アイドルが城下町のコーヒーの香りに惑わされる事情
あたしと愛花ちゃんは小田原城の堀のすぐ近くにある小さな喫茶店に入った。平日の夕方の時間帯で、人は疎ら。この店なら人気アイドルが入店したところで混乱も起きないだろうって、店長には申し訳ないと思いつつ、値段など考慮せずお店の一番のオススメのブレンドコーヒーを二つ頼んだんだ。
駅から真っ直ぐ小田原城天守閣へ向かおうとすると、小さな商店街を抜けた後すぐに山道を登ることになるけど、正規ルートは本来そっちではなく、お堀端通りと呼ばれる中心街の近くの道を正解としているらしい。とはいえそっちの方が明らかに距離があるし、観光客のほとんどは目の前に見える天守閣だけを目指して歩いて行っちゃうんだけどね。でもたまには小田原城の堀を巡るのも一興だと思うんだけどな。そもそもあんな風情のないコンクリートで作られた天守閣なんて……いえ、なんでもないです。
ま、あの天守閣ができる前は石垣の上で観覧車が回っていたらしいし、それよりはさすがに文句も言えないよね。
「それで、愛花ちゃんは二人を傷つけてたんじゃないかって?」
「うん。わたしが御咲と悠斗を……」
「別にそんなの、二人のことなんてどうだっていいじゃん!」
「って、全然よくないよぉ〜……」
今日は端から泣き顔の愛花ちゃんだけど、これがやはりどうにも可愛い。さっきまでぐしゃんとするほど目がとろとろしていて、その顔をそこら辺に落ちてる小枝で思わずつんつんしたくなってしまう。その代わりに少しだけ挑発すると、すぐに困ったような怒ったような紅い顔へと変わってしまうんだ。喜怒哀楽が目まぐるしく変わっていき、こういう女の子が本物のアイドルなんだなって、あたしも思い知らされたりして。
「だって、愛花ちゃんは愛花ちゃんでしょ? 二人のこと気にする必要なんてなくない?」
「そんなことないもん。悠斗と御咲はわたしの大切な友達だもん!」
「だったら尚更じゃないかな? 大切なら二人をもっと信用してあげなくちゃ」
あ、こいつなんか言ってる。……こいつというのは愛花ちゃんのことじゃなくて、もちろんあたしのことを指している。あたしは柄でもなく、全然そんなこと言える立場じゃないはずだけどな。
「二人のことを信用しているからこそ、放っておけばってこと?」
「あたしはそう思う。その程度で壊れることのない友情と言えるなら尚更ね」
……もっともあたしはそんな友情を壊してばかりだったけど。
「でもわたしが二人の側にいると、それだけで二人が気まずくなるような気がして」
「だったら愛花ちゃんはどうしたいのよ?」
「わたしは……」
何も答えを導き出せないのか。それであるならこうは考えられない?
「もし愛花ちゃんが二人の本当の望み通りにしたいなら、愛花ちゃんはこの世から消えるのが正解だと思うよ」
もしこの世界があたしの小説の中であったなら、創造主であるあたしはそのようにお話を導くかもしれない。
「……って、ちょっと怖いこと言わないでよ!??」
「でも間違ったことは言ってないはずだよ。そうすれば二人は間違えなくハッピーエンドで結ばれる」
「本当に、そうなの……かな?」
「だって、月岡君にとっての愛花ちゃんを『過去』にしてしまったのは、愛花ちゃんの方なんでしょ? そしたら残されるのは月岡君と御咲ちゃんだけであって、そこに愛花ちゃんの居場所はどこにもなくない?」
「そうだけど……」
そう。こうやって愛花ちゃんを崖の淵まで追い詰めて、最後は両手でえいっと突き落とす。おそらく警察は愛花ちゃんの自殺だと断定し、あたしは罪に問われることはないだろう。完全犯罪の完成だ。
もっともそれはあたしの書く推理小説の中でのこと。ついさっきだってヤスミに頭の中で人を殺してばかりだって、そう指摘されたばかりなのにね。
「だったら愛花ちゃん自身はどうしたいのかな?」
「わたしは……」
あたしは笑いながらそんなことを聞いていた。これは紛れもなく作り笑い。何馬鹿なこと言ってるんだろうって、自分でも頭がおかしくなったんじゃないかって自覚してるつもりだ。そんなあたしのことを尻目に、愛花ちゃんはその場で俯くと、そっと真面目にこんなことを呟き始めるんだ。
「わたしはみんなと幸せになりたかっただけだもん……」
その声はやっと聞き取れるかであったけど、ただし愛花ちゃんの涙混じりの瞳は本当にきらきら輝いていた。美しく、次の言葉を失う程度には。
「御咲と、悠斗と……二人と仲良くしたいだけだもん……」
「…………」
「そしてもちろん、夏乃ちゃんとも」
「……ん? あたし???」
さっきまで御咲ちゃんと悠斗の話だけだと思っていたのに、唐突にあたしの名前が出てきて、思わず声を上げてしまったんだ。ずっとあたしのペースで会話を進めていたはずなのに、急に調子が狂ってしまう。
「わたし、夏乃ちゃんとももっと仲良くなりたい!」
「別にあたしなんかは……」
てか今日は御咲ちゃんと悠斗の話じゃなかったのか? という以前に、つい直前まであたしは愛花ちゃんを殺めようとしていたはずなのに、それでもこんなことを言ってくる愛花ちゃんは、本当に馬鹿でお調子者で無神経で……。
「だって、三人で『Green eyes monsters』を盛り上げていかなくちゃ」
「あ〜うんうん。そうだよねぇ〜……」
と、およそリーダーらしからぬ、素の返答を返してしまう。
素の返答? 本当にそうなんだっけ? あたし自身どうしていきたいかなんて実は何もわかっていないわけだから、戸惑いこそあるものの、だけどこう愛花ちゃんに真正直に面と向かって言われてしまうと、少しだけ苛立ちを感じたのも事実だった。
「いやだからさ、二人をもっと信用して、愛花ちゃんは愛花ちゃんで自分のやりたいようにすれば、それでいいんじゃないかな?」
だから強引にあたしのペースに引き戻そうとする。
……とはいえさすがにこれは強引すぎ。
「そっか。……そうだよね」
「うんそうだよ。その通りだよ。だから頑張って!」
「うん。わたし、もうちょっと頑張ってみる!!」
ところで何がその通りなのだろう。自分で言っておきながら、それが何であるのかもちろんさっぱりわかっていなかった。相手が御咲ちゃんでなくて本当に良かったというのが正直なところ。もし仮に今目の前にいるのが御咲ちゃんだったら、あたしの適当な嘘など、すぐに看破されてしまったかもしれない。
それでも愛花ちゃんはやはり笑顔に戻った。果たしてあたしのこんな嘘の言葉ばかりで、本当に何かを掴めたのだろうか。それを知るのは愛花ちゃんのみのはずなんだけど……まぁでもこれが愛花ちゃんの良さなのかもしれないし、それはそれでもいいような気がしてきたんだ。
ここの喫茶店のコーヒーの味は少しビターの効いた味がした。
あたしはその苦味に惑わされ、最後まで愛花ちゃんを殺めそこねたんだ。
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