第3話 人族とマナの暴走

 翌日、珍しく村長がルーシャの家に姿を見せていた。村長は重苦しい顔をしていて部屋に入るとすぐにルーシャと母親に話があるからと言って、妹と弟は部屋から出て行くように命じた。


「どうしたんですか、村長。そんなに怖い顔をして?」


 不穏な何かを感じ取ったのか母親が不安気にそう訊いた。母親の隣に座るルーシャにしても、村長の顔を見る限りではよい話ではないことが感じられていた。


「いや、それよりどうかね。 ご主人、シエトロの具合は?」

「ありがとうございます。ここのところは随分と気分もよいようです」

「そうか、それはよかった」


 村長はうんうんと何度も頷く。だが、重苦しい顔が和らぐことはなかった。


「村ではどこの家でも毎日の食事に事欠く有様だ。薬を買うこともままならないのだろう?」


 母親は村長の言葉に無言で頷いた。ルーシャはそんなことは訊くまでもないと村長に軽い憤りを覚える。


「いいかい、これから話すことは強制じゃない。嫌なら断っていい話なんだ」


 村長がそんな言い方で回りくどく念を押す。ルーシャと母親は無言で頷いた。


「昨日、帝都から役人が来てな。男女を問わず十七歳までの者を志願兵として差し出すように言ってきた」


 男女を問わず? 

 十七歳まで?

 志願兵? 

 意味が分からず、ルーシャは頭の中でその言葉を繰り返した。


「村長、どういうことなのでしょうか。十七歳までとは……子供を差し出せということなのでしょうか?」


 母親が疑問を口にする。その顔は僅かに青ざめていた。


「十七歳までといっても乳幼児は除かれる。だから実質十二、三歳から十七歳までの男女になるな」

「それでもまだ子供には違いがありません。そんな子供を志願兵って……子供を戦争に行かせるって言うんですか!」

「アンジュリー、どうか落ち着いてくれ。これは強制じゃない。嫌だったら断るだけの話なんだ」

「でも。どうしてそんな子供を……」


 母親はそこまで言って何かを悟ったようだった。


「まさか、マナの暴走を……」


 村長は重苦しい顔つきをしながら黙って頷いた。


「戦況はかなり逼迫しているようだ。それを覆すため、魔族の連中は我々人族の特性に目をつけた」

「そんな……我が子に死んで来いとでも私に言わせるつもりですか!」

「アンジュリー、頼む。落ち着いてくれ。強制じゃないんだ。私だってこの馬鹿げた話には怒りを覚えている。我々人族は兵器じゃないんだからな」


 マナの暴走。それは人族だけにある特性だった。魔力の源にもなる人体活力のマナ。人族は十八、九歳頃になるまでその制御が比較的不安定だった。


 制御を違えてマナを放出しようとすると、マナが一気に放出されて大爆発を起こす。その威力は家の数十件など跡形もなくなるほどに強力なものだった。

 数十年に一度ぐらいの話だが、マナの暴走で村が半壊するところもあるほどだった。


「村長、私は絶対に断りますよ。ルーシャを志願兵などに差し出したりはしません!」

「ああ、分かっている。ただ話は最後まで聞いてくれ。私も村長である以上は伝える必要があるのだ」


 村長は苦しげにそう言った。


「志願兵として戦地に行ってくれるのであれば、その家族を金銭的に手厚く補償すると。その功績によっては残された家族の等級を上げて二等国民にするとの話もある。またその村自体にも恩恵を与えるとのことだ」

「もう止めてください!」


 母親が鋭く叫んだ。


「子供を犠牲にして手に入れるお金の話など聞きたくありません!」

「ああ、そうだな、アンジュリー。私もその通りだと思う。子供を犠牲にして戦争に勝ったところで何になる。子供を犠牲にして得た恩恵など何の意味がある? さあ、これで村長としての役目は終わりだ。ルーシャ、妹や弟を呼んでくれ。たまには私も遊んでやらないとな」


 村長はそう言って肩の荷を降ろしたような顔でルーシャに笑いかけたのだった。





 村長が帰った後、ルーシャは一人で村の裏山にある大木へと足を向けた。子供の頃によく登った大木だった。あの頃は父親もまだ元気で、生活もここまで苦しくなかったはずだったとルーシャは思う。


 ルーシャは一番下の幹に飛びつくとそのまま木を登っていき、木の中ほどにある比較的太い幹の上に座った。この幹に座ると村全体を見渡すことができるのだ。


 数年振りにそこから見る景色だったが、その景色は以前と何ら変わりはなかった。そんな変わりのない景色を見ると何故か少しだけルーシャは安堵した。



 このまま戦争が続くとどうなるのだろうかと思った。この戦争に負けてしまったらどうなるのだろうかとルーシャは思った。

 病に苦しむ父親。日々の生活で疲れ切っている母親。いつもお腹を空かしている弟。それも含めて沢山の我慢をしている妹。彼らの顔が次々に浮かんでくる。


 一等国民を自称する魔族が勝手に始めた戦争で自分の家族が、人族の皆がなんでこんなに苦しむ必要があるのだろうか。そう考えると悔しくて涙が出てくる。

 

 戦争は怖い。人が死ぬのなんて見たくもないし、自分が死ぬのだって怖い。でも、自分が犠牲になるのであれば、そんな辛い現実が好転するかもしれないのだった。


 薬を買えて父親の病気を治すことができるかもしれない。父親が働けるようになれば母親だって楽になるはずだ。妹や弟たちにも毎日、お腹いっぱい食べさせてあげられる。そうすればきっとまた家族に昔のような笑顔が戻るのだ。


 でも、きっと父親も母親も反対するだろう。きっともの凄く怒られるだろう。そんなことは当たり前だ。その時の父親や母親の姿を想像するだけでまた涙が浮かんでくる。


 でも、とルーシャは思う。そしてルーシャはその黒い瞳から溢れてくる涙を片手で乱暴に拭うのだった。

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