狐憑きのわたしが嫁いだ相手は軍人将校さまです。

陸奥こはる

1章 狐憑きと旦那さまの気持ち編。

1 嫁ぐことになりました。

「僕が必ず連れ出してあげるよ。だから、待ってて」


 その言葉に「うん」と頷いた深雪は、いつ彼が来るのだろうかと心待ちにしていた。

 彼といつもお話するあの場所で、屋敷を抜け出せる僅かな時間の一秒一秒を楽しみにしていた。

 彼だけは「可愛い」と言ってくれた、他の人は忌み嫌う狐耳をぴこぴこ動かしながら、にこにこ笑顔で待っていた。


 子どもの頃のことだ。まだ7歳だった。恐らくは彼は来ないということに気づくことが出来ないほどに幼すぎた。





 地方に居を構えこそしているが、名家の傍系ということもあり、使用人を何人も抱えるお屋敷をもつゆずりは家。

 そんな家に二女として産まれ落ちた深雪みゆきは、まだ物心もつかぬうちから、座敷牢に閉じ込められていた。


 深雪には狐のような耳がぴょこんと生えており、それが”狐憑き”と呼ばれ、関わる人間を不幸にすると言われる凶兆の証であったことが原因であった。

 殺すのではなく隔離となったのは、殺してしまうと、より不幸になるという話もあるからだ。

 

 共に顔を合わせて生きるには辛く。けれども、殺してしまうにも不吉。そうした事情ゆえに、深雪は座敷牢に隔離された。表向きは持病が重く外に出れないということにして。


 わたしは何の為に生きているのだろうか。

 深雪がそうしたことを考える日々を送るのは当然であり、そして18歳になったある日のことだった。


 部屋の襖の隙間に手紙が差し込まれた。

 何かの連絡のようだ。

 父母や姉妹たちは、深雪と直接会いたくはないからと、何かを伝える時にはこうして文を使う。差し込む役は使用人が行っている。

 

 手紙の送り名を見る。今回の手紙は父からだった。


 紙を広げて文字を追ってみると、縁談の話について、であった。

 深雪が外に出ないのは持病ではなく狐憑きのせい、という情報をどこかで得たうえで、それでなお構わないとして求めた男がいる、と書いてある。


「……変な人もいるんだね」


 ぽつり、と深雪はそんな言葉をこぼした。人の口に戸板は立てられない、という言葉もあるので、どこで知ったのかについては気にはならないのだが、知ったうえで縁談を持ちかけて来る姿勢の方は気になった。


 狐憑きという存在は、凶兆の証と言われるだけあって、忌避されることが多い。それは座敷牢の中にいても分かる。


 屋敷の人たちは当然の事として、深雪の事情を知る親戚の人も、たまに来た時には部屋の前を通りかかる時にわざと「ここが物の怪の部屋ですのね。あぁ偶然にも会うことが無いように注意しなくては」等と言ったりするのだ。


 それなのに、構わない、等と言うのは変な人以外に形容のしようが無い。

 深雪は再び手紙に視線を落とすと、続きの内容を追った。すると、相手の素性についても説明があった。


「……帝国軍人の将校さま?」


 浅葱崇正あさぎたかまさ。18歳。帝国陸軍少尉。

 深雪と同じ年のこの若さで尉官であるのは、出世頭の証でもあるとの記載もあり、そう悪くない条件の相手な事が窺える。


「う~ん……」


 深雪は思わず少し唸ってしまう。

 そう悪くない条件の相手だからこそ、なぜ狐憑きの自分を選ぶのか不思議に思ったのだ。


 あるいは家柄が目的だろうか?

