はじめましての距離

薮坂

第1話「breakfast」


 毎朝のルーティンって、人それぞれで面白いよな。僕の場合は、勤めてる会社の近くに毎朝来るフードトラックで、さくっと朝メシを摂るってことだ。

 そこの店主は、見た目こそ髭面に年中サングラスって出で立ちで怪しさ満点だけど、ヤツの作るホットサンドだけは本当に絶品だ。


 ツナメルトって知ってる? ツナとマヨネーズ、そしてチェダーチーズが合わさったシンプルだけど奥深い一品。そこのは結構ボリュームもあって、コーヒー付きで4ドルジャストってのが財布にもありがたい。中東の片田舎なのにアメリカドルが使えるのも嬉しいし、早い話、そこのツナメルトは最高ってことだ。


 そんな訳で、僕は今日もそのフードトラックで朝食を買うことにした。ここの店主とはもう顔見知りで、僕の姿を見るといつもツナメルトと、エスプレッソをお湯で割ったアメリカーノを用意してくれる。

 だけどその日はちょっと違った。と言うのもちょうど、店主が別の客の相手をしていたからだ。

 店主のルーカスはその客に何かを話しながら、紙袋に入ったホットサンドを手渡している。その取引が終わる頃を見計らって、僕はルーカスに声をかけた。


「おはようルーカス、今日も良い朝だな」


「おぉレジー。確かに良い朝だ、おはようさん。こんな青空にはハムのピンク色がよく映える。そう思わねぇか? って訳で、今日はハムチーズなんてどうだ」


「あんたのハムチーズはもう懲り懲りだよ。いつものツナメルトを頼む。あとアメリカーノを」


「了解、って言ってやりたいところだが、生憎ツナメルトはさっきの客で売り切れだ。悪いな、レジー」


「売り切れだって?」


「おう、珍しいこともあるもんだよな。長いことここで商売やってるが、こんなことは珍しいぜ」


 ルーカスは大仰に肩を竦めて見せる。その姿を見れば、僕も同じようにするしかなかった。

 2人してそんなことをしていると、僕の前のその客が、つまりは僕のツナメルトを奪っていった客が、ゆっくりと近づいてくるなり「……あの、」と言った。

 控えめな小さい声。前髪をぱっつりと切りそろえたショートボブがよく似合う、それは若い女性のものだった。20歳そこそこくらい、だろうか。25歳を超えた僕よりは確実に年下だと思う。


「私がツナメルトを頼んだから、かな? だからあなたの分がなくなっちゃった?」


「いや良いんだよ嬢ちゃん。レジーは俺のハムチーズだって旨そうに食べてくれる珍しい客なんだ。あんたのせいじゃない」


「いつ僕がハムチーズを美味しそうに食べたんだよ、ルーカス。あんたのツナメルトは確かに絶品だけど、あの腐ったハムチーズは犬だって食べないぜ」


「腐りと言え、腐りと。肉は腐りかけが一番美味いんだ。でもまぁ確かに限度はある。だからあの時の失敗を糧に、今のハムチーズは新鮮なもので作ってるんだぜ?」


 まるであの時は新鮮じゃなかった、みたいな言い方だ。ルーカスのヤツ、適当な仕事しやがって。でもここで抗議しても意味はない。腐ったハムチーズ事件はもう半年前、すでに時効ってヤツだ。僕が黙っているのをいいことに、ルーカスはセリフを続ける。


「とにかくレジーのツナメルトはねぇ。明日は多めに作っとくから、今日はアメリカーノだけで我慢するか、諦めてハムチーズを食うか選びな。おっと忘れてた、新作のP3ピースリーならあるぜ?」


「P3?」


「パイナップル・パラダイス・パンチ。塩味の効いたプロシュート生ハムに、完熟のパイナップルがこれでもかってくらいに挟まってる。自分で言うのもなんだが、なかなかアバンギャルドな──」


