期待と忘却の因果律

志島逡巡

期待と忘却の因果律

平和な街並みに突如として銃声が鳴り響くような再会はこれが初めてだった。再会と言っては大仰かもしれない。ただ一方的に目撃したのだ。


僕は青山のスターバックスにいた。毎日繰り返される歯磨きのような退屈な商談の合間に、なんとなく無意識的に入った店だった。


店内は日本人、外国人問わず入り乱れる極めて国際的な雰囲気を呈し、一種の治外法権を本能的に感じさせる空間だった。この多様性の見本市のような空間では、どんな人間もそこに自らを埋没させることができる。


「ご注文を承ります!」


ひときわ明るい声が僕の耳に入ってきた。女性店員が快活な声をあげる。その声は国際色豊かな空間において、懐かしさとともに確かな吸着力をもって僕の注意を引いた。


「アイスのスターバックスラテ、ベンティで」


僕の3人前に並ぶ目を瞠るほど背の高いサラリーマンがMacBook Air を持ち、反対の肘をテーブルの上に乗せながら注文を伝えた。それは女性店員を口説いているようにも見えた。


僕の持っている性質をすべて逆に置き換えれば、きっと彼のような人間になるのだと思う。彼からは自信がほとばしり、体中の毛穴から溢れ出ているようだった。


「ただいまお出しいたしますので、こちらでお待ちください。」


どうして僕はこの女性店員の声に惹かれているのだろう。ふと彼女の顔を見る。心臓が一拍収縮を忘れてしまったような感覚に襲われた。


「櫻子だ。」


紛うことなき人が目の前にいた。櫻子は高校生の時に生涯で唯一愛の告白をした女性だった。


僕も彼女も一緒に28歳になっていた。その時以来、僕は彼女を最後に他の女性を愛することができなくなってしまった。


叶わぬ恋だと知りながら、卒業式の日に告白をした。ただ、僕は心の裡のすべてを一方的に彼女に伝えるやいなや、返事も待たずにその場を走り去ってしまったのだ。それが彼女との最後の記憶だった。


あと1人で順番が来る。心の準備も許さない不可逆的な流れにただ身体を任せるしかなかった。


櫻子の前に進み出た。負けるとわかっていながら敵陣に突撃する兵士のように、僕の顔はある覚悟をもって厳かな表情をたたえていた。真っ直ぐな眼差しを彼女に向けながら沈黙が二人の間に鎮座している。


「ご注文を承ります。」


「あの、えっと、そうですね。カプチーノのトールをください。」


「カプチーノのトールサイズがおひとつですね。ご注文は以上でよろしいでしょうか。」


「はい。いや。あと。」


世界一長い3秒が過ぎる。


「10年前の返事を聞かせてください!」


絶叫ともとれる声が店内に鳴り響き、時が止まったように感じた。言ってしまった。こんなことを面と向かって言うつもりはなかったのに。しかも完全に声のボリュームを間違えてしまっているし、前後関係もなく唐突すぎる。


「申し訳ございません。お客様、もう一度ご注文を伺ってもよろしいでしょうか。」


彼女は震える声で答えた。櫻子は気がついたのか。それとも気が触れた客に恐れ慄いているのか。どっちかは判然としなかった。ただ、最後に彼女は微笑を見せた。まるで卒業アルバムを開き懐かしむように。


注文を終えた僕は晴れやかだった。10年前と全く同じことをしてしまった。でもこれでいいのだと思う。これで僕を閉じ込めていた呪縛から開放されたんだ。僕の青春は10年をかけて大団円に向かっていたのだ。


ただ、僕は本当に返事を聞かなくてよかったのだろうか。


「あの、君、ちょっといいかな。」


聞き覚えのない男の声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、さっき並んでいた背の高いサラリーマンが憤りの表情をたたえ見下ろすように立っていた。

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