【完結】最高のシナリオ

かしこまりこ

第1話 ピエトロ

「僕、生まれた時はピーターって名前だったんだ」


 出会ったその日に、ピエトロは自分の名前の話をした。


「でも、二年前からピエトロになったの」

 ピエトロはそう言うと口からフーッと煙を吐いて、「いる?」とタバコみたいなものを私に差し出した。それが、タバコではないことがわかるくらいには、私はオーストラリアになじんでいた。


 私は差し出されたものを指でつまんで、ゆっくりと吸った。煙を吐き出すとき、大きな月がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。雲ひとつない夜。Tシャツの上にカーディガンを羽織る必要がないくらい暖かくて、生ぬるい風がそよそよと肌をなでるのが気持ちいい。


 あれ? どうしてこんなことになったんだっけ?


 私はすでにビールとワインを何杯か飲んでいて、酔っ払った頭で考える。私はどうして、会って一時間もしない男の人と、裏庭で寝転がって、一緒にマリファナを吸ってるんだっけ?


「ピエトロってイタリア語?」私は月を眺めながら聞いた。

「そうだよ」私のすぐ隣で、ピエトロも仰向けのまま答えた。顔と顔の距離が近くて、肌の熱が伝わってくる。

「ご両親はイタリア人?」

「そう。二人とも、小さいころにこっちに移ってきたんだ」

「ふーん。じゃ、ピエトロはオーストラリア生まれ?」

「そ。ピーターとして生まれたの」


 ピーターは新約聖書の使徒ペトロの英語名だ。フランス語だとピエール、スペイン語だとペドロ、イタリア語だとピエトロになる。


「僕の両親がオーストラリアに移ってきたころは、まだイタリア移民を良く思わない人たちもいて、それなりに苦労したみたいで。僕が余計な苦労しないように、英語名を付けたんだよ。イタリア名の子どもは、小学校の先生から英語名に直されたりしたこともあったよ」

「ふーん」


 私はあんまり驚かない。そんな話はたくさん聞いた。私の愛する、人種のるつぼのこの街では、人種の数だけ切ない思い出が落ちている。


「で、なんで二年前にピエトロになったの?」と私は聞いた。

「僕はずっとピエトロだったんだよ、本当はね。でも、それに気づいたのが二年前。イタリアの両親の故郷を訪ねたとき。僕のイタリアの親戚はみんな僕のこと『ピエトロ』って呼ぶの。でさ、なんか『僕、本当はずっとピエトロだったんだよなぁ。』ってしみじみ思ってさ。帰国してすぐに改名した」

「こっちで生まれてこっちで育ったんでしょ? イタリアに住んだこととかあるの?」

「ないよ」

「じゃあ、なんで自分のこと『本当はピエトロだ』って思うの?」

「うーん。僕って、自分が思ってたよりずっと、イタリア人だって気づいたからかな」


 私は笑った。ピエトロは私よりもずいぶん年上に見える。でも、子どもみたいに無邪気で、表情がころころと変わった。


(つづく)

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