「それじゃアメリカーノだけで。朝メシは別で用意するよ」


 ルーカスは残念そうに再び肩を竦めると、フードトラックに設置されたエスプレッソマシンを操作し始めた。

 コーヒーを細かくグラインドする音が響き、ふわりと良い香りが運ばれてくる。清々しい石鹸みたいな香り。

 ……石鹸? 横を見ると、さっきの女の子がまだ居た。あぁ、これはこの子の香りか。なんて清々しい香りだろう。その子が僕に問う。


「あの、ごめんね。いつもここで朝食を買ってるの?」


「まぁ、この辺にはこのトラックしか来ないからね」


「それじゃあなたの朝のルーティン、邪魔しちゃったよね。もし良かったらだけど、私がハムチーズにしようか。交換する?」


「いや、別にいいよ。大したルーティンじゃないし、それにここのハムチーズはオススメできないし。でもツナメルトは絶品だから、是非食べてみるといい」


「それならさ、シェアしない?」


「シェア?」


「あなたがハムチーズを買って、それを半分に切ってもらうの。そして私のツナメルトも半分にしてもらう。それなら私はどっちも食べられるでしょ? ここのトラック、私は初めてだから」


 彼女はそう言って、ふわりと笑った。他意はなさそうな純粋な笑顔。僕の周りはちょっとアタマのネジが外れたヤツばかりだから、その笑顔はとても新鮮に映る。それこそルーカスのハムチーズなんか目じゃないくらい新鮮に。

 正直、ツナメルトなんてどうでもよかった。僕は彼女ともう少し話がしたいと思ったのだ。だからその提案にすぐに乗る。それくらいに彼女の笑顔は、魅力的だったから。



       ◆◆◆



 近くのベンチに二人して腰掛ける。そしてルーカスに切り分けてもらった、ツナメルトとハムチーズをシェアした。半分になったハムチーズを受け取った彼女は、透き通るような声で言った。


「ありがとう、私はリベカ。最近この街に来たの。ステイツアメリカ出身だよ」


「こっちこそありがとう、僕はレジナルド。知り合いにはレジーって呼ばれてる。僕もステイツから来てて、今はこの近くで働いてる」


「よろしくね、レジー」


「こちらこそ、リベカ」


 はじめましての握手。リベカの手は女性にしては少しだけ大きくて、指はピアニストみたいに細くて長い。美しい手だ、と思う。

 ゆっくりと手が離れて、リベカはハムチーズを両手で持った。その左手の甲に、ボールペンかなにかで書かれてある文字を見つける。擦れて読めそうにないけれど。


「リベカ、左手に何か書いてる?」


「あぁこれ? 私、忘れっぽいから。だから忘れちゃダメなことは手に書くことにしてるんだ」


「それにしちゃ、ずいぶん擦れてるけど」


「これはもう終わったことだから、もう忘れても大丈夫。それよりさ、さっそく食べてもいいかな?」


 両手でホットサンドを持つリベカ。まるでナッツを持つリスみたい。その姿があまりにも可愛くて、僕はひとつ彼女に問うことにする。結構、重要な質問を。


「リベカってさ、好きなものは最後に食べるタイプ? それとも最初に食べる方?」


「両方食べなきゃいけない時は、好きな方を後に残す方かな」


「それならハムチーズから食べるといいよ」


「そんなに美味しくないの? このハムチーズ」


「あの時はきっと、ハムが腐ってたんだ。そうじゃないと説明がつかないほど、それはそれは独創的な味だったから」


「腐りだ、腐り! それに今使ってるのは新鮮なハモン・セラーノだぞ!」


 少し離れたトラックからルーカスの声が聞こえた。だけど無視だ、無視。今はルーカスに構っている場合じゃない。


「それじゃ、レジーの言う通りハムチーズから食べようかな」


 リベカはハムチーズに齧り付いた。途端に表情が綻ぶ。


「……美味しい! こんなハムチーズ、食べたことないよ!」


 ウソだと思いながら僕も食べてみる。口に入れた瞬間、迸るようなハムの旨みが飛び込んでくる。そしてそれがとろけたチーズとよく絡み合っていた。これは間違いなく美味い。

 確かに、随分前に食べたハムチーズとは別物だ。リベカは美味しいと連呼しながら、次はツナメルトに齧り付く。次は途端に目を丸くするリベカ。


「うわぁ、こっちも美味しい! ていうか、こっちのが圧倒的に美味しい!」


 綻んだリベカの表情に、思わず僕の口許も緩んでしまう。それほどまでに。リベカは可愛い女の子だった。




【続】


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