第9話 描写

 土曜日、近くのイタリアンのお店へ行った。その小さなビストロは、ピエトロの親戚の老夫婦が、二人で切り盛りしている。


 ピエトロはマルゲリータのピザをたのんで、私はトマトとバジルのシンプルなパスタをたのんだ。素朴だけど、一瞬で脳がお花畑にワープするくらいおいしい。ピエトロがときどき作ってくれる料理と似てる。たぶん、びっくりするくらいの量のオリーブオイルが入ってると思う。


 ピエトロはこのお店が大好きで、二十センチほどの小さな絵を描いたことがある。使い込まれた二人用のテーブルと二脚のイスが、西日で優しく照らされているところを。まるで店主の老夫婦みたいに、静かに力強く、何十年も前からそうしているのが、わかるような絵だった。


 ピエトロの描写する世界は、人の胸を打つ。ピエトロの目を通して見る世界は、きっと私が見ている世界よりも、ずっと表情豊かで、美しいんじゃないかって思う。


「そろそろ行こうか」食後のデザートを食べ終わってから、ピエトロが言う。これからパーティーに行くわけだけど、はっきり言って面倒臭い。


「ねえ、ピエトロは、パーティー好き?」

「好きだよ。いろんな人に会えるし。わけ分かんないこと言ってる酔っ払いと話すのとか、特に好き」

「もしかして、会ったときの私もそうだった?」

 私が聞くと、ピエトロが吹き出した。

「しずかはね、真っ直ぐに歩いてられないくらい、酔っ払ってた」

「やだ。もう全然覚えてないよ」

「誰かれかまわず、抱きついてキスしてたから、びっくりしたよ」

「……ピエトロ、そういう冗談やめて」


 ピエトロは、まったく表情を変えずに冗談を言うから、最初はいちいち奇声をあげたり、顔が固まったりして、ピエトロを楽しませていたけど、最近はさすがにパターンがわかってきた。


 二人で店を出て、招待されている家へと向かった。その家はドアが開け放しにしてあって、中から大音量で音楽が流れ出していた。一緒に入ると、すでに酔っ払いでいっぱいだった。


「あれ? おかしいな」とピエトロが言う。

「どうしたの?」

「僕が知ってる人が、誰もいない」

「え?」

「家、間違えちゃったかもしれない」

「え? 大変じゃない。早く出よう」

「いや、いいよ。もう、ここで」

「え?」

「だって、みんな楽しそうじゃない」


 ピエトロはニコニコしてそう言うと、ずんずん家の中に入って行く。ときどき、知りもしない人たちに、気さくに「元気?」なんて声をかけながら。バスルームまで行くと、氷のしき詰められたバスタブに、持ってきたワインのボトルを突っ込んで、誰のか分からないビールの缶を二本取り出した。


「しずか、飲む?」

「え? それ、誰の?」

「知らない。でも、これだけ同じのがあるから、誰も気にしないよ」

 ピエトロに缶を渡されて、あっけに取られている間にも、ピエトロはどんどん歩いて行ってしまう。

「ピエトロ、ちょっと待ってよ。ねえ、この家じゃないんでしょ? 出ようよ」

「僕、裏庭に行きたいんだけど。ちょっとだけ一緒に来てくれる?」

「え? ちょっと、もう!」

 私があたふたしてる間に、ピエトロはもう裏庭にいる。仕方なく、私も裏庭に行った。


 裏庭は、家の中と比べてだいぶ静かだった。タバコを吸ってる人たちが、小さいグループを作って話している。だいぶ肌寒くなっていて、みんなジャケットを着ていた。庭の隅に一人、仰向けに寝転がってる人がいる。


「ねえ、しずか」とピエトロが声をひそめて、寝転がってる人を指差す。

「前に会ったとき、しずかもああやってた」そうやってくしゃりと笑う。

「僕さ、こういうパーティーは、裏庭が一番好きなの。パーティーが苦手な人とか、ちょっと疲れた人とか、酔っ払いすぎた人とか、裏庭に集まるんだよ」そう言って私にウインクする。

「……もう」

「家の中はさ、音楽の音が大きいし、みんな当たり障りのない世間話しかしないじゃない。踊るのは楽しいけど。裏庭に行くと、なんかいろいろ面白い話が聞けるんだよね」

「ふーん」

「あそこで1人で寝転んでる人に声かけてみない?」

「え? でも、邪魔じゃない? 1人でいたいのかもしれないし」

「本当に1人でいたかったら、こんなとこにいないよ」


 ピエトロはそう言うと、庭の隅のほうに行って、仰向けになってる人の隣に座った。

「ここ、いい?」とピエトロに聞かれて、その人が体を起こす。ピエトロを見て眉をひそめたその人は、私のほうにも顔を向けた。見慣れたその顔を見て、私は、つい大声をあげてしまった。


「ルーシー?」


(つづく)

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