登校中のアイドルに声を掛けられる事情
翌日の朝、俺は学校へ向かうモノレールのホームの上で、聞き覚えのある爽やかな声に呼び止められた。背後には明るい朝日が照り輝く声の方へ振り向くと、御咲が両手でスクールバッグをぎゅっと握りしめ、澄ました顔で俺をじっと見ていたんだ。
「なによ。あの約束というのは登下校中も一緒に歩いちゃいけないとか、そういう類のものだったかしら?」
「別に、そういうわけではないが……」
俺に話しかけてくる時、御咲は常に俺との約束のことを気にしていた。高校へ入学してからいつもそう。互いにその件は意識しすぎないよう注意しているはずなのだが、どちらかがそれを口に出してしまう。時間を巻き戻すことなどできずに、クリアな壁が俺と御咲の間を完全に隔てていたんだ。
「…………」
「別にいいよ。これまで通りで」
やや緊張した面持ちに、俺は優しく残酷な言葉を投げかけた。御咲にとって、これで何かが解決するわけでもない。ただし、これ以上冷たい関係は俺だって望んじゃいないんだ。
「ふん。まるで私だけが被害者みたいに思われるの、釈然としないわ」
「そうか……?」
「ええそうよ。悠斗だって思い通りになってないのは、私と一緒じゃない」
そして御咲のプライドが、さらに俺と御咲の関係性を微妙な色へと変えていく。ただ確かに御咲の言う通りでもあって、俺の方も救われたことは一度たりともないのは事実だった。
スマホがぶるぶる震えてることに気づいたのは、その時だった。俺は鞄から手を震わせながら、スマホをなんとか取り出す。痛々しいほどに震え続けるスマホの画面を確認すると、思わず深い溜息を溢してしまっていた。
「出ないの? ……まさか私の知らない女からかしら?」
「そ、そんなんじゃねぇって」
確かにそこに書かれていた名前は女性の名前で、しかもそいつは俺らと同じ学年の女子高生だ。ただし御咲もよく知る女子でもある。御咲が知らないことと言えば、俺とそいつの関係性くらいなものだろう。と言っても、そもそも俺とそいつとの関係って一体なんなのか、今でもよくわからないわけだが。
『おはよ〜、天才高校生作家くん! 元気してる〜?』
「いや。今日はそれほどでも」
たとえその場所が駅のホームだろうと、こいつの声は本当によく響く。朝から耳が痛くなる程度の大音量のボリュームが、不意に襲いかかってきた。
『どうせまた朝から御咲ちゃんとイチャイチャしてたんでしょ? それでも元気がないとか、君って相当ワガママだよね〜』
「そんなわけあるか。みさ…………あいつと一緒にいたとしても、そんな雰囲気になったりすることは一度だってねぇよ」
『あれ。本当に御咲ちゃんと一緒にいたんだ?』
「…………」
俺の声が急に小さくなった理由を、夏乃は天性の勘で見抜いてしまったようだ。俺は同時に御咲の顔を確認しながら、そのやり場のない話の行き先を考えていた。なお御咲は俺を見て見ないふりをしている。いつも通り学校へ通うため、一人でモノレールを待つ女子高生を演じているかのようだ。
『ま、いいや。そしたら手短に確認するね。土曜日のライブ、どうだった?』
「ってお前、それ確認するためだけに朝から電話を……?」
『だって君、あれから一度もあたしに電話してこなかったじゃん!』
「ああ。それ以前にこれまでも一度も電話かけたことないけどな」
『そうそう。君ってほんと冷たいよね〜。だから御咲ちゃんと喧嘩するんだよ?』
「それとこれとは関係ないだろ!」
『で、どうだった? 土曜日の、あたしのライブ』
夏乃は少しだけ言い換えて、主語を自分にしていた。そんなの芸能界に疎い俺なんかじゃなくて、別の誰かに確認すればいいのに……。
「よかったよ。お前の声が一番通ってて」
だけどそれは事実だ。三人の中で歌に一番勢いがあったのは、紛れもなく夏乃だった。
『ふふっ、ありがとう。じゃあ、御咲ちゃんとちゃんと仲直りしてね〜』
「あ、待て。俺からも質問がある」
『え、なになに? ひょっとしてあたしに、愛の告白??』
「なわけねーだろ!!」
質問がどうしたら告白になるというのだ? 本当に冗談にも程がある。
「夏から始まる『ガラス色のプリンセスの鈴音』ってテレビドラマ、お前は知ってるか?」
『え。そのタイトル、テレビドラマじゃなくて、ラノベじゃなかったっけ?』
「つまり……知らないんだな」
『うん。あの作品、いよいよテレビドラマになるんだね〜。あたしあの作品の作者も大好きだから、本当に楽しみだよ〜』
「ああ。昨日出版社の俺の担当が言ってたから、多分間違えないだろ」
『でもあの作品ってさ〜、作者も君のペンネームとそっくりだし、文体も君の小説にそっくりだよね!』
「…………」
『まぁいいや。朝からこれ以上君を独占すると、本当に後で御咲ちゃんが怖いから、今日はこの辺で解放してあげるね!』
「そう思ってるんだったら俺をとっとと解放してくれ!!」
『そう急かさんなって。じゃあ、まったね〜!!』
電話のプープーという音が、平穏無事な現実世界に戻ってこれたことを俺に伝えていた。俺は再び深い溜息をつく。そう一息ついたところに、くすくすと小さな笑い声が俺の耳に伝わってきた。
「ずいぶん可愛らしい君のファンの子だったようね」
ああ。ここは間違えなく現実世界だ。もっともその場所が本当に平穏無事な場所であるのか、多少議論の余地はあるかもしれないが。
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