第50話 修学旅行二日目の夜

「あああぁぁぁ……ぐえっ!」


 一瞬の浮遊感、そして全身に走る激痛。

 幸い途中で木に当たったため、衝撃は直接地面に叩きつけられるより幾分かやわらいだが、それでも痛いものは痛い。


 骨折れたかも……。

 イリス様には俺の言葉は届いただろうか? 届いたならいいんだけど……てか二人で会う約束だったのに会えてないじゃん!

 その場の勢いで飛び降りたけど、俺何してんの!? バカなの!? 折角のデートの予定が何故か、紐無しバンジーに変わってたよ!


 ……あ、やばい。何か眠くなってきた……せめて、イリス様に思いが伝わっていたらいいんだけど……。


「……悪道!」


 薄れゆく意識の中、最後に俺が見たのはラブリーエンジェルへと変身したイリス様が俺の下に駆け寄ってくる姿だった。


***


「……はっ!!」


 目を覚ます。俺の目の前にはイリス様の顔があった。


「あっ! え、ええ!? イリス様!? 何で!?」


「……バカ。もっと考えて行動しなさいよ」


 イリス様は俺の頬を両手で抑えてそう言った。

 その目は若干赤くなっていた。


 泣いていたのだろうか? だとしたら、何で? もしかして、俺を心配してくれたとか……?

 ん? 待てよ……。イリス様の頭が真上にある。ついでに言えば、俺の高等部は何か柔らかいものに当たっている……ま、まさか!!


「イ、イリス様……。もしかして、膝枕してくれてます?」


「ええ。それがどうかしたのかしら?」


 当然とばかりに、イリス様は平然とそう言った。


 ヒザマクラ? 膝枕!?

 まじで!? あのイリス様が……俺に……!?

 やっちまったああああ!! 折角の時間を無駄にしちまった!

 いや、切り替えろ。今の内に少しでも多くイリス様の太ももの柔らかさを堪能しなくては!


 しかし、そんな俺の考えを嘲笑うかのようにイリス様は俺の身体を起こして、膝枕を辞めた。


 あ、ああ……俺の膝枕……。


「ごめんなさい。残念だけどもう時間がないの」


 イリス様は左手に付けた時計をチラリと見てそう言った。

 辺りを見渡せば、確かに徐々に空が赤く色づき始めている。六時までには旅館に帰って来いと言われているから、そろそろ帰らなくてはならないのだろう。


 なら、せめてあれだけは弁明しておかないと……。


「あ、あの! 違うんですよ。タマモのあれは、あいつが勝手にやって来たことで、俺としては不本意な結果なんです! 俺が好きなのはイリス様だけ――」


 必死に弁明する俺にイリス様が顔を近づける。そして、俺の頬に柔らかいものが当たった。


 え……? ナニガオキタ……?


「上書きよ」


 それだけ言い残して、イリス様は背を向けて立ち去った。

 最後にイリス様が見せた笑顔は、夕陽のせいかどこか赤みがかっていた。


 その場に残されたのは俺一人。


「んんん好きっっっ!!」


 清水の舞台から飛び降りて無事だったら願いが叶うとかなんとか。

 その効果は嘘ではない……のかもしれない。


***


 イリス様が立ち去った後、暫くその場で悶絶していたが太郎たちから「さっさと帰るぞ!」というメッセージを受け取ったため、急いで帰る準備をして、薬を飲み、姿を善道のものに変えてから旅館に向かった。


 ちなみに、清水の舞台から飛び降りた際にレンタルした着物をボロボロにしてしまい弁償することになった。お金を貯めといて良かった……。

 それと、清水の舞台から飛び降りた件に関してはかなり話題になっていたようだが、飛び降りた人物が見つからなかったため、幻だったんじゃないかという噂が流れているらしい。

 警察とかも出て来て大変な騒ぎだったようだ。本当に申し訳ない。もうしません。多分。


 旅館にはギリギリ間に合った。

 太郎と次郎と三郎に責められるかと思ったが、三人はどうやら俺を待っている間に星川やら愛乃さんとたまたま出会えたらしく、嬉しそうにしていた。


 そして、夕飯と風呂の時間が終わり、のんびりと自由時間を過ごす。

 枕投げをして、騒がしいと先生に叱られたあたりで就寝時間がやって来た。


 太郎たちと供に布団に潜る。


 今日はいい一日だった。明日も楽しめるといいな。


 ……いや、待て! まだやり残したことがある!!


「起きろお前ら!!」


 部屋の電気を点け、部屋の中央で仁王立ちする。


「善道? どうしたのさ。明日は朝からユニバーサルスタジオニッポンに行くんだよ? 明日に備えて寝とかないと」


 次郎が身体を起こし、俺に問いかける。


「確かにそれは楽しみだ! でも、違うだろ!!」


「何が違うっしょ?」


 首を傾げる三郎。


「俺はもう眠いぜ……」


 眠そうに目をこすりながら身体を起こす太郎。


 確かに、明日に備えて寝る必要はある。

 だが、今俺たちは修学旅行という特別なイベントの真っ最中なのだ。


「修学旅行だぞ!? 分からないのか? 俺たちが寝ているこの部屋の二階上には、女子部屋があるんだぞ!!」


 俺の言葉に太郎、次郎、三郎の目が見開かれる。


「わ、忘れていた!」


「ぼ、僕は何てバカなことを……旅行先を満喫することに集中しすぎて、一番大事なことを忘れていたっ!!」


「も、盲点だったっしょ……。くっ! まだ間に合うっしょか!?」


 悔しそうに太郎、次郎、三郎の三人が枕を叩く。


「気にするな。まだ間に合う。今の時刻は夜の十時半だ。俺が今から星川に今から部屋に行っていいか聞いてみる。OKが出たら、行くぞ」


 俺の言葉を聞き、三人が頷く。

 そして、スマホを取り出し、急いで星川にメッセージを送る。


善道:今からそっちの部屋に男子たち数人で行ってもいいか?


