4、バッドエンド(1)

 大学に入学してすぐに一人暮らしを始めて、まず最初に買ったのは大きめのベッドだった。テレビとか炊飯器とか机とか、そんなのは後回しだった。


「シャワー浴びてきていい?」


 そんなベッドの上でちょこんと座る女の子が、上着を脱ぎながらそう言ってきた。家に来たいと言われたから了承はしたけれど、別にそういうことをしようだなんて俺は一切言っていない。まぁでもそうしたいと言うのなら、拒否する理由もない。拒否なんかしたらそれこそ何のためにこのベッドがあるのか、という話になってしまう。


 女の子は服を脱ぎながら俺の本棚を眺めていた。


「こういうの好きなんだ、意外」


「そうか?」


「あとでオススメ教えてよ」


 女の子は興味津々に俺の本棚を隅から隅まで確認していく。


「これは何?」


 彼女が指をさしていたのは数枚のDVDだった。


「なんでもないから。ほら早くシャワー入ってきちゃえよ」


「えーなに気になる」


「いいから」


 説明するのも面倒で、とっとと風呂場に連れて行ってしまおうと思ったその時だった。部屋にインターホンが鳴り響いた。数秒して二回目。そしてまた数秒して三回目のインターホンが鳴る。このまま放っておいても四回目五回目が鳴るような気がして、俺はすぐに玄関に向かった。そっと静かにドアスコープから外を覗くと一人の女がそこに立っていた。


 俺はその女の姿を確認すると踵を返して部屋にいる女の子にすぐ服を着るよう指示した。


「え、なんで? どうしたの?」


「いいから服着ろ。で、悪いんだけど今日は帰ってくれないか?」


「は? なに急に?」


「いいから、ごめん。いつか埋め合わせはするから」


 そうは言ったがよくよく考えればこの女の子とはまだ連絡の交換すらしていない。一度外に出せば埋め合わせなんてできるわけがない。でもそんな些細なことはどうだって良かった。とにかく早くこの女の子を外に出して、代わりに今訪問してきた女を迎え入れたかった。


 インターホンが再び鳴った。しつこい。何回鳴らすつもりだ。


「マジで意味わかんないんだけど」


「あーはいはい、悪かった悪かった。それじゃあな」


 玄関を開けて女の子を出す。すると扉の前にいた女はすっと横に退いてくれた。女の子の方はその女を見て何かを察したかのように早足で帰っていく。


「お楽しみのところごめんなさい」


 全く心のこもっていないセリフで、女は謝罪を済ませる。


「いや、別に……」


「ふうん……」


 女は僕のことを頭頂から足先までゆっくりと見つめてくる。


「随分変わったね」


 それはこっちのセリフでもある。


「ちょっと確認したいことがあって」


「あ、ああ、そうなんだ」


「入れてもらってもいい?」


「まぁ……良いけど」


 部屋に入れるのは構わない。でもその前に一つ言っておかないといけないことがある。


「えっと、その前に……久しぶり、佐倉さん」


 すると佐倉はにっこりと笑って小さくお辞儀した。


「こちらこそ久しぶり、清嶋君」


 状況の整理ができなかった。佐倉が目の前にいるというだけで、思考が停止しそうだというのに。どうやって俺の家を探し当てたのか。どうしてこんなところに来たのか。そしてどうしてあんなにも変わってしまったのか。もう頭の中がめちゃくちゃだった。


 果たして本当に佐倉なのだろうかと、まじまじと顔を見てしまった。髪の色は黒くなっているがやはりあの頃の面影は残っている。声もそうだ。何度も聞いたあの声だ。話し方は随分と違っているが間違いない。あの佐倉が、俺の前に再び現れた。こんなこと予想できるわけがない。こんなこと実現されるわけがない。


 佐倉は玄関できっちり靴を並べると部屋へと上がる。


「綺麗な部屋だね」


「物がないだけだよ」


「まぁそうとも言えるけどね」


 いろんな可能性を考えた。まず何故佐倉がここに来たのかということだ。確認したいことがあると言っていたが、一体何を確認しに来たのだろうか。正直なところ良いことではなさそうだった。佐倉は笑っていたが、どうにもその笑顔の奥では何か良くないことを考えているような気がしてならなかった。


「それじゃあ清嶋君」


 何もしゃべらない俺を見かねてか、佐倉が話し始める。


「私の目を見て、本当のことを言って欲しいんだけど……この部屋にはカメラやマイクがしかけられている、なんてことないよね?」


 部屋の隅々をじろじろと確認しながら佐倉は言う。


「それはどういう……」


「だからこの部屋、カメラとか置いてないのって聞いてるんだけど」


 その質問はおかしい。だって自分の部屋にカメラなんか隠してどうなるというのだ。一般大学生の、ましてやただの男の一人暮らしの部屋を自らカメラを隠して撮影するだなんて、そんなこと意味がない。もしこれから佐倉が記録されることを嫌がるようなことを言うにしても、それを危惧するなんて普通ならあり得ない。そう、普通なら、だ。


 そんな台詞が佐倉から飛び出るなんて、あってはいけないはずだった。


「自分の部屋にカメラを設置するなんて……そんなバカげたことするわけないだろ」


「そうだよね。でもしてたでしょ。清嶋君は」


 佐倉はにっこりと笑う。


 いや、そんなはずはない。バレるわけがない。俺はこの話を安藤にしかしたことがないのだ。もし佐倉があの中学の頃の俺の罪を知っているとしたら、それは安藤が佐倉に教えたという以外になくなる。でも安藤がそんなことをするとは考えにくかった。


「……青春の残滓」


 佐倉はそう呟いてカバンの中から一冊の本を取り出した。


「これ、元々は清嶋君が書いたものだったんでしょう」


 佐倉が手渡してきた本の一ページ目をめくる。そこには『青春の残滓』が掲載されていた。著者の名前は……安藤だった。

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