第12話公爵令嬢と公爵令嬢

 温室の扉を開くと、そこには1人の先客がいた。

 急に入ってきた私に驚くこともなく、優雅に振り返るその人は、黒髪に琥珀色の綺麗な瞳をした、女性にしては長身でスレンダーな美女であった。

 しかし、ここはアルフレッドの私有地である。

 彼が同伴でなくてもこの温室に入ることができるのは、アルフレッドが認めた人だけ。

 それはこれまで私だけであった。

 不思議に思う私の様子にクスリと微笑むと、女性は優雅に貴族の礼をとった。


「はじめまして。隣国アスタリーベ帝国から参りました、クリスチナ公爵が娘、ルナマリアと申します。皇太子殿下から温室を観賞する許可をいただきまして、こうして入らせていただいているところにございます。」


 少し低めのハスキーで穏やかな声質は耳に心地よく、先程まで感じていた警戒が少し和らぐのを感じた。


「はじめまして。ソルシード公国セレニティア公爵が娘、ティアリーゼでございます。ようこそ、ソルシード公国へ。文化交流のためにこちらへ来られたと窺っております。この温室の中の薬草は、殿下と私で集めたものですの。何かご不明なことがありましたら、いつでもご相談くださいね。」


 文化交流で来たのなら、緑溢れる我が国の薬草にも興味があるのだろうと推測された。

 アルフレッドと一緒に集めた薬草たちに興味を持ってもらえることは、とても誇らしい気持ちだった。


「では、ティアリーゼ様は、月の雫という薬草をご存知ですか?」

「月の雫、ですか?遥か昔、太陽神の月の乙女でしか見つけることができないという、あの…?」


 月の雫を手に入れたものは、どんな奇病でも治るという。しかし、神書の中に出てくるのみで、実際に見つけられたことはなく、それはもはや伝承のような存在である。


「ごめんなさい、私も神書の中でしか存じ上げません。」


 分からないことは聞いてくださいと言ったばかりなのに、結局答えられなかったことが申し訳なく、項垂れる私にルナマリア様はいいえ、と首を振る。


「本当にあるかどうかも分からない薬草ですもの。神話の国であるこの緑豊かな公国に来れば見つけられるのではと思ったんですが、そう甘くはありませんね。やはり、神書にあるように、太陽神の月の乙女でなければいけないのでしょうね。」


