【2】 貴方は幽霊? 二十年前を知る人、カラク様

① ニジュウネンとは、どれぐらいの時間!?

 

 アーリーサマー。初夏の六月は、花が咲き始め、気温も緩み、空も爽やかで気持ちが良い。森と土と草花の香りに満ちて、森の木々の切れ目の向こうには、連なる丘が見える。丘の牧場にはサフォークの羊たちが走り回っているのが見える。


 最近、背丈が伸びてきたアリウムとオリエンタルポピーが隣り合っているせいで窮屈に見える。舞は花鋏を手にし、紫色のポンポンのようなまん丸の玉を揺らすアリウムと、白いオリエンタルポピーの幾分かを花鋏で切り取った。


「これで、ひとまず終わりです。お茶に行きましょう」

「はい、行きましょう。今日も楽しみです」


 舞は不思議な彼と一緒に歩き出す。昨年、庭の手入れを始めた頃に植えた芝生が青々と茂り、そこに散策用に並べた石畳の道を往く。


 紫の大きなぽんぽん玉を揺らすアリウムと、白い花が戯れるようにそよいでいる。


「その花は捨ててしまうのですか」

「いいえ。お店に飾って、最後まで楽しみます。あ、今日もオレンジティーを父に頼んでみましょう」


 虹色の髪の彼が嬉しそうに微笑んで、舞とずっと並んで歩いてくれる。




 今日も来客がない平日。お天気だけ良くて、庭の花だけが元気で、父が経営するカフェは閑古鳥が鳴いている。


「ただいま戻りました」


 カフェ厨房の勝手口のドアを開けると、またそこで父が退屈そうにお皿を拭いているのかと思ったら、今日はバリスタスタイルで、お茶の準備を始めていた。


「そろそろ休憩だろうと思って、作っておいたよ。最近、舞はオレンジティーが気に入っているようだからね。気温が高いから、今日もアイスにしようと思っているんだけれど、どうかな」


 また父の向こう、店内の窓席に、いつのまにちゃっかり座っている彼が、わくわくした瞳を輝かせて待っている。


「うん。私もアイスがいいなと思っていたところ」


 父もこれまた嬉しそうに表情を崩した。


「そうだろう。お父さんは、舞のことはなんでもわかるんだからな」


 娘の私じゃなくて、あの人が欲しがっているんだけれどね……。などとは言えず、舞はひっそりと苦笑いをする。



 本日の午前の部、休憩時間。不思議な彼のために、舞はお茶をする。


 窓際の席に座ると、父がロンググラスに氷を浮かべたオレンジティーを持ってきてくれる。舞の目の前にグラスが置かれると、不思議な彼の手元にも同じものが現れる。


 舞が手に取ると、彼が手に取る。一緒にひとくち、グラスに差したストローから吸ってみる。


「本日も美味です。お父さんのオレンジティーは最高ですね」

「そうですか。本日も気に入っていただけて、父も嬉しいと思いますよ」

「先日のカフェラテとやらもおいしかった。その前のロイヤルミルクティーなるものも、素晴らしかった。うん、剛さんのお茶は最高です」

「もう、それを専門として働いていた人ですから」


 この店を開くまではカフェメニューの開発部にいて、そこの部長まで勤めたやり手。だから舞が突然『オレンジティーがほしい』と言い出しても、いまは柑橘の季節ではないと考えた父は、元々、自分の趣味で揃えていた喫茶道具と素材を持ち出し、その中からセイロンの葉とドライオレンジピールをブレンドして、さっと彼が満足するお茶を作ってくれたのだ。


 それから、お客が来ない退屈凌ぎで父が作るお茶を、虹の黒髪を持つ彼がたいそう気に入ってしまったから、毎日現れる。


 もうそれは満足そうに、味わったことがないものばかりだと、彼は舌鼓を打ち堪能していく。

 大人の男性の顔をしているのに、お茶をしているときは少し無邪気な少年に見えることもある。やはり不思議な人だった。


 その彼と何度かお茶をして、森の入り口で見送るとき、舞は聞いた。『あなたは誰? どこから来たの? どうして私にだけ見えるの?』と、彼が初めてロイヤルミルクティーを口にしてに喜んだ日だった。また森の小径へと帰ろうとしているそこで、まるで引き留めるかのようにして、舞は焦って尋ねていた。


 彼は首をかしげながら、致し方なさそうな笑みを浮かべていた。


『それが、僕にもわからないんですよ。自分がどこから来て、どうしてここに来てしまうのか。名前すらも、もう誰も呼ばないので、』


 寂しそうに眼差しが翳り、長めの前髪の中にその顔が隠れるほどに、彼がうつむいた。その様子から、着ている服も現代そのものだから、最近亡くなった男性の霊ではないかと舞は思った。進めば進むほど、奥が鬱蒼と暗くなっていく森林を見つめ、舞は再度問う。


『この道の先で遭難されたとか……』

『さあ。ですが、あのお店に人が住んでいたことは覚えているんですよ。だって、住んでいた彼女がオレンジティーを初めてご馳走してくれたのだから。つい最近だった気がするのですが?』


 舞はそれを聞いてぞっとした。


『父がカフェに改装する以前の古い家屋なんですけど……。ここ二十年ずっと空き家だったそうで、最後の住人だったお婆様も、その頃に亡くなったと聞いていますよ』

『え!? ニジュウネンとは、どれぐらいの時のことをいうのだろう?』


 ええっと、また舞にはわかりにくい感覚で質問をされて言葉に詰まる。日が昇って沈んでまた昇るのを何回繰り返したのか――なんて、彼が変な聞き方をするので、舞は気が遠くなる思いで考えたが答えられなかった。そうだと、作業エプロンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出して電卓アプリで計算をし始める始末。なにやっているの私。どう考えたって『この人、幽霊じゃん!』と半ば憤りながら計算を始める。


 気がつくと彼が、目を丸くして興味津々、計算する舞の手元を身を乗り出してのぞき込んでいる。


『なんですか、それ。また新しいモノが誕生しているんですね。あなたたちは凄い!』


 現代の服を着ているからと思ったが、もしかして相当な昔に亡くなられた男性? この辺の地縛霊なのだろうか。でも全然怖くない……。むしろ、美しすぎて、憎めなくて、幽霊なんかに見えなくて、舞はすっかりこの人に気を許してしまったのだ。


『あなたのお父さんのオレンジティーは、また別の味わいでしたね。それではまた』


 また来るのか、会えるのかわからず、舞はそのまま彼を森の小径で見送ってしまった。虹色に輝く黒髪、すらっと背が高く、鍛えられているようながっしりと逞しい肩。鬱蒼とした森の、暗さが増す場所でその背が見えなくなる。陽の光がない場所だから見えなくなったのか、それとも……。


 その後、翌日も彼は舞の目の前に現れた。

 またもや『昨日のおいしいオレンジティーはありますか』と同じ笑顔と服装で。

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