第22話 ガバ勢と真夜中のエイチ

 深夜のコロシアムに、一定のリズムで叩くような音が響いていた。

 日中の賑やかさとは打って変わり、人影のない闘技場は古色蒼然とした遺跡としての姿を取り戻す。入り口は封鎖され、道を通る人もない。


 そんなコロシアムの壁の前に、ルーキはいた。

 壁に向かってボールを投げる。バシッという乾いた音が響くたび、その変化のなさに落胆と焦りが強くなる。


「何としても必殺シュートを撃てるようにならないと……」


 跳ね返ってきたボールを拾い、彼はひとりごちた。


 明日の決勝戦に備えて体を休めなければならない大事な夜に、宿から抜け出し、一人練習しているのは切実な理由があった。


 ここまでの試合、ルーキにはまったく出番がなかった。

 実戦の空気に触れることも大事なレベリングだ。委員長やサクラのシュートを見て、どういう形でボールを投げればいいかも頭ではわかっている。


 後はそれを自分の中に落とし込めばいいだけ……なのだが、それがなかなかうまくいかない。

 せめてその感触の糸口だけでも掴もうと、こうして仲間にも秘密の特訓をしているのだった。


 何度目かに投げたボールが壁の角に弾かれ、明後日の方向に転がる。


「クソッ」


 最初の町で食料と一緒にもらった練習用のボールだ。なくすわけにはいかない。慌ててそれを追いかけたルーキは、ふと、薄闇の先に自分と同じく壁当てをしている人影を見つけ足を止めた。


 その人物はただ静かに、一心不乱にボールを投げていた。

 洗練された投擲のモーション。真っ直ぐに飛んだボールが跳ね返り、それを拾う姿さえも整然としている。それが一度も乱れることなく、延々と再現され続けていた。


「おーい」

「……?」


 ルーキが呼びかけると、人影は手を止めた。


「あんたも真夜中の練習か?」


 下町育ちの気安いルーキの声に、その人物は「そうだ」と短く答えた。

 男だ。暗闇と髪の長さが原因なのだろうが、不思議と顔が見えない人物だった。


「一緒にキャッチボールやらないか。俺も一人で練習してたんだけど、どうもしっくりこないんだ」

「……いいだろう」

「ありがとう。俺はルーキ」

「おれは……エイチと呼んでくれ」


 ルーキとエイチは早速キャッチボールを始めた。

 軽めの投げ合いから、徐々に球威を上げていく。


「エイチは大会に出るのか?」


 ボールと一緒に質問を投げる。


「……そうだな。明日、参加することになっている」


 答えに一瞬遅れて強いボールが返ってくる。エイチは決して大柄でもなく、力が入ってる様子もない。あの綺麗なフォームだけで、このエネルギーを生んでいるようだった。相当な熟練者だと思わせた。


「重いシュートだな」

「おまえのは、少し軽いな」


 エイチが声のみで小さく笑った。嫌味のない素直な感想が耳にすっと入ってきて、ルーキは小さく息を吐く。


「俺も明日、大会に出るんだ。っていうか、今日も出たんだけど全然出番なくて。明日はダークヘッドとの決戦なのに」

「…………そうか」

「俺は必殺シュートが使えないんだ。だからこうして特訓してる。エイチは?」

「おれは、この空気が好きだからな」

「?」


 思っていたのと少し違う返答に、ルーキは首を傾げる。


「夜にボールを壁に当てると、昼間染み込んだコンドジの熱気が滲み出てくるような気がするんだ。明日も、明後日もコンドジができる。この世界そのものがコンドジに満ちている。そういう気分になれるから、ここにいる」

「あんたはコンドジが好きなんだな」

「ルーキはどうだ?」


 鋭いシュートを胸でしっかり受けて、ルーキは少し考えた。


「スポーツと呼ぶにはちょっと度が過ぎてる感じはするな。でも、ドッジボール自体は結構好きだ」


 エイチは「そうか」と小さくうなずいた。


「ここでは誰もがコンドジに熱中している。一過性のものじゃなく、昨日も、一昨日も、明日も、明後日も。それぞれが一所懸命に腕を磨いて己を高めようとしている。それはいいことだと思わないか?」


