残り物の記憶

ゆーり。

残り物の記憶①




大学生の美余(ミヨ)はある記憶障害を抱えていた。 それは徐々に記憶がなくなっていくというもので二年くらい前に突然発症した。 治療方法は現在の医療にはないらしい。 

ただ進行を遅らせることはできるようで、薬を服用し騙し騙し生活を続けている。


―――・・・あれ、昨日講義でここをやったっけ?

―――全然憶えていないや・・・。

―――毎日予習復習はしているはずなのに。


記憶がなくなっていくのが早くなっているような気がする。 服用を続けているうちに薬の効果が薄れているのかもしれない。 正直なところこんな状況で大学へ行っても意味はないだろう。 

だが継続して通い単位を取れば卒業できるという約束はもらっている。 この先の不安を大卒という資格で多少払拭できるのなら、やはり通う価値はあるのだ。


―――やっぱり、私の記憶は・・・。


記憶がなくなっていく自覚はある。 大学に通う意味も薄い。 それでも周りに遅れまいと今日も大学へ行き講義を受けていた。 それくらいしか今の自分にはできないということを分かっているのだ。


―――一度忘れちゃったことは、もう思い出すことができないのかな。


最初に記憶の違和感を覚えたのは勉学だった。 昨日やったと言われた範囲がなかなか思い出せなかったのだ。 面倒なことに記憶は古いものから徐々に消えていくわけではなく完全なアトランダム。 

新しい記憶が突然消えることも珍しくなかった。


―――あ、思い出そうとしているうちに終わっちゃった・・・。


黒板の字を急いでノートに写していく。 すると一人の青年がやってきた。 彼のことを憶えているのは美余にとって重要な人物だからだ。


「明虎!」


彼に気付き名を呼ぶと明虎(アキトラ)は嬉しそうに駆け寄ってきた。


「俺のこと、憶えてくれていたんだ? 嬉しいよ」

「だって私の彼氏なんでしょ?」

「そうだよ」


大切な彼氏であるのだが、美余にとって少々不安の残る記憶でもある。 専用のノートを取り出そうとしたところで、周りには複数の友達が集まってきていた。

明虎も友達も美余の記憶障害については知っている。 タイミングを逸してしまいノートをしまったところで、明虎が気を遣うよう言った。


「みんな、何か飲み物はいる? 買ってきてあげるよ」

「え、彼女じゃないのに私たちの分も買ってきてくれるの?」

「うん。 勉強を頑張ったご褒美にね」

「やったー!」


明虎は各々の飲み物のリクエストを聞くとこの場から離れていった。 明虎ともっと一緒にいたい気もするが、取っている講義が違い一緒に勉強できないのが難点だった。 

休憩時間になるといつも様子を見に来てくれるが、その瞬間彼のことが分からなくなるかもしれないという恐怖がある。


「いいなぁ、イケメン彼氏ー! 美余が羨ましいよー」

「そうそう! それにめっちゃ優しいじゃん。 彼女の友達にも優しいとか、最高じゃない?」


明虎はカッコ良くて自慢の彼氏だった。 だから友達にそう言われるのは嬉しかった。


「あ、そうだ!」


思い出したように美余は特に憶えたいことを書き記すノートに明虎の名前をひたすら書き始めた。 それを見た友達が言う。


「お、愛がいっぱい詰まってるね。 そのノート、全て書き切ったらどうするの?」

「また新しいノートに書き始めるよ」

「熱いねぇ」


友達としばらく一緒に過ごしていると明虎が戻ってきた。 何本かの飲み物を抱えながら後ろからノートを覗き込まれる。 そして不思議そうに尋ねてきた。


「・・・俺の名前を書いているの?」

「うん。 明虎の名前を忘れないように」

「・・・そっか。 ありがとう」


明虎は小さく笑った。 今はもうその時のことをハッキリと憶えていないが、一度だけ明虎を忘れたことがあるらしい。 友達からそう聞いた。 

僅かだが美余も記憶に残っているのは明虎のことを忘れたのを知った時の明虎の切ない表情。 いつも完璧で不安な表情など一切見せない彼が、泣きそうだったのだ。


―――・・・あの時の表情は、見てはいけないものを見てしまった気がする。


ずっと心に引っかかっていた。 だがいつかはそれも記憶から消されるのかもしれない。 だからもう二度と明虎にそのような表情をさせないよう、必死に忘れないために美余なりの努力してきたのだ。 

ただ記憶障害の前にはどんな努力も意味を持たないのかもしれない。 忘れたいことや忘れていいことだけを忘れるのならこんなに悩んでいたりはしない。 

忘れたくない記憶が失われてしまうから厄介極まりないのだ。


―――明虎のことは忘れたままだけど、また関わっていくうちに自然と明虎のことを好きになったんだ。

―――だからやっぱり私にとって大切な彼氏なんだと思う。

―――もう悲しい思いはさせたくない。


明虎が買ってきてくれた飲み物を飲みながら休憩すると。次の講義が始まろうとしていた。


「じゃあまた来るね」

「明虎くん! 飲み物、ありがとねー!」


友達の言葉を最後に明虎とは笑顔で手を振って別れた。


―――やっぱり大好きだな。

―――明虎のこと。


だが次の講義を受けているうちに美余は眠くなってしまった。 いつも憶えたことを忘れまいと勉強熱心なためよく夜更かしをしてしまう。 

それ以上に寝ている間に記憶を失われることが多く、眠るのが怖いということもある。 ただ人間である以上睡眠不足に抗うことはできない。


―――ヤバい、眠気が・・・。

―――どうしよう、このままだと・・・。


寝て起きれば記憶を失っている可能性は高い。 しかも、経験からするとこの感じは大抵何かを失ってしまう前兆に思えた。 講義に集中しようとしたがどうしても睡魔に勝てずそのまま眠ってしまった。 



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