第41話公爵令嬢と亡国の王子

「ティアリーゼ様、そろそろ休憩なさってはいかがですか?」

「あら、もうそんなに時間が経ってしまった?」


 リリーの言葉に驚きつつ、私は一旦手に持っていたスコップを置き、リリーを振り返る。

 アルフレッドたちとの話が終わってから時間が空いた私は、久しぶりに温室で薬草たちの世話をしていた。

 私が王宮を離れている間は、ここの庭師たちが水やりなどの世話をしてくれていたため荒れてはいないが、薬草の状態を確認しつつ間引きをしたり、雑草を抜いたり細かい作業をしていたら、ついつい時間を忘れてしまっていた。


「もうかれこれ、3時間は作業を続けられております。」

「まぁ…。久しぶりに来たから、夢中になってしまったわ。」


 自分の集中力に驚く私に、リリーは分かっているとばかりに苦笑して頷いた。


「お茶を準備してまいりますので、お手を洗っておいてくださいませ。」


 そう言って、温室を後にするリリーの背中を見送り、言われた通りおとなしく水場で手を洗いながら、無意識に考えることは、やはり明日決定するアビゲイルの処遇のことだった。


「…アビゲイルは、どうしたいのかしら。」


 誰も答える人はいないのに、思わず口から出た一人言に苦笑していると、すぐ近くからそれに答える声がした。


「どうしたらいいと思う?」

「っ!」


 驚いて声の方を振り返ると、お茶用のテーブルにアビゲイルが静かに腰かけてこちらを見ていた。


「アビゲイル!どうしてここに…?」

「静かに。あまり騒がれては気づかれてしまう。俺は、あんたと少し話がしたいだけだ。」


 困惑しながらも口をつぐむ私に、アビゲイルは夢の中でビアンカに向けていたような柔らかい微笑みを向けると、テーブルに座るように隣の椅子を引いた。

 そこに、邪気はない気がして、私はそろそろと指定された椅子に腰掛ける。


「私も、あなたに聞きたいことがあります。」

「うん、どうぞ。」

「なぜ、帝国に、王女に従っていたのですか?あなたの両親やビアンカは、あの秘薬で命を落としたというのに、なぜ…?」


 なぜ、あの秘薬で人の命を奪ったのか。

 一番あの秘薬を憎んでいるはずの貴方が、なぜ?


 私の問いに、アビゲイルは少し顔を伏せた後、私の目を真っ直ぐに見て言った。


「言い訳に聞こえるかもしれないけど、俺は秘薬が使われたことは被害が出てから知ったんだ。

 俺だけでは皇太子殿下を落とすのに決定打に欠けると思ったんだろう。

 俺の知らないところで男爵たちを取り込み、実行していた」

「でも、途中で止めることもできたでしょう?」


 私の詰問に、アビゲイルは苦しそうに顔を歪めると、緩く首を横に振った。


「なぜ、王女に従ったのかと聞いたな。

 ……ウィシュラルトが滅ぼされ、家族も失った俺は、全てが滅びればいいと思っていた。

 王女が直情的で考えが足りないのは分かっていたから、まずは王女に取り入って、色んなところに火種を撒いた。

 思った通り簡単だったよ。王女の都合のいいことを囁けば、王女は簡単に信じてくれたから。

 他国に攻め滅ぼされ、王族が酷い最期を迎えさせることで、ウィシュラルトの、家族の仇を打てると思ってたんだ。

 でも…」


 アビゲイルは両手で顔を覆うと、苦しげに息を吐き出した。


「秘薬で倒れていく人々を目の当たりにする度、ビアンカの最期の姿が甦ってきて、俺は逃げることしかできなかった。

 何も見ず、聞かず、しないことで己を守ることに必死だった。

 それに、これで両国間に亀裂が入れば、俺の理想に近い形で復讐が遂げられると、そんな期待もあったのも確かだ」


「…自分の復讐に、関係のない人を巻き込むなんて間違ってる」


「…うん、分かってる…」


「…帝国内の反乱分子を裏で先導しているのは貴方だとルナベルト様は仰っていたけど、その人たちはどうするつもりなの?」


「…どうも…。ただ、帝国内を引っ掻き回して、他国が侵入しやすいようにしてくれれば、それで良かった。その後のことなんて何も考えてなかった」


「考えてないって…。だって、あなたを慕って、頼って集まってきた人たちでしょう?」


 語気荒く詰め寄る私に、アビゲイルは顔を覆っていた手を外し、どこかぼんやりと宙を見つめる。


「死ぬつもりだったから。家族も、ビアンカも、守るべき国もない、こんな世界で生きていくつもりなんて、ハナからなかったんだ」


 だけど、とアビゲイルは私に視線を移す。

 真っ直ぐ向けられた空色の瞳は、決意を孕んだ色をしていた。


「俺は、ウィシュラルトを取り戻す。」


 突然の宣言に驚く私に苦笑しつつ、アビゲイルは言葉を続けた。


「あんたが、ビアンカにもう一度会わせてくれたから…、ビアンカの意思を伝えてくれたから、俺はやっと前を向くことができた。

 だから、審議の前にあんたには伝えておきたかったんだ。

 伝えて、自分の決意を確かなものにしたかった」


「アビゲイル…」


「国を取り戻して、誰も大切な者を奪われない国を作る。

 それが、俺のこれまでの愚行に付き合ってくれた者たちへの誠意だと思ってる」


 そう話すアビゲイルを私は眩しい気持ちで見つめる。

 アビゲイルは、彼を慕って集まった故国の同士を守ることに決めたのだ。

 そして、新たに彼らの居場所を作ってあげようとしている。

 これまで、帝国に復讐することしか考えられなかった彼がそれを乗り越えて、人のために作る国を見てみたいと思った。


「応援しているわ、アビゲイル。

 あなたが幸せを掴めることを…」


 私の言葉に、アビゲイルは嬉しそうに微笑むと、徐に私の横に膝まずいた。


「アビゲイル・ウル・ウィシュラルトの主をティアリーゼ・セレニティア様と定める。」


 まるで騎士が誓いを立てるときのように、アビゲイルは私の左手の甲に軽く口づけた。


「…!?」


 驚いて慌てて手を引く私に、アビゲイルは悪戯が成功したような意地悪な笑顔を浮かべて、言った。


「誓約は果たされた。明日、どちらに転んでも、また会おう、我が主」


「アビゲイル!?」


 何が何だか分からず、動揺する私を横目に、いたずらな表情そのまま、晴れ晴れとした笑顔を残して、アビゲイルは姿を消した。


「ティアリーゼ様?どなたかいらっしゃいました?」


 直後に入ってきたリリーを、私は呆然と見返すことしかできなかった。

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