 しかし、いくら名家とは言えど所詮は傍系。家名ばかりは立派に通っていても、大した権力があるわけではなく、そのうえ、ただでさえ狐憑きで疎まれるのが深雪だ。

 楪の名を使おうとしても、決して許されることはない。


 よく考えずとも、足かせになることはあっても、深雪に利用価値を見出すことは出来ないのである。

 一体何が目的なのかと思うものの……しかし、いかような人であったとしても、文にはこの縁談を受けるとして決定したとの記載もあり、であるならば嫁ぐ他には無く。


 あまり気乗りはしないのだが、深雪の方から「断りたい」等とは、口がさけても言えなかった。

 縁談を受けたのは、家族たちが、今回の一件は厄介払いに持ってこいだと思っているに違いないからである。

 どこで知ったかはともあれ、臆さずに引き取りたいと言うのであるなら、どうぞ差し上げます、と。


 楪家の総意であろうと推測できるこの判断に、深雪が何かを述べることは出来ない。


「それにしても結婚、か……」


 ふと、深雪は、子どもの頃のとある出来事を思い出した。


 この部屋には子どもが一人ギリギリ通れる抜け穴があり、小さい頃の深雪は、そこを通ってこっそりと家の外に出て探検することがあった。

 出て歩くのは、家にすぐ戻れる範囲である。誰にもバレないように、遠くても五分もあれば戻れる距離で、時間も夕暮れ時になってから。


 そんなことを繰り返し続けていた時、たまたまある男の子と遭遇して――


 ――他人に見つかってしまった。と、深雪はびっくりして逃げようとしたのだが、けれども男の子は追いかけて来て、あえなく捕まった。

 自分は狐憑きだから、きっと酷いことを言われる。そう思った深雪はビクついたのだが、男の子の反応は予想したものとは違った。


 タカマサと名乗った男の子は言った。狐耳を見ても、驚いたりとか怖がったりすることはせず、「もふもふで可愛いね」と言った。


 家族も家の使用人たちも、みんな、深雪を見ると怯えたような顔をする。だと言うのに、このタカマサは違った。狐憑きでも関係ない、という態度を露わにしたのだ。


 些か単純すぎるかも知れないが、深雪はその瞬間に、タカマサのことが好きになった。『可愛い』なんて初めて言われた言葉だった。優しくされたのも初めてだった。


 気づいたら、深雪は自らの境遇や思っていることをべらべら喋っていた。自分のことを知って欲しい、と思ったのである。


 でも、言ってから後悔もした。

 聞いてもいないことを話されても困るだろう、と。


 しかし、おそるおそるに深雪が顔を上げると、彼は気にした様子もなく話を聞いてくれて……。


 それがまた嬉しくて。

 深雪はタカマサと話をするのを心待ちにするようになった。

 毎日夕暮れ時に抜け穴から抜け出して、ぴこぴこ狐耳を動かしながら、僅かな時間ではあるものの、こっそりタカマサと会って話をした。


 今日は上手に着物の帯が結べたとか、夕焼けが綺麗だとか、そんな他愛もない話ばかりで、「好き」とは言えなかったけれど、それでもずっとこの時間が続けば良いのにと深雪は思っていた。