星川:いいよー! でも、就寝時間だよ? 大丈夫?


善道:問題ない


 よし! 許可は取れた!!


 全員の顔を見回す。それぞれが服装を整え、既に出陣する準備は終えていた。


「行くぞ」


「「「おう!!」」」


 そして、俺たちは部屋を静かに出た。


「エレベーターだと先生にバレた時、逃げ場がなくなる。階段で行こう」


 俺の提案に三人が頷き、俺たちは階段を目指すことになった。

 四人で周りを見渡しながらゆっくりと歩いて行く。

 夜の旅館は想像以上に静かで、俺たちの呼吸音がやけに大きく聞こえるような気がした。


 階段の前に辿り着き、互いに顔を見合わせてから一歩ずつ突き進む。


 少しして一つ上の階が見えてきたところで足を止める。


「善道、どうしたんだ?」


「しっ。あれを見ろ」


 手すりの陰に隠れ、指を差す。俺が指さした先には、化学教師の吾院先生と、その足元に転がる男子生徒たちがいた。


「あ、あれは……まさかあいつらも女子部屋を目指したのか?」


「間違いないっしょ。でも、あそこでアインシュタインにやられたに違いないっしょ」


 三郎の言葉に俺も頷きで同意を示す。

 化学教師の吾院先生。通称、アインシュタイン。

 アインシュタインは物理だろと言いたくなるが、それを気にしてはいけない。そこまで賢くない男子高校生にとって物理も化学も同じようなものなのだ。


「ど、どうする? あの様子だと無策で突っ込んでも負けちゃうよ……」


 次郎の言う通りだ。

 アインシュタインがどんな手を使ったか分からないが、少なくとも数人の男子高校生を無力化できるほどの何かがアインシュタインにはある。

 せめてその何かが分かればいいのだが……。


「俺が行く」


 そう言って一歩前に出たのは太郎だった。


「太郎……いいのか?」


 俺の問いに太郎は頷きを返す。


「俺はどうせ部屋に着いてもアカリンと喋ることも出来ず気を失っちまうだろう。なら、この命お前らに託すさ」


 それだけ言うと太郎は階段を上り、アインシュタインの下へ向かっていった。

 その背中を、俺も次郎も三郎もただ見つめることしか出来なかった。


「おや……。やれやれ、また欲にまみれた愚かな獣がやって来ましたか」


 丸眼鏡をクイッと上げて、呆れたような表情を浮かべる。


「愚か? 確かにそうかもな。でもよ、いつだって世界を変えてきたのは、愚かだ、バカだと人から笑われてきた奴らだ。愚かでバカな夢を叶えて来た奴らだ。俺たちは夢追い人ドリーマーだ。そこに夢があり続ける限り、この命ある限り止まらねえよ」


「やれやれ。仕方ありませんね。まあ、いいでしょう。生徒がバカなことをしているときに、それを止めるのも教師の仕事です。さあ、来なさい。あなたの夢を終わらせてあげましょう」


「うおおおお!!」


 太郎がアインシュタインに突っ込む。

 その太郎の突進をアインシュタインは華麗に躱し、そのまま太郎の頭を身に付けていた白衣で覆う。


「……ふがっ!?」


「安らかに眠りなさい」


「何だ……こ……れ……」


 初めこそ暴れていた太郎だったが、大人しくなったかと思えば、床に崩れ落ち動かなくなった。


「……啖呵を切った割に、この程度ですか。まあ、人間である以上、この睡眠薬をしみこませた白衣の前には無力ということですね」


 太郎を見下ろし、眼鏡をクイッと上げるアインシュタイン。


 そういうことか。納得した。非力そうなアインシュタインが何故、男子高校生たちを倒せたのか。

 それは、化学の力だったのだ。


「残念だが、太郎が倒された。太郎の戦いを無駄にしないためにも――」


「まだだ」


 俺の言葉遮ったのは次郎だった。次郎の視線は倒れて動かなくなった太郎の下に向けられていた。


「まだ、太郎は死んじゃいない。あいつは、この程度で倒れたりしない!!」


 次郎の声に力がこもる。だが、その声でアインシュタインが俺たちに気付いたらしい。


「おや、そこに隠れていたのですか?」


 少しづつ近づいてくるアインシュタイン。


 だが、その背後でゆっくりと立ち上がる太郎の姿が俺の目に入った。


 嘘だろ……。あいつ、まだ戦えるのかよ。


「まだ、俺は死んでねえぞ!!」


 太郎が吼え、アインシュタインに飛び掛かる。


「くっ! お前は、さっきの! まだ生きていたのですか!?」


「夢が叶うその日まで死んでも死にきれねえよ!」


 太郎がアインシュタインの白衣の裾を掴み、アインシュタインの口に当てる。

 アインシュタインは苦しみもがいた後に、その場に崩れ落ちた。


「太郎! お前無事だったのかよ!」


「流石だよ太郎! 太郎……?」


 三人で太郎の下に駆け寄る。

 次郎が太郎の肩を揺らすが、太郎は何も反応しない。


「……限界を超えてたってことっしょ」


 三郎が呟く。

 三郎の言葉通り、太郎は本来一度倒れたところで限界だったんだ。


「……行こう」


「次郎、いいのか?」


「うん。太郎は僕らに思いを託したんだ。だから、その思いをくみ取って僕らは前に進もう」


 そう言うと次郎が前に歩き出す。

 俺は一度だけ、動かなくなった太郎を見て頭を下げる。そして、次郎、三郎と供に階段を上がっていった。


 太郎の下に駆け寄る。

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