⑧ アイヌのおばあさま
「なに。おまえ、幽霊とか、ここで見たのかよ」
どうしよう。やっぱり精神病とか言われるかもしれない。不思議な男性がはっきり見えていて、お喋りもしていて、一緒にお茶までして、他愛もない話を聞いてくれたり、普段は知らぬ振りをしている舞の人間関係に、ここぞと言うときにそっとひと言を添えてきて、いろいろなことが上手く回るようにしてくれる、お兄様みたいな安らぐ人は、実は舞の理想が生み出した幻想だとか……! だが優大は真っ青になっていて、どこか怯えたようにして舞に教えてくれる。
「実はさ。オーナーが改装したあのペンション。俺らが子供の頃は『幽霊屋敷』て呼んでいたんだよ」
舞もドキリとする。前のオーナー夫妻の奥様は、カラク様が見えていたはずだからだ。やっぱり幽霊!?
「そ、そうなの……。でも不動産屋さんはなにも教えてくれなかったみたいだけど」
「ああ、ええっと、マジでそんな噂があるんじゃなくて。俺たちみたいなガキは幽霊屋敷と言っていたんだよ。まあ、それにも根拠はあって。そこに最後に住んでいたばあちゃんが、呆けがわかる前後に『ハンサムな彼が会いに来るの』と何度も言っていたらしいんだよ。最後までそう言って、いつも二人分のお茶と菓子を準備していたって。先立たれた旦那さんが会いに来ているんじゃないかと、大人たちがよく噂していたからさ」
やっぱり幽霊なんじゃん!? お茶が目当でお婆様に会いに来ていたという情報が出てきて、もうカラク様のことじゃないかと確信するしかない。でも不思議とゾッとしない。だってあんなに品のある、気の優しいお兄様なのだから。生きている人ならば、本当にあんな兄が欲しかったよと思うほどだ。
「ねえ、前のペンションの主だった、お婆様のご主人様って、すんごいハンサムな人だったの?」
「いや、もう、俺がチビなガキだった頃に亡くなったみたいだから、姿は知らねえけど。ああ、でも親父が、息子さんはそっくりだと言っていたな。親父はこの町の育ちだから、あのペンションが経営していた時の姿も子供の頃はよく目にしていたみたいだったぜ。ほら、おまえとオーナーが買う前の持ち主だよ。改装するときになるべく形を壊さないように生家としての雰囲気は残すとか約束して、あの家を買い上げたんだろ。その時、舞は会ってねえの」
いや、その息子さんに舞も会っている。リフォームの改装が始まる時に、前の家主だった息子さんが父に会いに来たので、舞も挨拶をしている。
ぜんっぜんカラク様に似てない! もっと輪郭ががっしりした四角顔で若かった頃を想像してもカラク様にはならないはず……?
すると優大が、花畑の向こうに見える緑の丘を遠くに見つめ、なにかを考え込んでいる。
「優大君?」
「……いや、ちょっと思い出してさ」
なにを――と、舞も背が高い彼の顔を覗き込む。
そんな静かに考え込む優大は、もう粗暴で感情的になるヤンキー男には見えなかった。風貌は茶髪のヤンキー風でも、思慮深い男に見えてくる。
「確か。そのばあちゃん。アイヌだったぞ」
「え、そうなの! そんなことひと言も聞いてないよ」
「まあ、歴史を遡ると差別をされた時代もあるから、売る前にそういうことはわざわざ言わねえことにしていたんじゃねえの」
「別に、私も父も気にしないのに。北海道の大事な文化と歴史のひとつだよ」
「そのばあちゃんの、アイヌらしい振る舞いが人気のペンションだったらしいからな。カムイと繋がる世界を大事にしていたようだから。最後にカムイがどうのこうのと呟くのも頻繁だったらしいよ。ま、幽霊とは関係ないか。だったらさ、おまえ、一度、俺とこっそり行ってみるか、クリニック。気を楽にするための診療だよ」
「やだ。そんなんじゃないもん。ただ独り言が多くなっているだけだから」
優大がため息をついて額を抱えた。
「いや、それも舞らしくって。万が一とは思っているけれど、俺もそこまで大げさじゃないとは思う。だったらよ。ちょっと父ちゃんと離れて、俺とメシに行こう」
ん? なんかいきなり、さらっと誘ってきたと、舞は顔をしかめた。
「なんだよ。同僚とメシぐらい行くだろ。息抜きだっつーの。ここらへんの美味いメシ屋、知らねえだろ」
「ううん。お父さんが仕事柄、美味しそうなお店は休暇にしらみつぶしに行く人だから、あちこち連れて行ってくれる」