 のだが。

 そんな思いとは裏腹に、この時間は長く続かなかった。


 どうにもタカマサは遠方の子であり、この土地にいるのはたまたまであるそうなのだ。つまり、そのうち会えなくなると言われて、それが本当にその通りになってしまった。


 ただ、最後に会った時に言われた言葉がある。深雪は今でもそれを覚えている。


「僕が必ず連れ出してあげるよ。だから、待ってて」


 深雪は笑顔で狐耳をぴこぴこ動かしながら、何度も何度も頷いた。

 本気にしたのだ。


 けれども。

 結果から言うとタカマサは来なかった。

 深雪を連れ出してなどくれなかった。

 連れ出して欲しかった。


 部屋の穴を通れなくなるほど成長するまで、毎日タカマサと会っていた場所に向かい、僅かな時間を待ち続けた。

 ぴこぴこ狐耳を動かしながら待ち続けた。

 しかし来なかったのだ。


 遠い昔の話の子どもの頃の話だから、恨む気は無い。子どもに出来ることは知れているし、それにすぐ気づくことが出来なかった自分が幼かっただけだ。

 でも、もし連れ出してくれたのなら――と、そう思うことが、深雪は今でもたまにある。


「そういえば……同じ名前。あの男の子はタカマサで、縁談の相手も崇正たかまさ


 深雪は寂し気に笑った。





 その日がやってきた。

 続報として送られた手紙に、「部屋で待っていろ」と記されていたこともあり、深雪は大人しく座っていた。

 どうやら、結婚相手が部屋まで来て深雪を連れて行くらしいのだ。


 見送りはしないとも書かれてもいた。両親も姉妹も、家族は全員最後の時も深雪とは顔を合わせたくないらしい。


「まぁ、別に構わないけれど……」


 そうは呟きながらも、深雪の胸中は不安で埋め尽くされそうになっていた。

 相手が知らない人なのであって、そんな人といきなり二人きりで会って、そして連れて行かれろなんて、不安になるなというのは無理がある。


「……浅葱殿よ、あそこが深雪の部屋になる。私は行かぬから、あとは話の通りで結構」

「……会わないのですか? 疎んでいるとはお聞きしましたが、それでも親子では? 僕が連れて行く前に何か一声くらい掛けることも出来ませんか?」

「狐憑きと会う等とは、例えそれが実の娘であろうと考えるだけでも寒気がする。……それよりも、後で無かった事にしたい等とは言わずに頼むよ。私は念押しをしたが、それでもと言ったのは他ならぬ浅葱殿、あなたなのだから」

「……言いませんよ。そんなことは」

「であれば是非もない。それでは、私は用事があるから失礼するよ」


 廊下の方から何やら会話が聞こえた。そして、少しの間を置いて襖が空いた。深雪の心の準備など構う間もなく、来てしまったらしい。


 ゆっくりと顔を上げて、深雪は、浅葱崇正――己の旦那さまとなる人物を見た。


 柔らかい印象を与えつつも涼し気に整った顔つきに、知的そうな眼鏡が映え、事前の情報にあった通り軍人のようで軍服を着ている人だった。


 ――この人と結婚するんだ。と、深雪がまじまじと見ていると、いきなり手を握られた。そして、崇正は、急に顔を真っ赤に染めて言った。


「待たせたね。約束を果たしに来た」


 ぱちぱち、と深雪は瞬きを繰り返す。一体何のことを言っているのだろうか、と思ったのだ。


「……もしかして、覚えてないのかな? ほ、ほら、昔会ったことがあるじゃないか。その時は僕は確かに言った。『連れ出してあげる』と。……大変だったんだよ。縁談の話を持ち込んだ時も、何度も何度も念押しと確認を要求されて、ずっと交渉し続けてようやくだ。それに楪家って結構名も知れている名家だから、そっち方面でも色々と……」


 一瞬、深雪の思考が完全に停止する。けれども、良く見ると面影がある気がした。それに確かに名前も同じではあるのだ。


 衝撃の事実であった。

 まさか、今更になって来るなんて――いや、今更と思っているのは深雪だけで、崇正は違うのかも知れない。

 崇正は『交渉し続けて』と言った。それはつまり、ずっとずっと、あの時の約束を守ろうとして動き続けてくれていた、ということに他ならない。


「まぁその、とにかく、僕は君を連れて行く。――深雪。今日から僕は君の旦那さまだ」


 深雪は泣いてしまった。

 もうただの思い出となっていた小さな期待や希望が、いまこうして、目の前で形となっていきなり現れたからだ。

 崇正は来なかったのではない。ただ、来るまでに少し時間が掛かってしまっただけであったのだ。


 突然の贈り物のようなこの出来事に、深雪は涙を止めることが出来なかった。すると、崇正は困ったような顔をして、けれども深雪を両手で抱き上げる。


「男は強引な方が良いって、そう聞いていたんだけどな……。まさか泣かれるとは。あ、もしかして、昔の約束を覚えていて守りに来るって、き、気持ち悪かったのかな……。嫌だった……?」


 嫌なのではなく驚いただけだ。

 けれども、深雪にはその言葉を言う余裕が無かった。だから、代わりに抱きしめ返すことで答えを伝えた。


 深雪の気持ちを理解したのかしていないのか、ともあれ、旦那さまこと崇正は柔らかく笑んでくれた。


 深雪の狐耳が、嬉しそうに、ぴこぴこと慌ただしく動いていた。

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