第18話 救出
「おい、てめえ、ガジールの兵だよな?」
ルーシャの首に足を置いている敵兵がそう問いかけてきた。
ルーシャは答えない。正確に言うと浅い呼吸を繰り返すことで精一杯だった。声を出す余裕などなかったのだ。
「何だ、てめえ?」
敵兵は足に力を更に込める。途端にルーシャの息が詰まり、必死に続けていた浅い呼吸でさえもできなくなってくる。
「お、おい、死んじまうぞ」
苦悶の表情で必死に身を捩り続けるルーシャを見て、他の敵兵がそう声をかけた。
「あ? どうせガジールの兵だろう。死んでも構わねえよ」
首の付け根を踏みつけている敵兵が更に足の力を込めたようだった。
ルーシャの視界は完全にぼやけて、赤や黄色の光が点滅し始めた。
駄目、死んじゃう……。
ルーシャがそう悟ったかのように心の中で呟いた時だった。
不意に首の圧迫がなくなる。ルーシャは上半身を横向きに捩って、激しく咳き込みながらも酸素をもとめて呼吸を繰り返す。顔全体が涙でべとべとだった。
「……そうだな。女だしな。他にやることがあるわな」
「お、おい、まだ子供だぜ?」
「うるせえ。ついてるもんは同じだろう?」
身を捩って激しく咳き込んでいたルーシャに敵兵の一人が覆い被さってきた。涙で濡れる視界の向こうに敵兵の下卑た顔を見たような気がする。
ルーシャは言葉にならない声を上げながら、手足を激しく動かした。
「てめえ、大人しくしろ!」
左頬に衝撃があった。加減もなく殴られたようだった。涙で濡れた視界が更に歪む。口の中では血の味がする。
ルーシャはそれでも両手両足を必死で動かした。
「てめえ、いい加減にしろ!」
今度は右頬を殴られたようだった。視界がぐるぐると回転し、手足に力が入らなくなる。鼓膜も甲高い悲鳴を上げていた。
大人しくなったルーシャを見て、覆い被さっていた敵兵は短刀を取り出すと、ルーシャが上半身に着ていた軍服を上から下まで一気に切り裂いた。
胸の上に鋭い痛みを感じた。刃物が少し肌に触れたのだろう。
ふざけるな!
ルーシャは心の中で叫ぶ。
こんな所でこいつら如きに好きにさせてたまるものか!
この時、ルーシャの中を駆け巡っていたものは恐怖や悲しみではなく、怒りそのものだった。
ふざけるな!
ルーシャは体内のマナを一点に集める。一点に集める。
もっと、もっとだ!
心の中で呟く。体内のマナをこのまま集め続ければ、やがては制御ができなくなるはずだった。
もっと、もっと。早く、早く!
体内の一点にマナか次々と集まってくるのを感じながら、ルーシャは心の中で再び呟く。
正常に戻りつつある視界に敵兵の下卑た笑いが映る。
ふざけるな! ふざけるな!
もっと。もっと早く。マナを!
その時だった。ルーシャを組み伏せながら下卑た笑みを見せていた敵兵の首から上が、ずるりと左に位置をずらすとそのまま下へと落ちてくる。落ちてきた敵兵の首から上が、ルーシャの胸の上で弾んで転がる。
何もなくなった敵兵の首から夥しい量の鮮血が噴き出して、下にいるルーシャの体を赤色に染め上げた。
視界の向こうでは片腕の兵士が必死の形相で長剣を握っていた。
「しょ、少尉? 少尉……」
そこでルーシャの意識がぷつんと途絶えた。
ルーシャが再び目を覚ました時、ルーシャの体は固いが清潔なベッドの上にあった。目を覚ましたルーシャに気がついて衛生兵のハンナがすぐに駆け寄ってきた。
「ここは……」
「ジルク補給基地よ。今では最前線基地でもあるけどね」
ハンナが優しい声音で言う。
ハンナの整った美しい顔を呆けたように見ていると、ルーシャの中でこれまでのことが次々と思い出されてくる。同時に恐怖や怒りの感情も湧き上がってきた。
「とにかく無事でよかったわ。胸の傷なら大丈夫よ。絶対に跡が残らないわよ。念入りに治癒魔法もかけたしね」
ハンナがそう言って少しだけ微笑んだ。
「あ、あの、私、あまり助けられた時のことを覚えてなくて……」
ルーシャはそう口にした。少しだけ声が掠れている。
「あなたを見つけた途端、ボルド少尉が無謀にも飛び込んで行ってね」
ハンナが呆れたような顔をしている。あの時に助けてくれた必死で、鬼のような形相をしていた片腕の人はやはり少尉だったのだとルーシャは思う。
「あっという間に二人を斬り伏せてね。後はジェロム軍曹なんかも駆けつけて、ルーシャを助けてくれたのよ」
ハンナの言葉にそうか、そうなのかとルーシャは思った。少尉だけじゃなくて皆に助けられたのかと。
「でも、最初にマナを感知してルーシャを見つけてくれたのはセシリアなのよ」
マナを感知……。
ルーシャは心の中で呟いた。
そうか。あの時、自分はマナを暴走させようとして……。
暴走させようとしてマナを集中させたことが結果として自身を見つけてもらうこととなったようだった。
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