 憂い顔でそう呟くルナマリア様は、ここにはいない誰かを思い浮かべるように遠くを見た。


「ルナマリア様は、その月の雫を手に入れてどうなさりたいのですか?」


 月の雫を探す理由とその切なそうな表情の理由は同じなのではないかと、ふと思ったのだ。

 ルナマリア様は私に視線を戻した後、悲しげに目を伏せた。


「婚約者が、重い病なのです。医者からは、月の雫でしか治らないと言われています。」


 はっと息を飲んだ。

 月の雫でしか治らない、つまりもう手の施しようがないということだ。

 ルナマリア様は大切な婚約者のために国を出て、隣国まで月の雫という希望を探しに来たのだと思うと、胸に熱いものが込み上げる。

 また私へと視線を戻したルナマリア様は、ぎょっと驚いた。


「ティ、ティアリーゼ様?!」


 ボロボロと涙をこぼす私におろおろとハンカチを差し出してくれる。


「ありがどうございまず。」

 ハンカチを受け取りながら、長身のルナマリア様を見上げると、困ったような表情が驚いたものに変わり、みるみるうちに頬が赤くなった。


「?」


 その様子を不思議に思いながらも、零れてくる涙を借りたハンカチで必死に拭っていると、いきなり温室のドアがけたたましく開いた。

 ビクリとして、温室の入り口を見るが、何故かルナマリア様が私を守るように一歩前に出たため、誰が入ってきたのかは分からなかった。

 しかし、その人物を目にしたルナマリア様は一気に警戒を解き、呆れたように息をついた。


「なんだ、皇太子殿下でしたか。驚かさないでください。」

「殿下?」


 非難めいたように言うルナマリア様の言葉に驚いて、私はルナマリア様の背後からひょっこりと顔を出した。

 そこには先程の穏やかさが嘘のように、酷く不機嫌そうなアルフレッドがつかつかと近付いて来たかと思えば、ぐいっとアルフレッドの方に体を引き寄せられた。


「なぜ、泣いている?もしや、こいつに何かされたか?」


 あらぬ疑いをルナマリア様に向けるアルフレッドに驚いて、必死に首を横に振る。


「ち、違うわ!婚約者の方のために、月の雫を探しに来られたルナマリア様のお気持ちを考えたら、勝手に涙が出てきたの。」


 涙を拭うアルフレッドの手を握りしめて、私はルナマリア様に向き合った。


「ルナマリア様、私も月の雫を探すのを手伝いますわ!」


 驚いたように目を見開いたルナマリア様は次の瞬間には、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。


「ありが…」

「駄目だ。」


 ルナマリア様の言葉に被せて、アルフレッドが声を絞り出したように言う。

 驚いてアルフレッドを仰ぎ見るが、アルフレッドはこちらを向いてはくれない。


「心が狭いですわね。」

「うるさい。」


 呆れたように呟くルナマリア様に、苛立ちを隠そうともせず答えるアルフレッド。


「…仲がいいですわね?」


「「そんなわけあるか!」」


 思ったことを口に出しただけなのに、2人同時に怒鳴られた。

 ルナマリア様の口調も乱れてきているし、アルフレッドも賓客であるルナマリア様に、この雑な対応。

 仲が良くなければなんだと言うのか。

 はっ、もしや!

 アルフレッドはルナマリア様に心を寄せているが、ルナマリア様には愛する婚約者がいるため、手に入らないことをもどかしく思ってこんなつっけんどんな態度になってしまっているのでは?

 そして、どうせ好きな人は手に入らないなら、一番気心の知れた私と婚約した方がマシかという結論に至ったのね。

 もし、万が一、ルナマリア様の心が手に入った暁には、アルフレッドの幸せを一番に考える私なら、婚約破棄もスムーズに進むと踏んで。

 まぁ!とても良くできたシナリオだわ!そこまで考えられた婚約だったのね!


「違うからな!激しく違うからな!」


 あら、考えていたことが口から出ていたみたい。

 おほほほほ。


「とにかく!お前たち2人きりで会うのは駄目だ!会うときは必ず私に事前に報告。そして、リリーを必ず付き添わせること。」

「そんな徹底しなくても、私ルナマリア様を傷つけたりしませんわ。」

「そうじゃない、私はティアが誰かを傷つけるなんてことは全く心配していない!」

「じゃあ何でですの!」

「…言えない。」


 ぐっと押し黙るアルフレッドに胡乱げな眼差しを送る私たちを止めたのは、ルナマリア様の笑い声だった。


「分かりました、殿下。ティアリーゼ様とお会いするときはそのように致しましょう。ティアリーゼ様、殿下は私にティアリーゼ様を盗られるのではと憂いておられるのです。」


 クスクス笑いながら言うルナマリア様に、私は意味がわからず問い返す。


「女性同士なのに、どうして盗られるの?」

「さぁ、どうしてでしょうね?殿下にはいささか余裕がないのでは?さしずめ、今回も私とティアリーゼ様が温室で2人きりになると思い当たって、急いで駆けつけたんでしょうし。」


 ルナマリア様の言葉に、アルフレッドが図星であるようにぐっと言葉に詰まっている。

 謎かけが多すぎてよく分かっていない私に、ルナマリア様が徐に手を差し出してくる。


「では、ティアリーゼ様。私たちは今日からお友だちということでよろしいですか?」

「お友だち…?えぇ!もちろんよ!聞いた?アル!私にもついにお友だちができたわ!」


 友達の印にルナマリア様と固い握手をして微笑み合う。が、次の瞬間にはアルフレッドに手を引き離されていた。

 そんな私たちをルナマリア様が楽しそうに笑って見ていた。

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