ある人はただ会いたいと言った
先週父が89歳で他界した。
父はこの一年の間毎日のように母に会いたいと訴えていた。
何度も何度も
会いたい
話がしたい
触れたい
そう言って泣いていたのだ。
だけど、母に会わせることはできなかった。
なぜなら、母は施設にいたからだ。
いまはコロナという感染症が影響で老人施設も障害者施設も面会禁止となっている。唯一許されているのはオンラインというタブレットやスマートフォンでも面会だった。
何度かオンラインで父と母をあわせてあげたのだが、なにせ父も母も高齢だ。
そんなデジタルとは無縁の生活をしてした。
ゆえにどちらも面会した感覚がなく、父も母も「写真」と勘違いしてしまっていた。
お互い笑ってはいたが、どこか寂しそうだった。
オンライン面会を終えても満足しない父。
あんなに母のことを愛しているのだ。
触れることができないことをどれほど寂しいものなのかが痛いほどわかる。
「お母さん。どうにかおじいちゃんとおばあちゃんを会わせる方法ないのかなあ?」
オンラインに立ち会っていた介護の仕事をしている娘がボソッと言った。
娘のほうが「面会できない」状態を何度も目の当たりにしているためか、私よりも真剣に考えているようだった。
なんとか直接会わせてあげたい。
でもそれは許されない。
テレビ画面では増加する感染者。
にも関わらず、外を出歩く若者たち。
それを見るたびにあなたたちが出歩くから、こっちは会いたいひとに会えなくなるんだよと恨めしい気持ちにもなった。
彼らは会いたい人にあっている。
それなのに施設に入っているというだけで会えない人たちがいる。
なんて不公平なのだろうか。
感染者は怖い。
それよりも人とひとのつながりが閉ざされてしまうことのほうがもっと辛い。
「会わせてあげましょう」
父が施設で暮らす母親と直接面会がかなったのは父が亡くなる前日のこと。
主治医の先生が最期だということで会わせてくれたのだ。
最期
どうにか意識が保っていた父はようやく会えたら愛する人に触れようと手を伸ばした。
けれど、届かない。
もう手をあげる力も残っていなかったのだ。
「じいちゃん。ばあちゃんはここにいるよ」
娘は母の手を父の手に触れさせてあげている。
それは感染リスクが高いからいけないことかもしれない。だけど、それよりも父が後悔しながら死ぬことをさけたいという気持ちが大きかった。
それを見ていた先生や看護師は黙認してくれた。
やがて面会が終わった。
たった十分の
一年ぶりの面会であり
最期の面会。
その翌日、父は旅だった。
その寝顔は安らかだった。
心残りなく逝ってくれただろうと私は思う。
そういえば、これは余談だが、近所にいたおばあちゃん。
たしか、おじいちゃんが施設に入っていたのだが、結局会えないままでおじいちゃんが他界したらしい。
それゆえにおばあちゃんは「会いたい」を繰り返すようになり、あらゆるところをさ迷い歩くようになったそうだ。
最近みないなあと思っていたら、どうも母と同じ施設に入ったようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます