第5話 幼馴染み

 負傷したボルドが病院に運び込まれてから一か月が経とうとしている。治癒魔法の効果もあって失われた左腕以外はほぼ完治したといってよかった。


 そろそろ病院を追い出される頃合いだろう。身の振り方を決めなければならないとボルドは考えていた。こんな腕では軍には戻れない。支給されるはずの傷病手当と退役手当とで慎ましく暮らしていくか。そんなことを考えているとボルドの前に意外な人物が現れた。


「ボルド・テオドール少尉、具合はどうだ?」


 魔族特有の赤い瞳をボルドに向けて、寝台の傍に立っていたのはガジール帝国幕僚本部に所属するカイネル大佐だった。およそ軍人とは思えない白皙の顔に濃い灰色の長髪を肩まで伸ばしている。

 歳もまだ二十七歳と若く、その出自も現ガジール帝国皇帝の一族に連なるものだった。


「カイネル大佐、これはまた意外ですね。お会いするのは半年ぶりですか」

「意外か。ふん、そうでもないだろう」


 カイネルは面白くなさそうに鼻を鳴らして言葉を続けた。


「負傷して病院の個室に入れられているんだ。何かしらの予感はあっただろう」


 カイネルはベッドの横にあった丸椅子に腰掛けた。カイネルが言う通りボルドが望んだ訳でもないのに、下士官でしかない自分が個室の病室に入れられているのは何かしらの事情が働いているのは予想していた。


「……まあ、そうですかね」


 ボルドはそう言いながら上半身をベッドの上で起こした。二の腕から先のない左腕が露わになった。


「その腕は残念だったな」

「いえ、命が助かっただけでもよかったですよ」

「ボルド少尉、お前は小さい頃からそうだった。妙に諦めがいい」

「そうでもないですよ。ただ、多くは望めない境遇だったので」


 ボルドのその言葉にカイネルは苦笑する。


「そして、臍も曲がっている」

「……大佐ほどではないと思いますがね。で、今日はどういったご用で。まさか旧知の間柄だからお見舞いに、ということではないのでしょう?」


 ボルドはそう言って黒色の瞳をカイネルに向けた。


「お前に相談があって来た」

「それは幼馴染みとしてですか。それとも軍務の一つとしてですか?」

「両方だ」


 ボルドはカイネルの表情から何かを読み取ろうとしたが、そこからは何の情報も読み取ることができなかった。ボルドは短い溜息を吐くとカイネルに言葉を促した。


「それで、相談とは?」

「我々ガジール帝国とイスダリア教国で大陸の覇を争う戦端が開かれてから既に三十年以上だ」

「そうですね。我々が生まれる遥か前から始まっている戦争です」


 今更、何を言い出すのだとボルドは思ったが取り敢えず相槌を打った。


「両国ともに決め手もないままで一進一退。互いに人的にも社会的にも疲弊の極みに達しているのが現状だ」


 それはそうだろうとボルドも思う。大した成果もないままに三十数年間も継続して戦争をしているのだ。


「戦況も好転しない今、帝国の上層部は和平に持ち込みたい考えだ」

「和平……」


 カイネルの不意な訪問も驚いたが、これはまた驚く言葉が出てきたとボルドは思う。


「ただし当然和平となれば、こちらに有利な条件で結ばなければならない」

「まあ、それはそうでしょうが……」


 ボルドは言い淀んだ。ボルドが負傷した戦いもそうだが、ここ一年ほどの間、ガジール帝国は劣勢を強いられていた。劣勢を強いられている理由としては、一年前に東西を結ぶ交通の要であった要塞都市グリビアが陥落したのが大きい。ここが陥落したことにより、東西への物資の移動が円滑に進まなくなってきたのだった。


 先ほどカイネルは両国の攻防が一進一退と言っていたが、実際はガジール帝国がイスダリア教国に押されつつあるというのが現状だった。和平の話ももしかするとこの辺りの状況から出てきたのかもしれないとボルドは感じていた。


「言い方や見方は色々あるかと思いますが、現在の戦況はあまりよくはないと私は思いますが……」


 ボルドが言葉を濁しながらそう言うと、カイネルは面白くなさそうな顔で頷いた。


「ここだけの話だが、確かに今はボルドが言うように今は我々が劣勢だ。グリビアが落ちたことで東西が分断されつつある。なので、まずはグリビアの奪還。そしてイスダリア教国の主要都市の奪取。これらは和平交渉に必須だ」

「それは中々厳しそうな話ですね。ま、私にはもう関係のない話ですよ。こんな体では戦場に立てないですからね」

「そう慌てるな、ボルド。ここからが相談の本題だ」


 階級を付けずにカイネルはボルドをそう呼んだ。単純に懐かしいなとボルドは思う。思えば四歳違いのこの幼馴染みと幼い頃はなんの忖度もなく遊べたのだ。そこには身分などの立場の差は何もなかった。


 ボルドがガジール帝国屈指の名家である大貴族の子供であること。そのような大貴族の家に生まれたものの、ボルドの母親が魔族ではなく人族であったこと。カイネルが皇帝の一族に連なる家の者であること。それらのことは一切関係がなかった。


 それが今では立場と身分に見上げられない程の差を意識しなければ相対することができない。少尉と大佐。魔族と人族の血を引く二等国民と純粋な魔族の証である一等国民。

 通常であればボルドが平伏しなければならない立場と身分の差だった。ボルドはそこまで考えると口の中に苦い味が広がるのを感じて思考を押し止めた。

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