑顔を向ける。

 さて、これから皆を笑顔にしなくちゃ。だって、そんな私を私含めて、皆が求めてるんだから。


***<side end>***

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