第四章 デビュタント
リリー
キッチンメイド、リリーの朝は早い。
毎朝、オルヴィス侯爵一家が起床する少なくとも3時間前にリリーは起きて、邸のキッチンと使用人専用の居間を軽く掃除し、他の使用人の寝室をまわって彼らを起こすのだ。
「シンガーさん!朝です、起きてください」
「カーライルさん、起きてください!」
この様な感じに、一部屋一部屋回ってノックをして、起こすのである。
ちなみに、使用人の寝室は性別で北と南に分かれており、男性の寝室の奥にはリリーは入れない。そこで、キッチンメイドと同じくらいの時間に起きて、外を掃除している下男を呼んで、代わりに起こしてもらうのだった。
それからリリーは階下全員分のお茶を淹れる。毎日たくさんのお茶を淹れるものだから、『キッチンメイドを経験してきた人の淹れるお茶』という、ことわざまでできた。毎日してれば、必然と上手くなるという意味合いだ。これは実のところ、本当の話である。
起きてきた使用人たちは全員、リリーの淹れたお茶を飲んで、彼らの朝ははじまるのだった。
下僕をはじめ、メイドが上の階の掃除を始める頃には、リリーは使用人全員分の食事を使用人の居間に用意する。これには料理副長のデボラも手伝ってくれるが、毎回ではない。
上の階の掃除が終わってすぐに降りてきた下僕やメイド、そしてそれまで見回って指揮をしていた執事と家政婦長はそこでキッチンメイドの作った朝食を急いで食べたあと、再び上の階に上がる。従者は侯爵の朝の支度を手伝いに、ホリーとアイヴィーは令嬢たちの朝の支度を手伝うために、だ。
ちなみにこの時、キッチンで勤務している料理長、料理副長、キッチンメイドは居間で皆と一緒に朝食を食べられないので、台所の横に備え付けられた小部屋の中でパンとチーズを食べるのである。
そこまでが、リリーの朝の仕事ではない。朝ご飯を食べて、終わり、というわけでは無いのだ。今度はご家族の朝ごはんの支度を手伝わなければならない。上の回の掃除が終わり、朝食の間が綺麗にセッティングされる頃には、朝食をきっちり盛り付けて下僕に託し、ご家族が朝食を食べているであろう時間帯には今度、洗濯物を外に持ち出して洗濯をする。洗濯が終わった後も、その日のお茶の時間に出すお茶菓子の仕込みをするのである。
休む暇など午前中には少しもなくて、午後ご家族が昼食を食べている頃が、その日初めての休憩なのだ。
「やっぱりおかしいです。院長先生がリリーはいつか立派な料理人になるよ、と言ってここを紹介されてもう7年経ちますが、早起きとお茶を淹れる力しか育っていません」
休憩が終わって、夕食の仕込みをしながらリリーは愚痴をこぼしていた。
すぐ横ではデボラが、彼女の得意料理の仕込みをしており、その向こうでシンガーさんが材料表に目を通している。
「何言ってんだい。あんたがここに来た時に比べたら、あんたのお茶を淹れる腕は確かに上がってるよ」
器用に両手を動かしながらデボラが言う。
「そうさ、あんたなら、立派な料理人になれるよ。料理長だって夢じゃないよ」
そうシンガーさんが付け加える。さらにシンガーさんは「料理長のあたしが言ってるんだから、確かだね」と自信を表面に出したように言った。
しかしそのふたりの言葉を聞いても、リリーの顔は明るくはならなかった。
「仮に私が料理長になれるとしても、一体いつです?白髪のおばあちゃんになってから料理長になるんじゃ、人生の半分以上を損してます」
リリーは不平を言った。その様子はまるで小さい子供が駄々をこねているようにしか見えなかった。
「なにさ、あんたはあたしが白髪のおばあちゃんだとでも言いたいのかい?」
少し気分を害したようにシンガーさんが言う。
「いえ…違いますけど…」
リリーは語尾を小さくして言った。
「リリー、あんたはまだ17歳。まだまだ世界は小さいのね。まぁ、もう少し大きくなったら、もうちょい視線は広がるよ」
仲裁に入るようにデボラが言う。
「シンガーさんももっと優しくしてあげてくださいな。愚痴を聞くぐらい…」
「愚痴なら聞いてあげるけど、いじけたことは聞きたくないよ」
最後にシンガーさんが結んで、その場の雰囲気は再び和んだものになった。
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