第三話 邂逅と懺悔


 マスターは振るえる手で、振るえる足を押さえつける。

 膝をついて、泣き叫び、謝罪の言葉を投げかければ、どんなに楽か・・・。しかし、マスターは、”自分にはその資格がない”と思っている。


 交番の扉に手をかける。

 寂れた港町の寂れた交番。


 凶悪事件など、30年以上発生していない。


 交番には、3人の警官が勤務している。

 一人は、住み込みのはずだ。マスターは、男に頼んで、一人の警官に関しての情報も教えてもらっていた。男も、知っていた。しかし、マスターの指示が、まさか駅に繋がる道だとは思わなかった。そして、今までの寄り道の意味も知っていた。それだけに、マスターが車を降りるとは思っていなかった。


 マスターは、扉を開ける。


 マスターは、声を掛けるでもなく、入口で立っている。


 交番に、チャイムが鳴り響いている。

 誰も止める人は現れない。


 チャイムが2-3分の間、鳴り響いた。


「はいよ。誰だ?」


 年老いた一人の警官が奥から出て来る。


 警官は、また近所の人たちが茶飲み話に来たのかと考えて、菓子が入ったお盆とお茶を持って出てきた。


 警官は、扉の所で背筋を伸ばして、まっすぐに自分を見ている人物マスターを見つめる。揃った足先を見て、身体の前で握られている手を見て、腕や身体や身体が小刻みに震えている身体を見る。寒いわけではない。


 マスターは、黙って怯える目でまっすぐに年老いた引退間際の警官を見つめる。


 警官は、持っていたお盆を床に落とした。


 チャイムの音。

 お盆が床を打つ音。

 急須と茶飲みが割れる音。


 チャイムが止まり、お盆が床の上で止まり、警官から一筋の涙が流れた。


 そして・・・。

 マスターが、前で握られていた振るえる手を、身体の横に指を揃え足に添える。そのまま、足を揃えて、まっすぐな背筋をさらにしっかりと伸ばす。軽く顎を引いて、警官に目線を向ける。