「ああ、そうかよ。だったらいいわ」
ちっと舌打ちをして背を向けようとした優大だったが、まだ舞は話を終えたつもりはないから呼び止める。
「ねえ、カムイってなに」
優大が目を見開いて、呆れた様子で振り向いた。
「おい、おまえ、道産子だろ。小学校で習っただろ」
「えっと、神様だったけ。でも、そのお婆様が、どうしてお茶の準備をしていたのか、カムイにどんな思い入れがあったか知りたいんだけど」
また優大がなんとも言えぬ当惑した表情に固まった。
「舞、やっぱなんか見えてるのか?」
「だから、私はアイヌだったお婆様が最後にどんな思いで、あのペンションに住んでいたか知りたいだけ。アイヌって、神様とお茶をするものなの」
「なんだ、本当にカムイのこと知らないのか。カムイは神というよりかは、俺たちが住む人間界、つまりアイヌの周りにある生き物や使っている物、火や病気になる症状にさえ、精霊のような神が宿っていて、人間界を豊かにしてくれているというアイヌの思想だよ。お茶はしないが、カムイが宿っていると思っている生き物や物が役目を終えたとき、またこのアイヌの国に来てくださいとカムイの国に送り返す儀式で供え物とかするんだよ。するとまた、そのお供えというかお礼を楽しみにして、アイヌにとって良きものとしてカムイの国から再び帰ってきてくれるんだよ」
今度は舞が目を丸くする。
「え、優大君、詳しいね。私、小学校で習ったことうっすらとしか覚えていないよ。北海道の地名はほぼアイヌがつけた名前に漢字を当てているとか。アイヌ語のさわりぐらい」
「まあ、俺が通っていた学校でアイヌの授業をしたときに、各班でアイヌについて調べて発表するというのがあって、それでカムイモシリとアイヌモシリについて調べたんだよ。その時に面白いなと思って、兄ちゃんが持っていた『カムイ・ユーカラ』の絵本とか小説を読んだ時期があったぐらいだよ」
カラク様が見えていたお婆様はアイヌの血筋。最後までカムイのことを呟いていたという。なにか関係があるのだろうかと、優大が話すカムイが舞の心にひっかかりはじめる。
「優大君と食事に行く」
打って変わって、申し入れを受けたので、またまた優大が『はあ?』と片眉を上げ困惑している。
「え、なに。本当に俺と行くのかよ」
「うん。カムイの話をもっと聞きたい」
「まあ、そういうことなら。いけね。俺、オーナーに、舞さんに度外視のメニューについて相談してくると言って店から出てきただけだから、やべえ、もう戻るわ」
「うん、わかった」
「スタッフ連絡用のメールに、予定を送ってもいいか」
いいよと舞も頷く。やべえ、やべえと、優大が慌ててローズサークルから出て行こうとしていた。そのまま見送ろうとしたのに、コックコートの背がまた振り返る。
「次の度外視企画なんだけど、地元のいい卵を使った濃厚クラフティにしようと思っているんだ。乗っけるフルーツなんだけどよ、サクランボとハスカップどっちがいいかと思って、それも聞こうと思っていたんだ」
「サクランボ」
迷わず答える舞に、優大が満足そうに笑む。その目元に舞は初めて温かみを感じている。
「なんで私にいちいち聞くの。お父さんのほうがプロだよ」
「いや『迷ったら舞に聞こう』が、俺とオーナーの合い言葉だよ。俺もそう思っている。じゃあな」
「いってらっしゃい」
なんだか嬉しそうにして、優大がメドウガーデンに揺れる彩り取りの小花の中を歩いていく。
舞もひと息つく。なんだか一気に情報が雪崩れ込んできたような感覚で、胸の中がぱんぱんに膨らんだ気持ちだった。
「カムイ、か。まさかね」
アイヌの血筋があるお婆様が、その思考で見えていただけのこと。カラク様とは関係ないだろう。舞とお婆様の共通点はなんなのだろう。たまたまカラク様という幽霊と波長が合った人間? それともなにかの精霊様に見初められた人間?
わかっているのは、カラク様がそのお婆様と舞にだけ見えたと言うこと。それ以前のことはわからない。
今日は丘から強めの風がざっと何度か花畑に入ってくる。
バラの香りに包まれ、舞は空を見上げる。
また森の木立に、カラスが止まってカアと鳴いていた。
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