⑤ メドウガーデン 牧草地のようなお庭
その日はすぐに返答することができなかったので『考えさせて』と父に伝え、舞は森林地区の自宅へ戻った。
その後、従兄たちに連絡をすると、彼らも非常に困っている様子で、なによりも伯母がやつれて精神的に参っていると聞かされ、舞はますます身につまされる。
従兄たちも既に結婚をしており、まだ小さな子供を抱えて自分たちの家庭を守るのに精一杯で、実家の店を助けることもままならず、彼らも頭を痛めていた。
それでも従兄たちは『無理するな。俺らも祖父ちゃんの家がなくなるのは寂しいから』と言ってくれた。
そんな実家の状況を知ってからしばらく。
舞はずっと迷っている。実家が跡形も無くなる決断はなかなかできない。でも大好きな伯母にこれ以上の負担はかかってほしくない。他人事のように従兄たちに丸投げにして知らぬ振りはできない。
なによりも――、父には『好きなことをしてほしい』。
自宅のアパートは、白樺林の側にあり、いつもざわざわとした木立の風が聞こえてくる。
小さなダイニングテーブルには、父が持ってきた不動産の資料が置いたままになっている。あの日、高橋チーフと眺めた荒れた庭の写真をもう一度確かめる。雪解けに咲き始める球根の花々、薄紫のスミレのリボン。鬱蒼とした森林。向こうに見えるのは、顔が黒いサフォークの羊が走り回る緑の丘。
不動産情報が記されている書類を取り出し、舞は敷地面積を確認する。小学校のグラウンド半分ぐらいの大きさだった。確かに広い、一人では。しかし見栄えを良くするならこれぐらいないと『花畑』とは言えないだろう。しかもここは北海道、広く雄大な風景ならどこにでもある。ただの花畑で気を引くことはできない。
本棚にしまってあるスケッチブックを取り出す。色鉛筆も準備をする。そして、園芸種の花々が掲載されている園芸ブック。それらをテーブルに集め、舞はスケッチブックを開く。簡単に北国洋式の二階建てペンションを描く。
「レンガの煙突なんだ」
屋根から突き出しているのは、灰色レンガを組み上げたもの。窓枠は古いドイツの家を思わすものだった。
色鉛筆を手に取り、園芸ブックを開き――。『スミレが咲く頃、咲いたその後』をイメージして、その季節の花を選ぶ。色分けをして、庭のデザインをしていた。いつのまにか。
終の棲家。そういった父の言葉が頭から離れない。
設計とデザインをおおざっぱに描いたスケッチを、高橋チーフに見せてみた。
それだけでチーフは愕然とした表情を刻んでいた。
「上川、ちょっといいか。こっちにこい」
舞が描いたスケッチを手に、チーフが事務室を出て行こうとする。
後をついて行くと、カントリーハウスに隣接しているゲストハウスの自販機休憩所まで連れて行かれた。
そこでカップコーヒーを買ってくれ、舞にそれを差し出すと、そこのベンチに座れと言われる。
「なんだこれは」
「あの物件の庭のデザインです」
「しかも、春夏秋と季節ごとに丁寧にこれまた」
「おおざっぱに、試しに、やってみただけです。おかしなことがあれば教えてほしいです」
同じくカップコーヒー片手にベンチに座った高橋チーフがため息をついてうつむいた。
「なんだ。もう心が決まっているじゃないか」
いいえ、決まっていません。いつものように平坦に返答しようとしたのに、どうしたことか言葉が出てこなかった。返事をしない舞を不思議に思ったのか、高橋チーフが舞の顔を覗き込む。
「は? 上川……? え、おまえ、えええ、どうしたんだよ」
舞は泣いていた。なにか堰を切ったように涙を流していた。
嘘だ。私、仕事中に、職場で泣くなんて絶対しない。大声で笑ったりもしない。チーフもいつもいう。『おまえ、愛想も愛嬌もないな。ほんとうにあのお父さんが育てたのか? まあ、可愛げなくても、おまえは仕事の飲み込みも早いし、最後まできちんとやるし、それが一番だもんな。それに、おまえ。なにげに人情ある。誤解されやすい第一印象だけれどな』、よく言われることだった。愛想がないから返答もいつも淡々としていて『上川さん怖い』と言われることもよくあって。
なのに。その私が泣いちゃうなんて。あり得ない。そう思っているのに止まらない。
「ああ、どうしたもんか。どうした。やっぱりお父さんを止められなかったのか」
「実は……」
