独り言

蒼井アリス

#001: 「ありがとう」のこと

 もう随分昔のことだが、母が亡くなった。

 がん闘病の後、亡くなった。突然死とか事故死ではなかったので闘病中からそれなりに覚悟はしていたが、実際に「親の死」を突きつけられると「戸惑い」、「怒り」、「不安」、「後悔」、「嫌悪」などの負の感情が一度に押し寄せてきて、感情の荒波に揉まれ揺れるボートに乗っているようだった。

 私は母の最期に立ち会うことができなかった。当時私は海外に住んでいたので、母の体調が悪化したとの連絡を受けてもすぐに会いに帰ることができなかった。事実、息を引き取ったとの連絡は海外で受けた。抱えていた仕事を前倒しで納品して、すぐさま飛行機のチケットを手配して帰国したが葬儀には間に合わなかった。葬儀に参列できないなんて親不孝にも程があると悔やんだが、この事実はどうあがいても変えることはできない。私が一生背負っていかなければならない事実なのである。

 葬儀に参列できなかったこと以外にも後悔していることがある。それは「ありがとう」をもっとたくさん伝えておけば良かったということ。「ごめん」より「ありがとう」の気持ちを届けておけば良かった。「ごめん」は相手の許しを請うと同時に自分の胸のつかえを取り除いて楽になるという自分本位の目的もある。相手の許しを得られていなくても「ごめん」と口にした瞬間に事象が収束して過去になったと錯覚する。相手にとってはまったく過去になっていない可能性があることには目を瞑って自分だけ先に進もうとする。先に進むことは悪いことではないが、相手を置き去りにして進む場合は後に人間関係をこじらせる危険が潜んでいることを忘れてはいけない。

 一方、「ありがとう」は相手に真意が届いても届かなくても人間関係を悪化させる火種になる可能性は低い。要するに害がなくポジティブな効果を期待できる言葉だ。

 自分の心に感謝の気持ちが芽生えたらできるだけ早く相手に「ありがとう」を届けよう。

 だから私は母に「親不孝な娘でごめんなさい」ではなく、

「いつも応援してくれてありがとう」

「意見が合わなくても最後まで私の話を聞いてくれてありがとう」

「愛してくれてありがとう」

 を届けよう。

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