本田が意見を言い出した時点で、なんとなく嫌な予感がしていたのだが、それが見事に的中してしまった。あろうことか、自分が疑われてしまうなどとは思っていなかった安藤は、思わず自分を指差して「僕が?」と声を上げてしまった。自分でも笑ってしまうほど、素っ頓狂な声だった。


「あぁ、そうだよ。クラスメイトの中で全員の牛乳に触れるチャンスがあったのは昼安藤だけだ。きっとよ、昼安藤は特に恨みのあるやつに対して、毒入りの牛乳を配ったんだ! なぁ、みんなもそう思うだろ?」


 スクールカーストの中では絶対的な発言力を持つ本田の一言は、本田がヤンキーで自己中心的であることもあり、影響力がかなり強い。でも、本田の迷推理には決定的な前提が抜け落ちているから、反論しなければならない。そうこうしているうちに、安藤自らではなく、別のところから声が上がった。


「本田君、それはおかしいと思う!」


 力強く手を挙げたのは――芽衣だった。普段は教室の隅っこで、誰とも関わらずに本を読んでいるばかりの彼女。だからこそ、積極的に発言する姿にどうしても違和感を覚えてしまう。


「は、はい。大槻さん!」


 ワンテンポ遅れて小宮山が芽衣に発言権を与える。司会進行を任されたわけであるが、わざわざ発言者を割り振るようなことはせずとも、恐らくホームルームは展開されると思われる。


 黒板には、書記の友華がわざわざ【安藤君が犯人?】なんてことを書いてくれている。確かにアベンジャーと呼ぶより、犯人と呼んだほうがいいだろう。それに復讐ではなく事件と置き換えたほうが、話をしやすくなる。後で提案しても良いのかもしれない。


「確かに本田君の言う通り、みんなの牛乳に触れることができたのは安藤君だけなのかもしれない。でも、安藤君が牛乳を配ることになったのは姫乙からの指名があったからよ。もし仮に安藤君がアベンジャー……いいえ、犯人だったとしても、姫乙に指名されなかったら牛乳に触れることさえできなかったはず。だから、牛乳を配ったという事実だけで、彼を犯人だと決め付けることはできないわ」


 安藤の気持ちを完璧なまでに代弁してくれる芽衣。しかも、さり気なくアベンジャーのことを犯人と言い直したのは、きっと安藤と同じようなことを考えていたからなのであろう。ますます彼女に親近感が湧いた。


「でもよ、それすらも姫乙と犯人が事前に打ち合わせていたかもしれねぇだろ?」


 芽衣の意見では納得できないのか、それともどうしても安藤を犯人にしたいのか、本田は反論する。ただ、アベンジャーのことを犯人と呼ぶことに関しては賛成のようだ。


「一馬、残念だけど根本的な前提がある以上、昼安藤を犯人だと決め付けることはできないと思うぜ」


 そこで声を上げたのは、本田の親友である秀才。坂崎だった。本田と一緒に野球の真似事をしていた頃が懐かしく思えてしまうのは安藤だけなのだろうか。あの時は大いに笑われてしまったが、それでも構わないから、あの頃に戻りたい。


「あぁ?」


「一馬、資料をよく読んでみろよ。牛乳のどれに毒が混入されていたのかは、犯人ですら知らなかったんだ。だから、みんなの牛乳に手を触れるチャンスが昼安藤にあったとしても、意図的に狙った相手に毒の入った牛乳を渡すのは不可能なんだよ。犯人だって毒がどれに混入されているかは知らないんだからさ」


 さすがは本田の親友である。誰もが彼に対して萎縮してしまいがちであるが、坂崎だけは実に軽々しく意見できる。そして、その意見もまた――筋が通っていた。


「でもよ、じゃあ誰が7人を殺したんだ? 狙って牛乳を渡すことができたのは昼安藤だけだろ?」


 坂崎の説明を聞いても、本田はまだ納得できないようだった。どうしても安藤を犯人にしたいらしい。それならばそれで、安藤は自分の容疑を晴らすだけだ。そのためには考えなければならない。


 ――犯人ですら、牛乳のどれに毒が混入されていたのかを知らなかった。それどころか、全員の牛乳に手を触れることができたのは安藤だけであり、他の人間は自分に配られた牛乳にしか触れることができなかった。ならば、どうやって犯人は7人に毒を飲ませたのか。根本的な発想が違うことに、安藤は気付いていた。


「そもそも、犯人は狙って7人に毒の入った牛乳を渡したんだろうか? 毒の入っておる牛乳のパックが判別できない以上、特定の人物を狙うなんて不可能だろうて」


 やや古風な言い回しのハスキーボイスは、体育会系の熱血漢である根津だった。それに続いて口を開いたからなのか、芽衣の声が妙に細くて、透き通っているかのように聞こえた。


「無差別――だと思う。誰か特定の相手を狙うことは、どう考えたって無理。犯人にだけ、毒入りの牛乳パックを判別できたっていうなら話は変わってくるけど、そうじゃない以上、7人は狙って殺害されたというよりも、たまたま運悪く毒入りの牛乳パックを受け取ってしまったがゆえに、亡くなってしまったと考えたほうがいい」


 なんだか、たまたま毒入りの牛乳パックを渡してしまった自分に非があるように思えてしまう。そのような意図がなかったことは神に誓えるが、しかしなんだか罪悪感のようなものがあった。なんにせよ、事件は無差別的に行われたと考えるほうが、発想としては正しいだろう。


「あの……ちょっと気付いちゃったんだけど、いいかな?」


 そう言って、手を挙げたのは委員長の小宮山だった。進行役であるがゆえに、意見を言ってはならないというルールはない。委員長という立場であるがゆえに、積極的にホームルームに関わろうという姿勢が見てとれた。クラスのリーダーという自覚があるのだろう。安藤には真似できないことだ。


「ど、どうぞ――」


 進行役の小宮山が手を挙げたものだから、自分がフォローに入らねばならないと察したのであろう。友華がチョークを手にしたまま小宮山に振る。


「牛乳パックには一定数の確率で毒が混入されていて、どれに毒が入っているのかは、犯人にも知り得なかった。となると、犯人自身が毒の入った牛乳パックに当たってしまうという可能性も充分にあったと思うんだ。それって、犯人からすれば、かなりリスキーなことにならないかな?」


 毒が混入された牛乳は、姫乙からのご指名で安藤が配った。もちろん、安藤はこの事件の犯人ではない。否定する確たる材料は持ち合わせていないものの、人は自分には嘘がつけないようになっている。自分が犯人ではないという事実は、世界中の誰よりも自分が知っていた。


 ――毒がどの牛乳パックに混入されているかは、犯人でさえ知り得なかったことであり、すなわち安藤が犯人に手渡した牛乳が、毒入りだったなんてことも充分にあり得る。下手をすれば、犯人自身が犠牲者になっていたということだ。


 確率論だけで考えれば、用意された25パックのうち、毒が混入されていたのは7パック。単純に考えて、毒入りの牛乳パックが自分の手元にやってくる可能性はおおよそで28パーセント。すなわち4分の1より少し高い確率で毒入りが当たってしまう。逆に言ってしまえば、普通の牛乳パックが手元にやってくる可能性は72パーセント。4分の3とまではいかないが、かなりの確率で普通の牛乳が手元に回ってくることになる。


「でもさ、比率だけで見れば毒入りの牛乳パックを引き当てるほうが難しいんじゃないかな? 確率論に頼って、一か八かで牛乳を飲んだ可能性もあるよね?」

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