 ボールを受けたエイチが、手を止めて聞いてくる。彼にとっては大きな質問のようだった。確かに、この町でそれを口にすることは色々と問題がありそうだった。


「だからって、ダークヘッドの支配を認めるわけにはいかないだろ。みんな、半ば強制されてやってるんだ。それじゃあどんなことだって楽しくない」

「真剣にやるからこそ楽しい。遊び半分で得られる充足は中途半端だ」

「あんたはこの状況が嫌いじゃなさそうだな」

「おれは間違っているか?」

「いや……」


 ダークヘッドの襲撃に備え、ルート48・07の住人たちが護身用にコンドジを身につけるのは必然的な流れだ。そこからコンドジの魅力を発見していくことがあっても不思議はない。


 ダークヘッドは悪だが、コンドジまで悪だというわけではない。

 だから、エイチも言葉は問題であっても、間違いではなかった。


 誰もがただ平穏に生きたいとは限らない。

 激しくしか生きられない人間は、いる。

 彼は、そんな人種の一人だっただけのことだろう。


 そのエイチが出し抜けに言った。


「ルーキ。助走をつけて思い切り投げてみろ。必殺シュートだ」

「いいのか?」

「俺は必殺シュートを使える。おまえを見てやる」


 やや挑発めいたエイチの言葉にうなずき、ルーキは距離を取った。

 コンドジのコートは片面が十メートルの正方形。本番の間合いを目で測りつつ、助走からの渾身のシュートを撃つ。

 これまでで一番強い音を立てて、それはエイチの胸に収まった。


「なるほど。運動エネルギーはしっかり乗っている。フォームも申し分ない」

「でも、必殺シュートにはなってないよな? なんかこう、仲間のはもっと光ってるというか、輝きがあるというか」

「それは、意志の光だ」

「えっ?」


 エイチはボールを両手でしっかりと持ち、まるで宝物のように掲げた。


「コンドジは戦いだ。優れた剣士が自らの武器に命を預けるように、優れたコンドジファイターも一投一球に意志を込める。それがシュートを必殺技へと昇華させるんだ」

「武器と同じようにか。難しいな……」


 実戦経験から武器の大切さは身に染みているとはいえ、使っている武器はRTA警察推奨のショートソード、市販品だ。


 レイ親父の〈宵〉や、サグルマの破動剣のようなマスターピースでもなければ、愛着を持てるまで使い込んだものでもない。


「おまえは走者だろう? 走者は色々な土地を巡り、様々な戦いをすると聞く。武器でなくとも、命を預ける道具や装備があるはずだ。その時の感覚を思い出せ」


 ルーキは意識せずに左腕に手を添えていた。今はつけていないが、グラップルクローの硬い感触を手のひらが覚えている。


 ある人の置き土産。

 ルーキが託した想いを、あの装備が裏切ったことは一度もない。


 その信頼感が、人の動きを確固たるものにする。

 戦いは力や技のみで行われるわけではない。それらを支える心がなければ、あらゆるものが本来の鋭敏さを失うのだ。


 RTA心得一つ。走者は心を強く持つべし。弱い心はすべてを瓦解させる。全部誤差だよ誤差!(天下無敵)


「そういうことか……! なあ、もう一度やってみていいか?」

「ああ。来い」


 単なる道具ではなく、誰よりも近くにいる戦友のような感覚。こちらがボールを信じれば、ボールもまたそれに応えてくれる。そのメルヘンのような綺麗ごとを、それを上回る強固な思想で実現する。


「うおおおお!」


 ルーキは再びシュートを放った。

 薄暗いコロシアム前を、一筋の光が駆け抜ける。


「ふんっ!」


 全身で受け止めたエイチの体が数十センチ後退する。

 ルーキは目を見開き、自分の手を見つめた。


「……できた……のか?」

「いや、まだ完成ではない。だが、技としての端緒は開いた。後はこれを戦いの中で磨いていけばいい。実戦ほど優れた訓練はないからな。おめでとう、ルーキ」

「エイチ……ありがとう!」


 ルーキが差し出した手を、エイチは少しためらう素振りを見せつつも、握り返してきた。

 手のひらは熱いのに、なぜか内側はひどく冷たい。そんな奇妙な感触を、喜びに浮かれる今のルーキは気づきもしなかった。


「もう帰って休むといい。明日は決勝なんだろう?」


 エイチが言った。ルーキはもう少し今のシュートの感触を馴染ませておきたかったが、ここまで来られたのは彼のおかげだ。大人しく従うことが、せめてもお礼だと思った。


「エイチも明日は頑張ってな。俺たちは負ける気はないから、そっちの出番はないかもしれないけどさ」

「ああ……。互いのベストを尽くそう。ルーキ」


 ルーキはその時初めて、エイチの表情を見た気がした。


 それは、澄んだ星空のような、静謐に冴えた笑顔だった。

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