また堰を切ったように、舞は実家の事情を上司に話していた。
そして舞は初めて知ったのだ。私はこの上司を心から信頼して頼っていたということに。
事情を知ったチーフも表情を曇らせ、肩を落とし、ため息をついた。
「そうか。そんな事情があのお父さんに降りかかっていたのか」
そこで初めて、チーフが舞のスケッチをじっくりと無言で眺める。
「でも。よくできている。あのとき、お父さんには言えなかったが。あの敷地なら、いまの上川が腕を試すにはちょうどよい大きさだと思う。野生化している植物も幾分かあって、まったくのゼロからの開拓でもなく、いわゆる『メドウ』的なガーデンを作れると思うんだ」
チーフの言葉に舞は目を見開き、そこで涙が止まる。
「……メドウ……? 野生種と園芸種が混在するその敷地を活かしたガーデンのことですよね」
「以前はそう言われていたが、現在のメドウは牧草地のように『自然に生えたように見える庭』として手入れをすることも指す。そのかわり自然にみせるためのデザインが難しい庭だ。だが、お父さんが買おうとしている土地は、北海道らしい野生の雰囲気が残っている。本来のメドウに挑戦できると思う。実際に庭を見てみないと、他になにが咲くのかわからないが、荒れているところの手入れをして園芸種を植え、野生化した植物を守るように設計すればメドウになりそうだというのが、俺の所感」
それにチーフが『ひとりで腕を試すことが出来ると思う』と言ってくれた。舞の心にどうしてか、ふっと息ができる空間を見つけたような感覚に、ほっとしている?
「やる気なら。今年は土地の手入れで終わる。最盛期に何が咲いているか確認をして、残す品種と廃棄する雑草とより分けなくてはいけないし、来年の春から咲かせる準備をしたいなら、いまからやらなくてはダメだ。遅くても秋には植えておかないといけない植物もある。お父さんともう一度よく話し合え。本気なら多少の相談は乗る。あと退職するなら早めに。こちらもおまえが抜けるなら穴埋めを来年のために考えておきたい」
「わかりました」
「種や苗の仕入れなどの見積もりも出しておけ。お父さんと店を始める覚悟なら、来年からはひとりで全部やるんだ。それも忘れずに」
まだ心が揺れているのに、チーフはもう舞を送り出すような口ぶりになっている。
コーヒーを飲み干したチーフが、カップをゴミ箱に捨てたが、舞の隣に座ったままだった。しばらくはため息をつきながら唸っていた。なにか言いたくて言えないように。そしてやっと彼から口を開く。
「上川が泣くなんてなあ……。ショックだよ」
「申し訳なかったです」
既に涙が止まった舞は、いつもの素っ気ない口調に戻っていた。
「子供が無邪気に甘えたいときに、母ちゃんがいなくて、父ちゃんがひとりで育ててきた。だから気の強い娘が育ったのかなあとか思っていた。まあ性格であるのも百も承知だが、それ以上に父ちゃんを自由にしたいためが、おまえのなによりもの願いで目的だった。なりたかった仕事でもない園芸の世界に飛び込んできてさ。自立のためだけに必死にやっているんだもんな。なのになあ、夢見て入ってきたヤツほど、園芸仕事の現実に幻滅して離職する。目的が自立だという上川のほうが続いている……、気強く、揺るがず、全ては『父のため』。その一念のためだけに淡々と仕事をする娘……」
何が言いたいのだろうと、涙の痕を拭きながら舞は首をかしげる。
「いいか。おまえに足りないのは『植物に対する情熱』だ。それがなければ、独りで庭は造れない。それだけは覚えておけ」
チーフが立ち上がり、先に去ろうとしていた。自販機休憩所ブースの出口で背を向けたままひと言。
「ちゃんとわからないような顔になってから帰って来いよ」
彼がこちらを見ていないけれど、舞はそっと頷いていた。
可愛げがない部下が弱さを見せたこと、泣いたことが上司としてショックだったのだろうか……。舞もショックだ。父親ではなく、まさかの他人に吐露するなんて。
きっとこのチーフとの相談が後押しになったのだろう。
舞は再度、父へと連絡をする。
「お父さん。士別市のあの庭に連れて行って」
父も『わかった』と言ってくれ、『花のコタン』に鈴蘭がたくさん咲き始めた頃、二人で士別市へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます