きしめんが冷たくなってしまう事情

「あのドラマの原作、やっぱり悠斗が書いた小説だったんだ……」


 愛花に、気づかれてしまった。気づいてほしくなかった事実。俺が筆名を変えてまで、隠しておきたかった真実。なぜならそのラノベは、御咲と愛花がモデルとなっていたから。

 どうして今なのだろう。だけど不思議と夏乃を責める気にはならなかった。いつしか来るであろうこの日のことを、これまで俺はずっと逃げ続けていただけだったからだ。


「ねぇ。ひょっとしてそれを知らなかったのって、わたしだけなの?」

「…………」


 だが俺はやはり黙って逃げようとする。本当に卑怯者だ。


「そんなの、悠斗を責めるのは筋違いよ」

「え……?」


 何も答えない俺の代わりに答えたのは、御咲だった。


「だってあのラノベ、私は読んですぐに気づいたもの。『ああ、このラノベはどこかの超浮気男が書いたラノベだ』って」

「…………」


 紛れもなく俺のことだ。どうやら御咲は俺をフォローするつもりで話しているわけでは全くないらしい。


「まぁあたしだってすぐに気づいちゃったしねぇ。元々天才作家くんの小説は大好きだったけど、まさか同じ文体で別の筆名使ってラノベ書いてるとは思わなかったけどさ」


 そして夏乃はありのままの事実を伝えてきているだけだ。そこには否定もフォローも、何一つ含まれていない。スクラップにもならないような真実を、ただ口にしているだけ。


「だからどっちかというと、愛花ちゃんが知らなかっただけというより、気づかなかっただけってのが正解なんじゃないの?」

「だったらさ……」


 夏乃の言葉に対し、愛花は反論を試みようとする。


「だったら、なんでわたしに何も言ってくれなかったの?」


 だけどその反論は俺ら三人にはあまりにも弱すぎた。なぜならそんなの今更で……


「わたしだけ何も気づかないで、一人ではしゃいで、そのせいでずっと御咲を傷つけてて、だけど悠斗も何も言ってくれなくて……」


 ただしそんなことはさすがに愛花も自覚していたようだ。俺や御咲を責めているわけではなく、その矛先は愛花自身に向いている。


「ええ。少なくとも私は傷ついてたわ」

「御咲……?」


 そこへ御咲は追い討ちを……


「もっともそんなの、愛花に傷つけられてたわけじゃない。ここにいる超浮気男をずっと恨んでた。何も知らない愛花には一切関係のないことね」

「お、おい……」


 ……愛花へ追い討ちをかけていたわけではなく、矛先はむしろ俺に対してだった。蛇のような冷たい視線と共に、やり場のない怒りは俺に向けられていた。


「でもそうね、強いて言うならそのメインヒロイン役を愛花に取られた自分自身に腹が立ったわ。もちろんそんなメインヒロインを生み出したどこぞの無名ラノベ作家も許せないけど、それ以上に私のために作られた役を掴み取れなかった自分自身を恨み続けているのも事実ね」

「…………」


 御咲は俺をフォローする気は皆無のようだ。無理もない。俺は御咲を傷つけてばかりなのだから。


「そっか……そうなんだよね。このわたしの役は、元々御咲で……」

「私の役は、元々愛花だったってことよ」


 愛花と御咲がその完全に入れ替わってしまった互いの役柄について確認する。本当にどうしてこうなってしまったのだろう。愛花の演じる主役のモデルは御咲で、御咲が演じるライバル役のモデルは愛花だということ。それについては俺に非はない気がする。強いて非を述べるなら、俺がそんなラノベを書いてしまったこと自体だ。


「だから私は許せなかった。こんなラノベを書いた悠斗のことが」

「え……?」


 そして御咲は、話の本丸に突入しようとしてくる。


「なんでこのラノベのメインヒロインが、悠斗の愛しの愛花じゃなくて、私だったのかってことよ!!」


 ……そう、御咲が前にも口にしたその件だ。俺が書いたのは、愛花を中心にしたストーリーではなく、その話の中心にいたのが御咲であったということ。


「あ〜、それはあたしも前から気になってた。御咲ちゃんと天才作家くんが実は恋人関係じゃないってことは最初から気づいていたけど、だとしたらなんで御咲ちゃんが主人公だったんだろって」

「…………」


 そして鼻から誰もフォローする気のないらしい夏乃が追い討ちをかけてくる。

 ……いやちょっと待てよ。この状況って一体どういう状況だ???


「悠斗……」

「……なんだ?」


 愛花は弱々しい声を俺にかけてきた。その声に振り向くと、愛花の瞳は完全に真っ黒になっていて、その顔に表情らしきものは何一つ描かれていない。


「今、御咲が言ったことって、全部ほんとなの?」


 ……俺は、女優の本当の恐ろしさというやつを、今日初めて知ったんだ。

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