【3】 オラオラ系なパン職人 優大君 オレンジの連鎖が始まる

① オレンジティーとガトーショコラ

 野立のだて優大ゆうだいは、スミレ・ガーデンカフェの準備期間中に、父が連れてきた青年。


『駅近くのベーカリーさんに、うちのカフェにもパン類を仕入れさせて欲しいと交渉に行ったそこで、出会ったんだ』


 優大の父親の野立氏と商談をしているところで、『小さな町のただのパン屋、父親で店主の自分と長男だけで事足りるのに、どこの職場にも馴染めずに戻ってきた次男を持て余している。その次男にもなにかさせたいのですが、エルム珈琲でメニュー開発担当部長さんだった上川さんの目で、一度、職人として使えるかどうか試していただけませんか』という話になり、次男君お手製のパンとスイーツ類の焼き菓子を、父が試食することにしたとのことだった。


 父がいくつか課題を出して作らせたシンプルな食事用のパンと、基本的な焼き菓子を試食したところ、荒削りだが専属で使ってみたいと契約をしてきたらしい。


 野立のお父様は『本当にこんな悪ガキを使ってくださるんですか』と驚きおののいたらしいが、父は父でエルム珈琲で商品開発を担当しつつ、部下を育ててきた実績がある元部長、まだ荒削りな素質を持つ職人を、企画面から育てることだってプロ。そして父もきっと血が騒いだのだろう。『若い青年を、また育てたい』という元々のビジネスマンとしての血が。舞はそう感じたから、態度が気にくわないパン職人の男が、父と娘の間に入ってきても我慢することにしたのだ。


 実際に、優大は父と仕事を始めると、非常に素直に従っていた。野立のお父様が驚くほどに、だ。それもそのはず、何度も言うが父は育てるのもプロ。優大は父と一週間のメニューの話し合で徹底的なマンツーマンに徹した。父がわかりやすく諭すように、パンの出来具合を批評する、アドバイスする、テイストのオーダー指示とやり直しを的確に説明するからなのか、彼の父親が思っていた心配とは裏腹に、優大は素直に耳を傾け、リテイクにも反抗はみせなかった。


 その優大が、舞に思わず聞かせたこと。


『おまえの父ちゃん、いや、上川オーナーってすげえな。俺。あんな上司に出会いたかったんだよ。あんなふうに教えてくれたり、あんなふうにダメなところを指摘してくれたら、俺だって……』


 いままでの職場ではそれがままならなかったのか、優大はそれまで上司や先輩、同僚たちに悪態ばかりついて素直になれたかった自分を恥じていたようだった。


 それから優大は、毎日、父と綿密なミーティングをして、一人で生産するベーカリーの腕を磨き、真摯にスイーツも作り出してきた。


 次週に店に出すベーカリーは、前の週に優大が試作をつくり、父と舞が試食をする決まりになっていた。今日はその日。


 枯れ始めた花は外観を少しずつ損ねてくるので、花がら摘みもしておく。優大に声をかけられて小一時間、庭の手入れを終え、遅いランチを取ろうとカフェへと戻る。


 青空が爽やかで、森の香りがする風が入ってくる昼下がりのカフェ。まったくお客が来ない中、それでも父と優大は、いつもの打ち合わせをいつものテーブルでしていた。


「ただいま戻りました」


 懇々と男二人で話し合っていたが、娘の声に父が顔を上げる。


「厨房にランチがあるから、ちゃんと食べなさい」


 上司ではなく、父親の優しい笑みを見せてくれる。でも父はすぐに仕事の目に切り替わった。

 男同士、額を付き合わせ、今日の焼き菓子の批評をしている父と優大。父が淡々と話していることを、優大がメモ帳に真面目に書き留めているいつもの姿だった。


 厨房の奥に、食料庫がわりにしている小部屋がある。そこを父と共に仕事をしているときのスタッフルームとしても使っていたので、舞はそこにある小さなテーブルで、父が作ってくれた賄いランチを黙々と食べる。


