残り物の記憶⑪




病室をノックすると返事が聞こえた。 穏やかで何故か懐かしさを感じさせる落ち着いた声だった。


「・・・失礼します」


静かに扉を開けて姿を見せる。 少々痛々しい姿ではあるが竜明は上半身を起こしていて、美余を見るなり驚いた顔を見せた。


「・・・竜明くん、ですね」

「どうして俺の名前を知ってるの?」

「お母さんから聞きました。 先程会ったんです。 明虎さんの弟だって」

「・・・そっか」


竜明は切なそうに俯く。 振られたことは美余も憶えている。 それは当然目の前の竜明が振ったということだ。


「また後でお母さんは見に来るそうです。 竜明さんの無事を確認して、お仕事へ戻られました」

「分かった。 教えてくれてありがとう」


扉を閉めて竜明に近付いた。


「もしかして、美余さんが救急車を呼んでくれたの?」

「いえ、私はテンパって何もできませんでした。 ・・・ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。 美余さんが今、ここにいてくれるだけでも俺は嬉しい」


いつの間にか“さん付け”になっておりどこかよそよそしかった。 もう記憶に残る竜明ではないということが少し寂しかった。


「あの、先にお礼を言わせてください。 私を助けてくれてありがとうございました」

「いえいえ。 衝動的にとった行動だったから。 突き飛ばしちゃって大丈夫だった? 怪我とかはない?」

「私は竜明くんのおかげで傷一つありませんでした。 本当に竜明くんが無事でよかったです」

「ありがとう。 美余さんこそ、無事でよかったよ」

「・・・今なら答えてくれますか?」


そう言うと竜明は少し時間を空け静かに頷いた。


「・・・うん、いいよ。 何が聞きたい?」


美余もゆっくりと言葉を返す。


「どうして明虎さんから竜明くんに、私の彼氏が変わったんですか?」


竜明は全てを話してくれた。 兄である明虎から聞いたということも全て。


「俺がちゃんと状況を確認せず、早とちりをして勘違いをしていたのがいけなかったんだ。 全ては兄さんがいけないと思っていた」


美余は最初、記憶を失う体質の自分に対して何か悪意あることをしようとしているのかと思っていた。 だがそれは全く違ったのだ。 寧ろ逆で、自分のことを心配してくれていたからこその行動だった。


「だけど本当は違って、俺は勝手に美余さんを兄さんから奪ったりして・・・。 まだ美余さんは兄さんのことが好きだったのに、本当にごめんなさい」


竜明は深く頭を下げる。 それに慌てて首を横に振った。


「謝らないでください」

「でも初対面で相手のことをよく分からない状態で付き合うなんて、兄さんと同じことをしていたんだ。 兄さんを叱ったけど、俺は兄さんにそれを言える立場ではなかった」

「大丈夫ですよ。 竜明くんは悪い人じゃない」

「どうしてそう思うの?」

「記憶のない私を利用する理由ではなかったから。 ただ人思いでいい人だと分かり、安心しました」


それを聞くと竜明は表情を落とす。


「・・・そっか。 突然彼氏が変わったら、利用されているのかもしれないって思ってしまうのか。 何度も美余さんに不安な思いをさせてごめん。 そして、ありがとう」

「はい」

「でもこれだけは言わせてほしい」

「何ですか?」


尋ねると竜明は苦笑するように言った。


「二年間兄さんのフリをしているうちに、俺は自然と美余さんに惹かれていたみたいだ。 今は好きだよ」

「ッ・・・」


あまりにも突然で自然な告白だった。 いきなり言われたため驚いてしまう。 それを見て竜明は慌てて言った。


「ごめんね、困らせるつもりはなかったんだ。 ・・・迷惑だったかな?」


迷惑なわけがない。 自分の取り戻した記憶が温かみに包まれていたことを本能的に理解していたのだから。


「一時的なだけかもしれませんが、この二年間の竜明くんとの記憶を全て思い出しました」

「え、本当?」

「車に轢かれる直前に、走馬灯で見たんです」


美余は恥ずかしくなり軽く俯いた。


「いつも私に優しくしてくれて、愉快にさせてくれて素敵な彼氏さんだなと思いました。 私も自然と、竜明くんに惹かれていたみたいです」


少し赤くなった顔でそう言うと竜明は驚いた顔を見せた。


「え、じゃあ・・・」

「はい。 これからもよろしくお願いします」



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