第29話 ママー!

 俺に残された時間は十分しかない。それにも関わらず、明らかに時間がかかりそうなオムライスを注文した理由は一つである。

 そう。イリス様にケチャップでハートを書いてもらい、萌え萌えキュン♡をしてもらうためだ。

 どれだけお金がかかろうと、これだけはする。そう決めていた。


「お、お待たせしました。オムライスだニャン……」


 恥じらいを含んだ綺麗な声と供に、猫耳姿のイリス様がオムライスを持ってくる。何故か、愛乃さんと供に。


「何で、愛乃さんも一緒なんだ?」


「私はもう上がりなんだ。だから、私もここでオムライス貰おうと思ってさ」


 愛乃さんはそう言うが、イリス様の手にはオムライスが一つしかない。後から、オムライスが届くのだろうか?


「お待たせしましたー! オムライスだよ! たーんと召し上がれ!!」


 そう考えていると、オムライスを持った星川が姿を現した。なるほど、星川か……ん!? 星川!?


「え……。星川は客引きしてたんじゃないのか?」


「そうだったんだけど、もうすぐ私もシフト終わりだったから最後に一回くらい接客したいなって思って」


 星川はそう言うとともに、ケチャップを取り出した。


「さあ! 書くよー! あっくんとかのっちは何て書いて欲しい? 何でも言ってよ!」


「わ、私も書くわ――「イリスちゃん、語尾意識しないと」――書くにゃん……」


 ニコニコとした笑みを浮かべながら指摘する愛乃さん。恐ろしく素早い指摘だ。

 てか、もしかしてこの語尾は愛乃さんが考案したのか? だとしたら感謝が止まらない。素晴らしい制度を取り入れてくれてありがとう。


「それじゃ、私は大好き♡って書いてもらおうかな」


 一切のためらいもなく、愛乃さんがそう言い切った。

 その言葉に思わず、俺は後ずさる。


 ば、バカな……。そんな実質告白の様な事をお願いできるのか? いや、愛乃さんとイリス様、星川は親友だ。友達としての大好きとして捉えることが出来る。

 俺には、真似できない……!


「オッケー! それじゃ、イリちゃん。一文字ずつ書こっか」

「そうね」


 愛乃さんの前に置かれたオムライスに一文字ずつ文字が書かれていく。そして、♡まで書き終わった。


「それじゃ、次はあっくんだね! 何書いて欲しいの~? ほらほら、このスーパーアイドル明里ちゃんにお願いしてみなよ~」


 星川とイリス様がケチャップを構え、俺の返事を待つ。


「ハートを書いてもらってもいいか?」


「オッケー! じゃあ、イリちゃん。今度は、半分ずつ書こうよ!」

「そうね」


 星川の言葉にイリス様が頷きを返す。そして、二人でハートを書き始めた。

 鼻歌を歌いながら楽しそうにハートを描く星川。それとは対照的に、慣れていない仕事ということもあるのだろうが、真剣な表情でハートを描くイリス様。

 接客業において、笑顔は大事だ。だが、接客業に慣れていないイリス様が一生懸命俺のためにハートを描いている姿は、イリス様の満面の笑みに匹敵するほどのものがあり、俺の胸をいっぱいにしてくれた。


「じゃあ、行くよ! ご主人様も、一緒にやってね!」


 星川とイリス様が両手でハートを作る。


 こ、これはまさか!

 直ぐに、俺と愛乃さんも両手でハートを作る。


「「美味しくなーれ! 萌え萌えキュン♡」」


 世界が桃色に包まれていく。いくつものハートがオムライスの周りを飛び交う。

 何の変哲もないオムライス。そこらへんの喫茶店で売るなら六百円程度の代物だ。だが、今このオムライスに魔法がかけられた。

 何の変哲もないオムライスは、イリス様が愛情を込めた最強のオムライスへと生まれ変わった。その価値は、福沢諭吉一人でも担いきれない。


「……いただきますっ!!」


 食べることも惜しい。出来ることなら、何らかの手段で保存してお持ち帰りしたい。だが、俺がこの場に入れる時間はもう三分程度しかない。お皿だって、店に返さないといけない。

 だからこそ、胃袋に納め、俺の血肉へと変える。絶対に、体外には出さない。


「最高だ……。最高のオムライスだよ……」


 味は平凡。だが、俺の胸は多幸感でいっぱいだった。


「……ふふっ。善道君、こっち向きなさい」


「どうかした?」


 何かやらかしたか? もしかして、食べ方が汚かったとか?


 若干の不安を抱きながらイリス様の方に顔を向ける。すると、イリス様はハンカチを持って俺の口元を拭った。


「ほら、口元が汚れてたわよ。もっと、落ち着いて食べなさい」


「「あっ……」」


 イリス様の行動に、星川と愛乃さんが供に唖然とした表情を浮かべる。


「……っ! こ、これは違うのよ! 善道君の必死にオムライスを食べる姿が、その、花音の妹とか弟に似てたからついやってしまっただけよ! そ、そういうのではないわ!」


 周りの反応を見て、自分がしたことを思いだしたのか、顔を真っ赤にして手を振るイリス様。


 な、何だ……。そういうことか。

 ビビったぜ。てか、今も心臓がドキドキと音を鳴らしてる。


「総司令、時間です」


 背後から静かに、低い音で囁かれる。それは、楽しい時間の終わりを意味していた。


「……楽しかった。俺は、もう行くからお会計はこれで頼む」


 そう言うと俺は四万円を机の上に置いた。このうちの二万円は次郎と三郎が出したものだ。太郎も恐らく一万円を出したい気持ちはあっただろうから、太郎の分と俺の分も含めて四万円。

 それが、素晴らしい時間を提供してくれた彼女たちに支払うべき金額だと思った。


「え!? い、いや! 多すぎるよ!」


「それじゃ!」


 引き留めようとする星川の声を無視して、店を飛び出る。滞在時間十分は他でもない俺が決めたルール。俺が守らなくては示しがつかない。


 廊下を歩き、元いたテントに帰って椅子につく。


 イリス様が俺の口元拭った時、イリス様が美しいとか、何だか良い匂いがするだとか、思うことは色々とあった。

 だが、一番思ったことは一つ。


 もし生まれ変わるなら、イリス様の子供に生まれたい……!


 俺は、また一つ新たな世界の扉を開いた。

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