「お疲れ、入るぞ」


 ドアを開けていたが、優大が一応ノックをして入り口に現れた。その手にはトレイを持っていて、舞愛用のマグカップとケーキ皿が乗っていた。


「今日の試食。それと父ちゃんのカフェラテな」


 そろそろ食事を終えるランチディッシュの側に、彼がトレイを置いてくれた。

 ケーキ皿にはショコラ系のケーキが置かれていた。


「来週はショコラケーキなの? ガトーショコラぽいね。あれ、オーナーのメニュースケジュールでは、クリームチーズデニッシュじゃなかった?」

「まあ、そうなんだけどよ。なんとなく、作ってみたんだよ」

「なんで。勝手にやったの? オーナーに怒られなかった?」

「おまえの父ちゃん、滅多に怒らないだろ。その代わり、懇々と説教をされたよ。どんなにやりたくても、仕事は決めたとおりに計画的にやらなくてはならないってさ。でも、それ少し手直しが出来るなら来週のメニューにしてくれるってよ。でも、娘の感想も聞いてこいって言われた」


 それで持ってきてくれたということらしい。


「なんで急にガトーショコラ系になっちゃったのよ」


 父の指導に心酔していると言ってもよいほどに、オーナーという上司の言うことはきちんと聞き分けてきた優大が、どんな心境で逆らってまで自分勝手なものを作ってきたのか舞にはわからない。


 わからないまま、ショコラ色の焼き菓子を手に取ってみる。思いのほかずっしりしていた。そして口元に近づけると、オレンジの香りもした。よく見ると、ショコラ生地の中にオレンジピールが入っているのを見つける。


 頬張ると、外側はカリっとしたクリスピー感もあるが、中身はしっとり半生状態。ビターなショコラと甘酸っぱいオレンジが入り交じって芳醇な香りが口の中に広がった。


「いい香り、おいしい」


 思わずそう言っていた。


 でも優大は喜んでいない。腕を組んで、まだ食事が終わらない舞の邪魔にならないよう、テーブルに腰をかけてしかめ面になっている。


「オレンジピールを使いすぎ。コストかけ過ぎ、スケジュールに反して予定にないものを作って無視してチャレンジしてきた割には、まったく商品化を意識していないって、散々言われた」


 やっぱりね……と、舞は心の中だけで呟く。父がここ一年半、荒削りだった優大にとことんたたき込んだのは『限りある中で客を満足させること』だった。それを舞も、ガーデン仕事をしつつ、食に携わる男ふたりのやりとりと聞きかじって見守ってきたので、父がなにを言いたいかも既に承知だった。


「でも。お父さんは、じゃない、オーナーは怒らずに採用したんだ」

「いや、コスト内で抑え、なおかつこのレベルの味を保てるなら採用するという条件付き。で、舞の意見は、いい香りおいしい、でいいんだよな」


 素直な感想はそれだった。しかし食のプロでもある父が『改良できなければ不採用』と思っているならば、もしかするとこれだけではダメなのだろうと舞は思う。


「最近、おまえ、店にはないオレンジティーをオーナーに作ってもらっていただろ。あれ、俺もミーティングの時にご馳走になったよ」


 と聞いて、舞もピンときた。


「え、まさか。オレンジティーに合わせて作ったの?」


「メニューにないオレンジティー。美味かったからさ。初めて煎れてもらった日は肌寒い小雨の日で、もうすぐ夏といえども、身体も気持ちも暖まってさ。そのときに、これ食いたいと思ったんだよ。あのオレンジティー、オーナーが独自にブレンドしたらしいけど、あれこそ商品化したらいいじゃないかよ。それに合わせた焼き菓子も作ってみたかったんだよ。おまえ、最近好んで飲んでるんだろ、オレンジティー。だったらよ、そのお茶と合わせてどうかも聞かせてくれよ。俺的には贅沢オレンジの香りってコンセプト」


 舞はやっと理解する。優大が、計画を無視してまでどうしてショコラの焼き菓子を作ってきたか。そしてまた心を揺り動かされた彼の、どうしても突き動かされ作ってしまったという情熱に舞は当てられる。しかも、まさかのカラク様のためにオレンジティーを舞が望んでいたことで、優大がこれを思いつくなんて……。不思議な気持ちだった。

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