「頭を下げるな!」


 警官からマスターに向けられた言葉だ。警官の声も震えている。どんな感情なのか、声からは解らない。しかし、警官の行動が、感情を表している。


 警官は、衰えた足に力を入れて、マスターに駆け寄る。そして、ゆっくりとした動作で顔に手を添えて確認をして、肩に手をおいて、しっかりとした力で抱きしめる。


 抱きしめたまま、警官は、振るえる声で、マスターに語りかける。


「お前が、お前たちが、謝る必要はない!誰が、何が、お前たちに謝れと言っても、俺は・・・。お前たちに、頭を下げさせたくない」


「・・・」


「お前たちは、お前たちは・・・。確かに、間違えた」


「はい」


「お前たちは、間違えた。間違えたが、それでも、謝るな」


「しかし、俺たちが・・・。田辺さん」


「違う。違う。間違えるな。お前が謝るのは、俺じゃない。俺たちじゃない。そして、奴らでもない。元は、俺たちが・・・。そうすれば、桜が・・・。お前に・・・」


「いえ。私は、桜にも、田辺さんにも、それこそ、皆に感謝しております」


 警官は、マスターを抱きしめていた腕を緩めてから、身体を離す。


「そうか・・・」


「はい」


「今は、東京だったか?」


「はい。いろいろ、いい縁に恵まれて、東京で、バーテンダーの真似事をしております」


「そうか、そうか・・・。お前が、バーテンダーか?どちらかというと、桜か、雅史まさしの方が似合っているな」


「そうですね。この仕事も、まーさん。雅史まさしさんから紹介してもらいました」


「そうなのか?」


「はい。でも、まーさんは・・・」


「聞いている。そのうちひょっこり戻ってきても驚かないな。本当に、お前たちの・・・」


「そうですね。私よりも、シンイチやヤスやカズトの奴が・・・」


「違う。いいか!桜は、お前を、お前たちの事を・・・」


「はい。解っています。解っていますが・・・」


「そうだな。解っていればいい。それで、今日は?」


「美和からの呼び出しです。”約束”を持ち出されました」


「あぁ・・・。そうか・・・」


「はい」


 警官は、壁にかかるカレンダーを見る。

 今日の日付には、まだ斜線が入れられていない。7月24日。


「田辺さん」


「これを」


 マスターは、足下においていた日本酒を警官に差し出す。


「賄賂か?」


「そうです。今日、桜は、勤務ですよね?」


「ははは。どうだろう?俺は、奴のスケジュールを把握していない。でも、この町で見かけても、人違いだろう。奴は、県警に居るはずだ」


「ありがとうございます」


 今度は、深々と頭を下げても、制止されなかった。

 マスターは、”ありがたい”と思いながら、振り返る。


「幸弘君」


「はい」


「あの車は?」


「はい。田辺さんの想像している奴が乗っていた車です。私が遺産分けで貰いました」


「そうか・・。引き止めて悪かった。日本酒。ありがとう。覚えていたのだな」


「はい」


 今度は、軽く頭を下げてから、マスターは交番を後にした。


 警官は、マスターが車の助手席に乗って、交番の前を走り去るまで、交番の前でマスターを見ていた。

 そして、交番に戻って、スマホを取り出して、一つの番号を探して、電話をかける。


「俺だ。今晩、空いているか?」


 電話からは、男の声がする。


「珍しい奴が来て、お前が好きだった日本酒を貰った。久しぶりに飲まないか?」


 電話の声は、何かを考えている声だ。


「そうだな。バイパスの店でいいだろう?あそこなら、持ち込んでも大丈夫だろう?それに、今日は飲んでもいい日だろう?」


 相手は、警官が久しぶりに電話をかけてきただけでも驚いている。

 それだけではなく、二人の間ではバイパスの店は、タブーに近い場所だ。相手は、何度か足を運んでいるが、警官は一度も店には言っていない。

 今日の日付が何を意味するのか、相手も解ったのだろう。


 承諾の言葉を伝えてきた。

 相手は、今日の予定が必要ない物に変わったことを悟った。


「急に悪いな。長嶋さん」


『いいさ。今日は、そんな気分だ』


 警官は、電話を切ってから、走り去った車を探した。


「マスター?」


「なんだ?」


「なんでもないです。どこに向えば?」


「そのまま、走らせろ。暫くは、バイパスを市内に向かえ。長崎ICの次で降りろ。このバイパスは、俺も知らないから期待するな」


「え?え?マスター?大丈夫?」


「大丈夫だ。バイパスを降りた場所は解る」


 バイパスを降りてからは、マスターは的確な指示を出した。

 県内に展開しているホームセンターに到着した。マスターは、これから必要になる道具を買い集める。男は、マスターが買い物をしている最中に、ホームセンターの店員を見つけて、マスターが買った物を洗える場所を聞いていた。


「マスター。店舗の洗い場を借りたよ」


「ありがとうございます」


 マスターは、男に連れられてきた店員に、深々と頭を下げる。


 店員に連れられて、バックヤードの洗い場に移動して、買った物を綺麗に洗ってから、綺麗な布に包んで大事そうに持ってきていたバッグに仕舞う。


「次は?」


「あとは、酒だが・・・。流石に、酒は解らない」


「それなら、僕が調べたよ!」


「悪いな。場所は?」


「街中は、避けた方がいいと思って・・・」


「・・・」


 男は、時計を見る。

 10時を少しだけ過ぎている。


「うん。大丈夫。マスター。僕のスマホを渡すから、ナビをお願い」


「わかった」


 車に乗り込んで、マスターは男からスマホを預かる。


 スマホのナビに従って、移動する。

 マスターの望む酒があるか解らない。男は、マスターが交番に行っている間に、酒の小売店を避けて、量販店や卸のような店を調べていた。近くにあるのは、家電量販店の中にテナントとして入っている店だ。


 店までは、10分くらいで到着した。


 それから、マスターが望む酒が見つかるまで、3店舗の酒屋を巡った。


「マスター?」


「なんだ?」


「嫌なら、怖いのなら・・・」


「大丈夫だ。俺は、行かなければ・・・。悪いな。無理しているように見えるか?」


「ううん。無理とかじゃなくて、マスターが消えていなくなりそうで・・・」


「大丈夫だ。大丈夫だ」


 マスターは、自分に言い聞かせるように呟いてから、前を向いた。

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